73話 「彼女の願い」 後編

「バークさんも、アートンさんも、ヒロトのことは心配してたぐらいだし……」

 リアンがヒロトに話しかけていると、向こうのバーに、特徴的なシルエットを発見する。

「あれ?」

 リアンが見たのは、極度に痩せた猫背の男が、酒瓶を片手にフラフラと遊歩道を歩いている姿だった。

 リアンが座ったまんま、その男をヒロトにも指差して教える。

「えっ? な、何?」

 リアンの指差す方向を見て、ヒロトも暗闇に目を凝らす。

 男がいるのが見えたが、暗闇の中に溶け込んでよくわからない。

 しかし、街灯の下に来た時に、ヒロトはその正体を知る。


 ナオという、アモスにぶん殴られた貧相な男が、フラフラと酒瓶を片手に歩いていたのだ。

「ナ、ナオさん……」

 ヒロトがそういって絶句する。

 ナオという名前の、革命ごっこ仲間からもハブられた男を、リアンとヒロトは見つけたのだ。

 通りの向こうの酒場通りを酒瓶片手にフラフラと、雑踏の中で揉まれるように歩くさまは、街全体から翻弄されているかのようでもあった。


 まさか、市庁舎付近に来ているなんてと、男の姿を見ながら、アモスが変なことを吹き込んだんじゃとリアンは不安になる。

 監視をしろとお願いしたが、アモスの性格から、面白がって再度けしかけた可能性もあるのだ。

 だがナオという男は、遠目に見てもただの酔っ払いで、無力そのものに見えた。

 案外、不安はなさそうな気もするのだが……。

 ここでヒロトが、不安にさせるようなことを口走る。

「ナオさん……。どうしよう? あの人、案外、本気かもしれないよ……」

 ヒロトの言葉に、リアンはドキリとする。

「ま、まさか? アモスの言葉を、真に受けたとか……?」

「バ、バカ違うわよ……」

 リアンの不安に、ヒロトがすぐ否定をする。


「あの人ね、お父さんと伯父さんがクウィン要塞の戦いで、実際亡くなってるの……。だからナオさんだけは、エンドールを本気で恨んでる可能性が高いの。自暴自棄で、何かをしでかす可能性あるかも……」

 ヒロトが不安そうに弱々しくいう。

 リアンが驚いて、思わずナオという男の後ろ姿を凝視してしまう。

 あの地下室で集まっていた人間は全員、リーダーらしき人物と同じで、リアンは口だけ愛国者だと思っていた。

 しかし、ひとりだけ本気の人物が混じっていたわけなのだ。

 ヒロトも、自暴自棄からかなり本気だったようだが、ナオという男は、ヒロト以上に本気で集会に参加していた可能性が高いのだ。


 リーダーがただの「愛国ごっこ」だったことを謝罪した時の、絶望的な男の表情をリアンは思いだす。

 そして、アモスに食ってかかっていった時の目のヤバさ。

 その場では、アモスに完全に制圧されて、戦意も喪失したようだったが……。

 彼だけ憎悪の感情の本気度を考えれば、徐々にまた怒りがヒートアップしてきてる可能性があった。

 完全に千鳥足の酩酊状態のナオという男の足取りだが、自暴自棄で何をしでかすかわからないという、ヒロトの言葉も信憑性が高かった。


「あの人のエンドールに対する怒りだけは、本物だったから。クウィン戦線にも、本人参加したかったみたいだけど、兵役検査で落とされたことを、ものすごく悔しそうにしてたぐらい……。だから、うん……。あんまり話したことは、なかった人だけど。何かをやらかす本気度は、一番高いと思うよ……。お互い自暴自棄でも、ナオさんはあたしみたいな、現実逃避で参加してたわけじゃないと思うし」

 いても立ってもいられなくなり、リアンとヒロトは、すぐにナオという男の後を追跡しはじめる。

 人混みをかき分け、フラフラ歩くナオに簡単に追いついた。

 しかし声はかけず、リアンとヒロトはまずは様子をうかがうことにした。

 ナオは時々立ち止まり、見上げるように市庁舎の上方を眺めたりする。

 そして、またフラフラと歩きだす、という行為を繰り返していた。

 リアンとヒロトは、心配そうにナオの様子をうかがっていた。


(このまま、帰ってくれたらいいんだけど……。っていうか、アモスはあの人、放置しちゃったのかな……)


 リアンの中で、アモスに対しての評価が少し低下してしまう。

 でもアモスを、ここで責めるのは筋違いだろうと思う。

 実は、彼女を撒けるほどの隠密能力を有しているのかもしれないなんて、有り得そうもない考えも一瞬だが浮かんだりするリアン。

「ナオさんが、この市庁舎の警備状況をほとんど調べたの」

 ヒロトが、ナオを尾行しながらそう教えてくれた。

「それを綺麗にクリンナップしたのが、あそこのアジトにあったヤツなの。フィンさんは、デモののぼりのデザインとか、いろいろやってくれてたの」

 フィンというのは、アモスが求人中を見つけた、臭くて容姿がどうにもならないあの男のことらしい。

 やけに臭かったのを、リアンもよく記憶していた。


 ヒロトは、彼が記者志望という情報は知らないようだった。

 ただ倒産した零細出版社に勤めていた、という過去については聞いていたようだった。

 あと風呂嫌いなのも、最初はつらいヒロトだったが、いろいろ教えてくれる一番話しやすい人物だったので、結構臭くても仲は良かったという。

 ナオという男を尾行しながらリアンは、やけに饒舌になって話すヒロトの言葉を、適当に相槌を打ったりして聞いていた。

「とにかく、不安だね……」

 リアンが落ち着きなくそういい、通路の影からナオの挙動不審の後ろ姿を眺める。

「あそこの建物には、エンドールの要人がいっぱいいるの。夜になると、その要人たちもよくわからない動きをして、外出しだすの。きっと、この街を乗っ取るために、あちこち根回ししてるんだろうって」

 ヒロトは感情的にならず、かつての仲間が話していた怨嗟の声を冷静に語った。

 そんなヒロトの表情を見て、すっかり年頃の普通の女の子になっているのにリアンは気づく。

 彼女の中にあった、もうテロ行為を行おうとするような危険な考えは、消え去ったんだとリアンは確信した。

 そして、高く聳える市庁舎をリアンは見上げる。


 ここまでくると、反エンドールのデモ隊の打ち鳴らす太鼓と、シュプレヒコールの大音量がふたりの耳を刺激する。

 単調で扇動的なリズムを耳にしながら、リアンはナオという人物が、また妙な愛国行動を復活させないか気が気でなかった。

 ナオは手にした酒瓶をラッパ飲みして、市庁舎をにらみつけている。

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