73話 「彼女の願い」 前編

 リアンは驚いて、涙でグチャグチャになったヒロトの顔を、真剣に心配してのぞき込む。

 すると、いきなりヒロトがガバリと立ち上がり、リアンを真正面から見てくる。

 驚いたが、ここで顔を背けてヒロトの視線から目を逸らすのは、失礼と判断したリアンがその視線に耐える。

 しかしかといって、リアンは、ヒロトにどんな言葉をかけていいのかわからない。

 赤面して困惑するリアンだが……。

 実は、リアンの中にある提案があったのだ。

 しかし、果たしてそれを、口にしていいのか迷っていたのだ。


「ねぇっ!」

 リアンを、真正面から見つめていたヒロトが声をかけてきた。

 ビクリとするほどではないが、逡巡していたリアンを驚かせるには、じゅうぶんなヒロトの一声だった。

 何か決意を込めたような言葉を、これから話すんだ、という意気込みを感じさせるヒロト。

 リアンは、何もいわずヒロトを見つめ、彼女の言葉を待つことにした。


「あたしも……。つれていって欲しい」

 ヒロトは小さな声で、ポツリとつぶやく。

 やけに遠慮がちな言葉で、今までのヒロトとは思えないほどだった。

 リアンは黙って、ヒロトが次の言葉を出してくるのを待つ。

「あなたのいう、劇団……。あっ……。劇団っていうのは、嘘だったのか……」

 そこで、ヒロトは少し照れたようになる。

 ペロリと舌をだして、咳払いする。

 おかげで緊張が取れたようなヒロトは、流れていた涙を拭う。

「他の人の正体とか、詮索しないって約束する! 下っ端の雑用だってかまわない。だから、あたしも一緒に、あなたたちと旅をしたい。エンドールに、向かうんでしょ! そっちにも、行けるなら行きたいし。絶対に、邪魔にならないようにする!」

 ヒロトが、リアンにズイズイとにじりよってきて語気を強める。


「あんな活動してたけど、アモスさんのいう通り! 現実逃避にあたし……。恨んでもいないエンドールを恨んで、愛国主義者の振りしてただけなの! お金なら、少しだけ用意できるし。連れてってくれるなら、なんでもする!」

 金銭的には本当は厳しそうだが、ヒロトの同行したいという熱意は、本当のようだとリアンは感じた。

 リアンに迫り、早口でまくし立てるようにいうヒロトの表情に、冗談といった感情は一切見られなかった。

 しかし、少し眉を下げるとヒロトは視線を足元に向ける。

 乱れた足元の浜辺を、何故か靴で平らにしながら、ヒロトは急に口ごもる。

「この……。このさぁ……」

 そういってヒロトは、自分の胸元をドンと平手でたたいて、またリアンに向き直る。


「このクソムカつく性格も、頑張って直すからっ! あの怖い人、アモスさんに殴られたって構わないよ! だからっ! あんたたちと一緒に、この街を出たいの!」

 ヒロトの言葉が浜辺に響く。

 しかし、ヒロトの目がすぐに曇りだす。

 自分の熱意に対して、リアンの反応があまりにも冷めていたのを察したのだ。

 そのことに気がつき、ヒロトはまた目に涙が溜まりだす。

 プルプルと震えているのは、怒りでもなく、もっと複雑な感情からだった。

「……ここまで、しておいてさ。して、くれてさ……。ひとりぼっちに、させといてさ。あとは知らんぷりなんて、ひどいよね……。そ、そんなこと……、し、しないよね……」

 ヒロトは拳を握りしめ下を向き、涙をまた滝のように流れ落としながら、リアンに懇願するようにいう。


「……それ、なんだけどね」

 やや間があり、リアンが優しくヒロトに声をかける。

「実は僕もね。ヒロトを誘おうか、迷ってたところだったの。いいだしていいものか、悪いのかって……」

 リアンの予想外の言葉を、聞き間違いかと思うほど驚いたヒロトが、彼のキョトンとした顔を見る。

 リアンが、何を考えているかわからないという言葉は、今までたくさんいわれてきたことだった。

 感情が、なかなか表に出ないタイプなのだ。

「じゃ、じゃあっ!」

 ヒロトが、期待を込めた声を上げるが、当のリアンが熟考しだす。

 リアンが腕を組んで考え込む様子を、ヒロトが不安そうに見守る。

 自分が、かなり無茶なことをお願いしているのは、ヒロトはきちんと理解していた。


「うん……。ヒロトさえ良ければ、ついてきたらいいと思うよ。僕も、この街に留まっているよりかは、いいかと思うから」

 ヒロトの不安を、すぐに払拭するリアンのよろこばしい言葉。

 でもまだ、リアンの中にいろいろ不安があるようだ。

「ただ、僕は大丈夫だけどね。バークさんとアートンさんが、なんていうかなぁ……。そこが心配で……。一団の責任者は僕じゃなくて、バークさんとアートンさんだから……。僕の一存では、決められないんだ」

 リアンの言葉を聞き、リアンと一緒にいた男性ふたりをヒロトは思いだした。

 そういえば、ヒロトはふたりの存在を忘れていた。

 何度か挨拶はされたが当然無視していたし、どんな人かも知らないふたりだった。

 しかも第一印象の悪さからいえば、こちらにいい感情を抱いている可能性は低い。

 アモスの存在が強烈過ぎたため、彼女が一団のリーダーと、ヒロトは錯覚していたのだ。


「ほら、好き嫌いは別にしてさ。ヒロトと家族を、引き離すような形になるわけだからね。しかも、目的地がヒロトにとっては、まったく未知の場所だし。そういったことを、冷静に突っ込まれたら、説得するの大変だなぁって思って」

 リアンの言葉を聞き、フラフラとリアンの側のベンチにヒロトは向かう。

「やっぱ、そうか……。ダメかぁ……」

 放心状態でヒロトは、ベンチに溶け込むように深く座って、力なくつぶやく。

「いや、あのふたりなら、事情もきちんと説明すれば説得可能だと思うよ。ほら、元々僕らも、成り行きで集まった一団なわけだしさ。ヒロトの気持ちを、真剣に伝えれば、きっとふたりも、理解してくれると思うよ。バークさんもアートンさんも、本当に良い人だからね。案外、アモスも賛成して、こっちの味方になってくれるかもしれないし」

 リアンはベンチで放心状態のヒロトを、安心させるように言葉をかける。


 ヒロトは、その時のリアンの笑顔にドキリとしてしまう。

 何気なく隣に座ってきたリアンに、今までになく緊張する。

 赤面を隠しつつヒロトは海を見つめ、真剣な顔になってリアンに向き直る。

「あたし、一所懸命お願いするよっ! 何度も何度も頭下げて! 今までの非礼も謝って、お願いする!」

 決意を込めたような、ヒロトの顔をリアンは見つめる。

 すると、ヒロトが悔しそうに、また一瞬歯ぎしりをする。

「あんな家から、つれだしてくれるんなら、あたしなんでもするっ!」

 ヒロトは照れもせず、リアンの手を両手でつかみ必死に懇願する。


 ここまで来たら、一気に押し切るまでだった。

 徹底的に圧せば、この人の良さそうなリアンなら! というヒロトの賭けでもあった。

 さいわいなことに、リアンもヒロトの提案に肯定的なのだ。

 ここで引いたら、すべてがご破産になりかねない。

 ヒロトは絶対に、引き下がるわけにはいかなかった。

「そ、そこまで真剣なら、ひょっとしたら……。みんなも、了解してくれるかもね」

 ヒロトの思惑通りの言質が、リアンからは取れたが、難しいのはむしろこれからだろう。

 リアンは、あの怖い女アモスが賛同してくれるといってたが、実際はどうか不明だ。

 鼻で笑って、拒絶してくるようなビジョンが見えるのだ。


 良い人らしいふたりの男性も、「良い人」だけに、道を踏み外すような提案を、拒否る可能性があるのだ。

 なにせ家族を捨てさせて、縁もゆかりもない、エンドールに向かうわけなのだから。

 普通の良識ある人間なら、拒否してきてもおかしくないだろう。


(……あの頭の中が、お花畑の美人さんは、味方になってくれるかな?)


 ヒロトは、ヨーベルへの非礼やその後の彼女への、妙な応対を思いだして打算する。

 ここまできたら徹底的に計算尽くで動いて、あの家から逃げ出すことに、全力を尽くそうと考えていたヒロトだった。

 もう迷いなど何もなく、とにかく街を出るために意地汚く前進するのみだった。

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