70話 「不自然な艶女」 其の五
バンのドアが開けられると、中には大量の衣類がたたまれ、積み上げるように入っていた。
塔で出会った男ふたりが、籐製のチェアーをバンの中に押し込んでいる。
他に荷物らしいのは何もない、衣類とチェアーしか荷物がない。
何者なんだ? こいつらは、と、思っていると女が近づいてくる。
「お疲れ様じゃ、にぃさん。ホホホ、怖がらせてすまぬの、ああでもせんとにぃさん、最後まで本当のことを、いわんかったであろうからな」
女が、笑いながらこんなことをいってくる。
「じゃあ、タイムリミットとかいってたけど……」
「軽い冗談じゃ、ホホホ」
女は気軽にいって笑うが、命の危機を感じたのは事実で、アートンは少し憤慨する。
「うむうむ、悪いことをした。さっきもいったが、にぃさんの本当の目的を、知りたかったからじゃよ」
女はそういうが、今バンの中で作業している黒スーツは確実に凶器を持って、アートンを害そうとしていたのは事実だ。
しかし、女は和やかにしているし、これ以上関わりたくないと思ったアートンは追求を避ける。
命が助かっただけでも、運が良かったと思っていた。
「ところで、これだけでいいのかい?」
「これだけというと?」
「まだ上に荷物、残ってたけど……」
アートンが、塔の上を指差していうと、また女がホホホと笑いだす。
「問題ありゃせんよ、どうせ全部は積めんからのぅ。それに、にぃさん急いでおるんじゃろ? どこまでわしらを、手伝うつもりなんじゃ?」
女の言葉に、そういえばそうだな、とアートンは思う。
「まったく、人の良いお方じゃ……。安心せい、残りの荷物は処分するつもりじゃ。まあ、放置していくともいうがのぅ、ホホホ」
女がそういって笑うと、背後に例のふたりの黒スーツの気配を感じて、アートンは振り返る。
しかし、アートンを無視して黒スーツは、女の後ろまで移動する。
何もされなくて安堵したアートンが、ひとりの黒スーツが、ガサガサとした何か荷物を持っているのを発見する。
「じゃあ、俺はこれで……。勝手に入って悪かったよ……」
アートンは、命を奪いにきたかもしれない黒スーツふたりにも、軽く礼をいう。
「にぃさん、お主はやはりとても運が良いぞ」
十万フォールゴルドほどを、男から受け取った女が、その金をアートンに渡してくる。
「えっ!」とアートンは驚く。
「い、いや、そんなの貰えないって……。それに額が多いし……」
アートンが金を貰うのを躊躇う。
「にぃさん、あんたの強運は、とても価値のあるものじゃ。この金は手間賃と怖がらせた分。それと、今夜にぃさんがワシと出会った、幸運料のようなものじゃ」
「幸運料?」
女の言葉の意味がまったくわからないアートンが、素っ頓狂な声を上げる。
「せっかくの好意じゃ、もらっておきなされ。普段のわしは、このようなこと決してせぬからのぅ。稀なる時に出会うのも、にぃさんの授かった運の力ぞ」
そういわれ、アートンは渋々お金をもらう。
正直、ありがたい気持ちがあったが、困惑の表情がどうしても表に出てしまうアートンだった。
「なんだかよくわからないが、そこまでいうのなら……。ありがたく、受けとっておくよ」
お金を尻ポケットにねじ込んだアートンが、女に礼をいう。
「うむうむ、好意は素直に受けるが良いぞ。今夜味わった、にぃさんの憂い、不安、焦り。明日の朝には、すべて晴れておるじゃろう……。神の意思をも招く運の力、大いに活かすが良いぞ」
女のよくわからない言葉に唖然として「ああ……」と、アートンは答えるしかできなかったア。
すると、またガサガサという音をさせ、男が何やら荷物を出そうとしている。
その行為に、アートンは思わず身構えてしまうが、ガサガサいっていた紙袋から出てきたのは、一着の衣類だった。
「そして、特別ボーナスがこれじゃ! じゃじゃ~ん!」
そういって女は、男から服を受け取るとバサリと広げる。
なんだか、少しキャラまで変わってしまっている。
「わしのオリジナルブランド、黒猫ちゃんシャツじゃ! 全面に小さくプリントされる、可愛い黒猫ちゃんが、愛らしいであろう! サイズはフリーで、にぃさんの体格でもゆったり着れるじゃろう!」
そういって、シャツをうれしそうに広げて見せる女。
豹変ぶりに唖然とするしかないアートン、何もいえずに立ち尽くすしかできない。
「生地は、最高級のものを使用! 肌触りにも、こだわりを持っておる」
女はシャツをアートンに触らせ、肌触りを体験させる。
「……ああ、すごくいいものだね」
「であろう!」と、鼻高々な女の言葉。
なんだか突然キャラが変化しすぎて、服の質など本当は、どうでもいいとアートンは思っていた。
「本来なら、袖を通すことすら、かなわぬ逸品じゃ。ほれ、ボタンはすべて黒猫ちゃんをあしらった、最高級の黒蝶貝でできておる! カフスボタンも同様で、こっちは黒猫ちゃんを、精巧に形作っておる!」
服を、アートンに自慢するように見せつけてくる女。
アートンは、そんな興奮状態の女の背後にいる黒スーツふたりが、なんだかすごく羨ましそうにしているのを見る。
(そ、そんなに、これいいのかよ……)
シャツを女から受け取ったアートンは、そんなことを思いながら一応礼をいう。
全面に、小さな黒猫ちゃんがプリントされたシャツを広げて見るが、なんだがモアレで目がチカチカしてくるようだった。
女はバンの助手席に乗り、アートンに向けて「明日の朝を、楽しみにしておると良いであろう」といってきた。
走り去るバンを、アートンは見送るしかできなかった。
「明日の朝、なんだっていうんだ……。っていうか、い、いかん! こんなこと、している場合かよ!」
アートンは、遠くに見えるペンション群を見る。
「あのペンション……。浜辺方面からなら、侵入もできるんじゃないか?」
アートンは決意したような顔になると、とりあえず貰った黒猫ちゃんシャツの袖を腰に巻きつける。
海を泳いで渡りたいのを我慢して、アートンは陸路で浜辺まで走ることに決めた。
ヨーベルが市庁舎に入ってから、かなり時間が経っている。
すでにペンションに移動して、あの変態坊主の毒牙にかかっているのではないかと思うと、自然と力もみなぎってくる。
「ヨーベル、絶対に助けてやるからな!」
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