70話 「不自然な艶女」 其の四

「まさか知らずに、あそこまで、興味たっぷりに観察せんわなぁ。さぁ、にぃさん解答は?」

 うれしそうな感じの表情で、女がアートンに訊いてくる。

「オ、オールズ教会の人間だよね、確か……」

「確か?」と、訊き返す女の声が冷たく響く。

「にぃさん、その言葉は頂けんのぅ、心象悪うなりましたぞ。とぼけられるようなこといわれると、さすがのワシでも、興が冷めますぞ?」

 女の口調から、選択を誤ったことに気づいたアートンが、慌てて首を振る。


「申し訳ない! ネーブ主教だよね。すまない、気分を害させるつもりは、なかったんだよ」

 アートンは狼狽して、慌てていい直す。

 でもこれで、アートンの中に、確信に似た手応えを感じた。

 真実を、ありのまま話したほうが、受けがいいと。

「実は……」

 アートンは、言葉をいい淀むように、溜めを作ってみる。

 これから話す内容は真実なのだが、荒唐無稽だから、多少いいにくそうな印象を演じておいたほうがいいと考えたのだ。

 演じるか……、アモスの嘘が、こんなとこでも絡んできやがると、アートンは内心失笑する。

 この段階で、アートンは先程の女がいった、脅迫めいた言葉をもう恐れていなかった。

 女の興を、削ぐようなことさえしなければ、危害はくわえられないと確信していた。


「ホホホ、今までにない、熟考ぶりじゃのう? どういった打算や、逃げ道を考えておるのかの? わしはそっちにも興味津々じゃが、ガッカリさせるようなことは、止めておいたほうがよいぞ?」

 女はまた脚を組み変えて、下着が見えることなどお構いなしに笑う。

「にわかに、信じてもらえるかどうか、わからなくって……。実は俺の大事なつれが、あのペンションに行った、可能性があってね……」

 アートンの言葉に、ほうほう! と、興味深そうに耳を傾ける女。

「そなたの“ 大事なつれ ”また興味を引くような、いい方じゃの? この状況で、あえてハッキリと言及せんところ、にぃさんにとっては相当特別な、存在なんじゃろうな? それとも、わしの嗜好を察知して、わざと興味を引く作戦か?」

 女の言葉に、どこまでも見透かされているのをアートンは感じた。

 このまま黙っていたり、変に誤魔化すのは、やはり悪手のようだとアートンは思った。

 例の件を正直に話すことで、興味を引けると考えた。


「正直に話すよ……。つれがあの悪名高い、ネーブ主教に会いにいったんだよ、よりによってね」

 ここでアートンが、やや語気を強めてネーブの名前を出してみた。

 ネーブに対して敵愾心を見せる、これはアートンにとっても博打だった。

「フフフ、それであのペンションを、気にしていたわけか。にぃさんにとって大事なおつれさまが、よりによって、ネーブの毒牙にかかりそうとな? なるほど、展望台でのあの焦り方の正体は、そういうわけか」

 女は笑顔を浮かべたまま、納得したように、うんうんとうなずく。

 アートンは、女が興味を持ってくれたことで賭けに勝ったような気がしたが、チラチラ見せつけてくる下着を、何とかして欲しいと思ってもいた。


「当然、そこまで焦るということは、おつれさまというのは、女性の方なのでしょうな?」

 アートンは力なく、女の言葉にうなずいて肯定する。

 どういった関係かを詳しく訊いてくるかを、身構えていたアートンだが、女が隣の部下らしき男とコソコソ話しだしている。

 足音が響きわたり、何を話しているかは聞こえない。

 しかも男が、チラチラとアートンを見てくるのがやけに気になる。

 もうひとりの、後方を支える男からも、無言だが異様な圧力を感じるのだ。


 しばらくアートンにとって、居心地の悪い無言の時間がつづく。

 それに耐え切れなくなったアートンが、口を開く。

「……無意味な行為とは、思っていたんだけどね。でも、いても立っても、いられない気持ちでさ……。せめてつれ込まれたらしい建物だけでも、見つけられたらって思ってさ」

「ホホホ、なんとまあ勇敢なにぃさんじゃて」

 アートンの言葉に、ようやく女が反応してくれる。

「仮におつれの御仁を、あそこで見つけた場合じゃ。にぃさんは、どういった行為を、取る予定じゃったんじゃ?」

 女がやけにニコニコとしながら、アートンの解答を楽しみに待つように訊いてくる。


「な、情けないことだが……。あの警備だから、どうすることもできずにいたと思うよ。俺が無鉄砲なのは認めるし、だからといって、勇敢でもないチキン野郎って自覚もある。だからこそ、こんな塔に登って、遠くから見下ろすなんてことしかできなかったんだよ。せめて彼女の姿を、確認できたらなって……」

 アートンは、いいながら自分が情けなくなってくる。

 実際は、ネーブのペンションになんとしても乗り込むつもりだったのだが、ここではチキンな一般男性をアートンは演じてみた。

 無駄に勇猛さを見せると、それはそれで、面倒なスカウトとかがありそうだと感じたのだ。

 特に、女がアートンの素性に興味を持っているようなので、その興を多少削ぐためにも、小心者の面を見せたほうが安全と思ったのだ。

 女たちの一団が、良からぬ反社会勢力だとしたら、変に蛮勇や度胸のある人物は、気に入られてしまう可能性が高いからだ。


「結局、無意味な行動力だったよ……。でもまあ、こういう貴重な出会いもある、ってことだけど……。俺、ほんとあんたたちがいたってことは、内緒にしてるから、そのなんだ」

 ここでアートンは、あえて怯えたような口調で女にいってみる。

「ホホホ、何をそんなに怖がっておるか。わしは興味のある男、しかもにぃさんのような、直情的な男は大好きじゃぞ」

 女の反応に、好感触を感じたアートンだが、それでもまだ、しょぼくれた男を演じつづけてみる。

「じょ、情熱だけさ。結局何もできずに、トボトボ立ち去るしかないんだからさ」

 女の表情の変化を見逃さないように、アートンは弱気な態度を見せて、女の反応を待ってみる。


「にぃさんの行動に、意味のないことなどあるものかぇ。こうして出会えたのも、神の思し召しあってのことじゃろうしな」

 ホホホと笑いながら、女が豊満な胸元からロズリグを取りだし、神に祈るような仕草をした。

 あまりにも意外な行為にアートンは、思わず狼狽しそうになるが、なんとか踏み留まる。


(ロズリグ……、冗談だろ? この女、オールズの信者なのか?)


 アートンは女が、ロズリグをすぐにまた胸元にしまったのを見たので、この話題がふくらまなくて、なんだか安心したような気持ちになる。

「しかし、不安な気持ちはわかるがのぉ。ネーブ主教は、女と見れば見境ないが、人を害するといった悪い噂は聞きませんぞ? 案外、おっと、にぃさんには、ちと耳が痛いかもしれんがいいかの?」

 女が、そんなことをいってくるが、なんとなく何をいいたいのかアートンにはわかる。

「ああ、あれだろ……。ネーブの財力に魅力を感じて、自分から近づいたってことかな? 実際、俺の経済力のなさに、愛想尽かした感じだからなぁ……」

 実際ヨーベルは、その通りに近い行動をしたと、アートンは思い込んでいる。

 そう思った瞬間、アートンがドキリとする。


 この塔は、上空からペンションが丸見えなのだ。ネーブを害そうとするスナイパーが、狙撃ポイントとして選んでも、おかしくない立地なのだ。

 しかも女は、ネーブのことを当然のことながら知っていて、しかも本人もオールズ信者のようだった。

 ひょっとしたら女の正体は、ネーブを護衛する役割を担って、この塔にいたのではないのか?

 しかし、この不自然な時期での場所移動が不可解だ。ネーブはまだ当分、あのペンションにいるのは確実だ。

 それなのに、護衛役が場所を移動するだろうか。


(どういうことだ? この女はネーブにとって、味方なのか、それとも敵?)


 とてもじゃないが、口に出して訊けないような疑惑が、アートンの中に生まれてしまう。

 沈黙が、とても恐ろしく感じる。アートンは、何か別の話題を探そうとした。

 すると……。


「にぃさん、もうひとつ尋ねていいかの?」

 女の方から、話題を振ってきた。

「な、なんだい?」

「神の存在を、信じるかい?」

 単刀直入、女はアートンの瞳を見降ろすような感じで、凝視して訊いてきた。

 あまりにも突然の質問だったので、アートンは困惑してしまう。

 完全に返答に窮してしまうような感じになり、アートンは冷や汗をかく。


「 カ ミ の存在じゃよ」

 女が、薄っすらと笑いながら再度聞いてくる。

「か、神さまかい?」

 思わずアートンは、よくアモスからアホみたいな声といわれる、ひっくり返った声で反応をしてしまう。

 しまったと思ったアートンだが、女はその反応が面白かったようでクスクス笑う。

「にぃさんたちが、いっぱい信仰しておる、神たちの概念とは、ちと違うかも知れませんがのう」

 ここで女が、アートンのことをフォール人と思って、話しをしてきたのに気がつく。

 エンドールにとっての神は、オールズしかいないが、フォールにとっては、ありとあらゆるものに神が存在するという宗教観が一般的なのだ。


「特定の神様とか、信仰されてたりするのかえ?」

「う~ん……、そ、そうだな。俺は、特にこれといった宗教は、信仰していないんだが」

「それは、神の存在を、認めたくないからか?」

 何かやけに、いままでになく挑戦的な女の口調だった。

 まるで、自分を試しているかのような印象を受けたアートンは、無宗教が多いフォール人の振りをして適当に答えてみる。

「いや、そこまでは思っていないよ。俺の今までの人生で、あまり重要な場面に登場してこなかったからさ……。いや、まさに今がそういう状況か!」

 わざとらしくアートンは、ピエロのようなリアクションをして、また女の笑いを誘う。


「ホホホホホ……。フォールの、民らしい考え方じゃのぅ。タチの悪い女に捕まった時に、逃走を手助けしてくれるような神さまはおらんのか?」

 女が笑うと、釣られて部下の男ふたりも、クスクス笑っているのが聞こえてきた。

 気持ち悪いと思ったアートンだが、ここは我慢して一緒に愛想笑いをする。

 螺旋階段が終わりかけ、女がタイムリミットに指定した、一階のフロアにまで到達しようとしていた。

 アートンの鼓動が高鳴り、ソワソワしだす。

 女の質問には正直に答えた、しかし、アートンをどうするのかという回答は、まだもらえていない。

 アートンは、緊張の面持ちで女の言葉を待つ。

「さて、ようやく終着じゃの。にぃさん、わざわざありがとうなぁ。正直に話してくれたことも、感謝しておるぞ。これを搬入したら、礼を渡したいから、逃げるでないぞ?」

 まるで先手を打ってくるように、女がアートンに対して、椅子から座ったままいってくる。


「もう逃げる気もないよ……」

「ほほほ、逃げる必要など、ありやしませんよ」

 本当かどうかわからないが、とりあえずアートンは逃走することを止め、運命に従おうと決めた。

 そういえば何か窮地に陥ると、運命に任せるということが多いのに、アートンは気がついた。

 この概念って、宗教的な何かなのかな? かなり危機的状況なのに、不思議とアートンは冷静にそんなことを考えていた。

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