72話 「旅の理由」
貨物船の姿が目視不能になり、暗闇の中に照明もろとも消えていったのを、確認したヒロトがようやく口を開く。
けっこうな時間が経ったような気がするが、それほど時間も経っていないかもしれない。
なんだか、リアンといると妙な時間の流れを、ヒロトは感じる。
「あの人たち、ってさ……」
ヒロトの落ち着いた言葉を聞き、リアンは彼女に向き直る。
「あ、またぼうっとしてた、ゴメンよ」
「いちいち謝んなくていいよ。なんでそう、ペコペコしてんのさ」
ヒロトの言葉に、リアンが真剣に理由を考えようとしだす。
それを慌ててヒロトが止める。
「だから、考えなくってもいいわよ。悪かったわよ、変なこと訊いたあたしが」
思いがけない形での、謝罪の言葉がヒロトの口から出てきた。
リアンの素直な、一直線の眼差しにいたたまれなくなって、ヒロトは三角座りのままギュッと身を引き締める。
「さっき、何いおうとしたの? あの人たちって、聞こえたんだけど?」
リアンが、唇を尖らせて縮こまっているヒロトを見ながら、再確認してみる。
へそ曲がりで激昂しやすい女の子のヒロトにも、リアンは物怖じせずに話しかけることが、できるようになってきた。
「そう、それよ……。あんたのつれの連中って、そもそも何者なのよ?」
リアンのほうを、いっさい見ることなくヒロトがいう。
「ヨーベルやアモスたち?」
「他に誰がいると思って、あたしが訊いたと思うわけ? 家族でも、なんでもないんでしょ? なのに、なんであんたは一緒にいるのよ」
最後の言葉で、チラリとリアンに視線を向けるヒロト。
一方リアンは、その言葉にまた考え込んでしまう。
また長考かよと思ったが、今回はリアンの回答が早かった。
すぐにヒロトに向き直り、照れた笑いを浮かべながら、言葉を選びながら話しだす。
「えっとね、正直なところね……。いまいち僕にも、よくわかってないんだ……。あの人たちが、どういった人だとか……」
リアンがこういうと、当然のごとくヒロトの顔つきがまた険しくなる。
リアンにも予想はできた反応だったのだが、どういえばいいのかリアンの言語能力では、まだ限界がありすぎたのだ。
「あんたって、そればっかりっ! どうせあたしに話したくないから、そういってるんでしょ?」
三角座りを止め、ヒロトがベンチから立ち上がる。
「いや、そうじゃないんだ! ややこしいのは本当でね! いちおう……、僕を」
ここでリアンは、少し間を空ける。
「エンドールに送り届ける、ってのが旅の目的なのかな?」
リアンの予想外の言葉に、ヒロトが驚いて再びベンチに座る。
「エ、エンドールに?」
ヒロトは、リアンの顔をのぞき込むように見て、指を差してくる。
「あ、あんたエンドールから来てたの? あの仲間も全員?」
全員が本当に、エンドールの人間なのかはわからないが、ここで話しを止めるわけにはいけないと思ったリアンは、あえて話しを合わせて進行させることを選んだ。
「今まで内緒にしてたのはね。ヒロトが、エンドールを嫌ってたから、隠してたってわけじゃないんだよ。僕たち全員、複雑な事情があったから、黙ってたんだ……。確か、宿の人には、旅の劇団員って嘘ついてたと思うよ。ほら、あのアモスっていう、ちょっと怖い女の人のアイデアで」
リアンはヒロトに、ようやく自分たちの嘘設定のことを話した。
でもヒロトの興味を引くのには、この告白は成功したようだ。
「た、旅の劇団員? へ~、綺麗な人と、カッコイイ人いるもんね。そりゃなんとなく、説得力あるハッタリね。あの怖い女の人だって……。黙っていれば、美人な部類だしね」
ヒロトが、アモスのことをそれとなく褒める。
「ほんとだよね。宿のみんな、誰も疑わなかったぐらい。その嘘のおかげで、あの宿に泊めさせてもらった感じなんだ。あ、いちおうね、宿代はバークさんが、きちんとあとで支払う予定でいるみたい。そこは安心していいよ」
リアンがヒロトに、タダで泊めさせてもらっている、わけでないことを説明する。
「つまりあんたらは、エンドールに帰るのが、目的なの? じゃあさ! なんで、こんな街にいるのよ? ここフォールよ!」
ヒロトが、至極まともな疑問を口にする。
「そこが、説明の難しいところなんだ……。どう話せば、いいのやら……。だから、説明が上手くできなかったんだ」
リアンが頭をかいてそういうのを、ヒロトがぼうっと眺める。
「でもね……。なんだか、正直どっちでも、いいかなって」
リアンが突然、そんななげやり的なセリフをいう。
「……どういう意味よ?」
ヒロトは、下を向いたまま、表情を見せないリアンの姿を見て直感した。
「ま、まさか……。まさかあんた、帰る気ないの?」
ヒロトの驚いたような言葉に、リアンはため息をつく。
「正直いうと、そうかもしんないね……」
照れた笑いを受かべるリアンは、意外にも即答してきた。
ヒロトは思わず絶句する。
(帰りたくない? どういうことよ?)
ヒロトは、リアンも複雑な事情を抱えていると、再三いっていたことの言葉の意味を、ようやく冷静に理解しだした。
リアンは珍しく自分から、ゆっくりと歩調を市街地に向けて進める。
それを慌てて、今度はヒロトが追いかける形になる。
「だから、ヒロトにいえた立場じゃなかったんだよ。僕自身が、現実から逃げてる、一番の卑怯者だから……」
追いついてきたヒロトに、リアンが悲しそうにつぶやく。
「ヒロトよりも、あそこで出会った、良くない企みをしてた人たちなんかよりね……。いい人ぶって、心では逃げることばかり考えててさ。そんな僕が、ヒロトにあんなことしちゃって……」
リアンは小さくて聞こえない声で、また謝罪の言葉を口にしているようだった。
そんなリアンを見ながら、どう声をかけるかヒロトは悩む。
砂浜を市街地に向けて歩くリアンと、無言でそれを追うヒロト。
波の音だけでなく、星空までもがふたりの少年少女を包み込む。
ふとリアンは顔を上げて、ヒロトを見てくる。
その表情には、さっき見せた悲壮感のようなものはなかった。
ドキリとしてしまうヒロトが赤面する。
「もうすっかり夜だね?」
まるでヨーベルに語りかけるような、明るいトーンでヒロトにリアンは語りかける。
「そろそろ、みんな心配するだろうし。帰らな……」
「あたしはね!」
リアンの言葉の途中に、ヒロトが突然大きな声で割り込んでくる。
その声には怒りとも悲しとも取れないものが含まれていて、リアンは思わず唖然としてしまう。
「あたしはね!」と、ヒロトはもう一度叫ぶ。
「あんな家も! クソ親どもも、大っ嫌いっ! 宿の従業員どもも、あたしの味方みたいな素振りをするだけで、何も手を貸してくれないわ! もちろん、宿だけじゃなく、この街のすべてが大嫌いっ! クソみたいな淫売女と、下衆な男ども! 見かけだけ清潔感ある、何考えてるかわからない街の人間! 目障りなあのデッカい市庁舎も、崩れ落ちればいいと思うぐらい嫌い! それから、エンドールやネーブとかいうクソ坊主に、媚売ってるこの街全体が、超嫌い!!」
ヒロトは、目から大量の涙を流しながら、一息でそう怒鳴る。
リアンは、唖然としながらもあえて何もいわず、黙ってヒロトの感情が落ち着くのを待っていた。
ややあって、ヒロトはまた地面を見つめ小さくつぶやく。
「で、でも……」
感情の高ぶりが抑えきれないヒロトが、肩を震わせる。
「でも……。一番嫌いなのは、こんな自分! あたし自身よ!」
ヒロトが浜辺の砂を思いっきり蹴り上げ、さらに地団駄を踏むように大きく三度ジャンプする。
砂煙の中に、ヒロトの姿が薄っすらと、浮かび上がるのをリアンは眺めていた。
そしてヒロトは、そのまま地面に崩れ落ちる。
砂浜にヒロトの流す涙が、ポロポロと落ちる。
両手は悔しそうに砂をつかみ、その部分が抉れる。
「なんで、こんな自分が生きているの? こんなクソみたいなヤツ、生きてる資格ないよね! あたしが、生きている意味ってなんなのさ……」
ヒロトはへたり込んだまま、そんなことをつぶやいている。
リアンは黙って、ヒロトを見つめることしかできなかった。
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