79話 「倒錯の石棺」 後編

 バークはベッドにある部屋に戻ると、奇跡的にまだ座ったままの姿勢のヨーベルに語りかける。

「ヨーベル! 起きているか? 大丈夫か?」

 バークは、ヨーベルの前で指をパチパチ鳴らしながら、上下左右に動かす。

「はい~、もう起きてますよ~」

 酔っ払いのようにいいながら、ゆっくりと視線を、バークの指の動きに合わせて追いかける。

「じゃあヨーベル! 俺の背に!」

「ん~……」ヨーベルの視界にバークの背中が見える。

「わっかりました~。しばしばしば、お待ちください~。うへへ、こうかぁ~! エヘヘヘヘ!」

 ヨーベルがバークの背中に、飛びかかるよう乗っかる。

「おっとっと……」

 突然のヨーベルの重さに、フラフラとして倒れそうになるが、バークはなんとかこらえることができた。


「クッソ重い、大女だな! って今思ったでしょ?」

 そんな苦しそうに態勢を整えるバークに、アモスがわかりきったようなことを笑顔で訊いてくる。

「し、仕方ないだろ……。体格は、彼女のほうがいいんだから……」

 バークはフラフラとしながら、ヨーベルを上手くおぶるポジションを模索する。

「うへへ、ネーブちゃんのすけべぇ! お尻さわんな~」

 ヨーベルが、バークの頭にチョップを食らわせる。

「痛っ! おいヨーベル。あんま、動かないでくれって……。アモスも何してんだよ、早くしてくれっ!」

 バークは何もせずに、化粧台の前に立っているアモスに向けて怒鳴る。

 しかし、アモスは化粧台の前に立つと、そこにあった口紅を手に取る。

 その際に、幾つかの化粧品が倒れてしまう。


「ヨーベル、俺だよ! バーク! バークだよ! ネーブじゃないから!」

 背中に乗るヨーベルに、バークは必死に訴える。

「あ、バークさんですか~。おはようございます~。綺麗な風景画ですね、エングラス城ですよね~」

 ヨーベルが、バークの背中から室内にある、お城の大きな絵画を指差す。

 この会話は二度目だが、適当に話しをあわせておく。

「じゃあ、おやすみなさい~」

「おお、おやすみ。しばらく寝てていいから」

 ヨーベルが、バークの背中で綺麗に収まりおぶられる。

 静かにまた眠りに落ちて安定したヨーベルを、バークはホッとため息をひとつついて、チラリと眺める。


「って、おい! おまえは、何をしてるんだよっ!」

 バークが、木目の残る何も無い壁を見上げてるアモスに対して怒鳴る。

「俺は、突っ込み役じゃないんだ。あんまり、大声出させないでくれ。怒鳴りすぎて頭が痛くなってきた、早く帰るぞ!」

 そんなバークの言葉を無視して、アモスは口紅を手にして、壁に向かって何かを書きだした。

 その瞬間、化粧台の上にあった化粧水や香水がアモスの身体に触れ、バラバラと地面に落ちて大きな音を立てる。

「お、おいっ!」

 バークが驚いてアモスを注意をする。

「大丈夫よ、気にすんな。突っ込み疲れたんだろ。ならもう黙ってな!」

 アモスがそういい、何事もなかったように、口紅を使って壁面に文字を書いている。

 アモスの足元の地面には、化粧水の瓶がいくつも転がっている。


「やっと、落ちついてくれたか……」

 バークは背中のヨーベルが、スヤスヤと穏やかな寝息をかいたのを確認する。

 背中にズシリと重いヨーベルを必死に抱えながら、バークはゆっくりと出口に歩調を進める。

 逃走経路は、もう堂々と、正面玄関から出ればいいだろうとバークは決めていた。

 バークの視線の先の廊下の奥に、立派な玄関が見える。

「アモス、もう気が済んだか?」

 そういってアモスに話しかけた途端、それを見たバークが絶句する。

 アモスが壁に書いた落書きを見て、バークが顔を強張らせる。

 その表情は、今までにない憤怒に満ちたように、バークは眉が跳ね上がってる。

 一方のアモスは、いつものようにニヤニヤしている。


「変態オールズ主教に災いあれ! ハールアム」


「どうよっ! なかなか笑えるジョークと思わない?」

 アモスは、壁に大きく書かれたその文言を、バークに見せつけクククと笑う。

「おいっ! アモス! おまえ、それどういうことだよっ!」

 バークが信じられないぐらい、怒りに満ちた怒声を上げる。

 今までに見せたことのないような、バークの本気の怒りの声だった。

「あららぁ? ただの冗談じゃない? 急に怖い顔になっちゃって、どうしたのかしらぁ?」

 そんなバークの憤怒にも、アモスは一切動じることなく、バカにしたようにいう。

 アモスはまるで、バークの予想外の怒りに、意外性を感じて楽しんでいるかのようだった。

 アモスの感情を察したバークが、慌てて表情を崩す。

 そして横を向いて、アモスを見ないようにして言葉を発する。

「じょ、冗談でもよぉ……。その言葉はさ、出すべきじゃないだろう……」

 バークは、いつもの少しおどけたトーンに戻りつつ、声を震わせていう。

「あれ? ハールアムって嫌? けっこういい皮肉じゃない。そんなに、怒ることないじゃない? 何、ブチ切れてんのよ」

 アモスが口紅を持つ手をクルクル回しながら、まるで挑発するようにいう。



 ちなみに「ハールアム」といえば、これまたどこかで先述したが、おさらいしておくと……。

 かつて存在した破壊神ハーネロを信仰する、邪悪な狂信者たちの総称だった。

 間違いやすいが、「ハーネロン」のほうは使役される、生みだされた魔物の総称である。

 少しまだ馴染みがないワードだろうが、これから頻発して出てくるので違いを明確にしてもらえると、物語にも没入しやすいかもしれない。



「と、とにかく……。い、急いでくれ……」

 バークに完全に背を向けると、玄関に向かって歩きだす。

「はいはい、分かりましたわよ~」

 バークとヨーベルの背中に向けて、アモスがふざけた感じで声をかける。


(確かあいつ、オールズ教会関係者だっけ? だからハールアムっていうワードに、神経質になるのかしらね? 今回はいろいろレアなバークの一面見れて、いいイベントだったわね、フフフ。ただのしがないオッサンと思ってたけど、やっぱ何かしら理由があって、あの島にいたんでしょうね)


 アモスはそんなことを考えながら、ヨーベルを背負って重たそうなバークを見る。

 そして、チラリと奥の変態部屋をアモスは見る。

 奥で伸びている、ネーブの姿を思いだしてクスクス笑う。

「明日、どんな報道がされるのか楽しみだわね。っていうか、もうこの街にいられないかぁ」

 アモスが思いだしてまた笑う。

「そうだな、可能な限り、街を出るべきだな。あそこの宿も、早く出払わないとな。なぁ、アモス、もう猶予がないんだよ。おまえもわかるだろ? 頼むから、もうここから、出ることを考えようぜ……」

 バークが、まだ部屋をウロウロしているアモスに懇願する。


「おい、口紅置いておけよ。この部屋の物は、何も持ち帰るなって」

「はいはい、うるさいわねぇ」

 バークの叱責にアモスは面倒そうにいい、落書きに使った半分以上磨り減った口紅を、近くの窓枠にチョコンと置く。

 窓際には、サイギンビーチの美しい光景を撮影した写真立てが、いくつも置かれていた。

 アモスはバークの隣にいくと、スヤスヤ気持ちよさそうに寝ているヨーベルの寝顔を見る。

「まったく! 余計なこと、してんじゃないわよ!」

 ヨーベルのお尻を、アモスがパンと張り飛ばす。

「あうぅ……」とうめくが、ヨーベルは起きないで寝たままだった。

「じゃあ、脱出するが、先行して様子をうかがってくれていいか?」

 バークがアモスにお願いする。

「あいよ、事務員さま! このサイコ女にお任せよ!」

 だらけた敬礼をして、アモスは玄関まで歩いていく。

 その後ろ姿を見ながら、「面倒なことになったなぁ、いろいろ」とバークがつぶやく。

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