70話 「不自然な艶女」 其の三
コツンコツンと、螺旋階段をゆっくり下る足音が響いていた。
壁に等間隔で設置されたランタンには、いくつか油が切れて灯っていないのがあったので、足元には相当注意しなければいけなかった。
アートンは、籐製チェアーの左脚部分を抱え運んでいた。
反対側には女の部下が同じように抱え、残りのひとりが後方をひとりで支えていた。
かなり苦しそうな態勢に思えたが、いくらアートンでも、自分を害そうとしていた可能性のある男を、気遣うほどお人好しではなかった。
「ここのところ、いろいろ忙しくての。予定というのは、こちらの意思に反して、往々として狂うものじゃのう」
「……いや、まったくだね」
女の言葉にアートンが、感情たっぷりにサイギンにきてからの、一連の行動を思いだして同調する。
決して話しを無理に合したわけでなく、本心から出た言葉だった。
(自分の場合は、明らかに俺が原因なんだがな……)
アートンは後悔の念を心の中で思い、暗澹たる気分になる。
もうそのことは、終わったこととして不問にされたのだが、こういう状況になるとやはり悪い考えが頭をもたげる。
「搬出の準備も、もっと早くやる予定じゃったんじゃがのぅ。急な要件が続出で、人出が割かれてのう……。もう、てんてこ舞いじゃわい、ホホホ。特に今夜は、何かと忙しくてのぅ」
そんなに忙しそうな感じはさせない女が、キセルを吹かし笑いながらいう。
「あの……。あんまり部外者の俺には、詳しく話してくれなくてもいいっすよ……。俺はほんと、ただのしがない一般人だから……」
女の、いろいろ含んだ忙しいアピールから、良からぬ予感しか感じないアートンが正直に断りを入れる。
なんとなくだが、こういう話題はキッパリと、断っておいたほうがいいと思ったのだ。
むしろ、余計な情報を抱え込むリスクのほうが怖いから、臆病者を演出している今のアートン。
「ホホホ、確かにそうかもしれませんのぉ。にぃさんを、これ以上怖がらせるのも、こちらとしても心苦しい限りじゃからな」
女の言葉にハハハと、アートンは乾いた笑いをする。
苦笑いのし過ぎで、顔の筋肉がつってきたようになる。
「まあ、ちとワシらも、いろいろ焦り過ぎておったか」
反省の弁を口にする女だが、アートンは絶対にその対象が何かを訊かないようにした。
「にぃさんもあまり焦ることなく、慎重に行動したほうがよろしいぞ。直情的に行動すると、今みたいな面倒なことに、巻き込まれますからなぁ。心の中は、後悔でいっぱいじゃろう? まあ、答えんでもよろしいぞ、ホホホ」
アートンに向けて、女がそんなことを笑いかけてくる。
「席暖まるに暇あらず、されど忙中有閑じゃ。せかせか焦っておっても、にぃさんも、いいことなどありゃせんぞ」
女がそういって視線を上に向け、目を閉じて深呼吸する。
「そうだね、俺の場合は気まぐれで、ここに登ったんだけど……。今冷静になれば、あんな展望台から見下ろしたって、何も進展しないよな」
アートンがそういうと、女はまたホホホと笑う。
しかも今度は、かなりの長い時間笑う。
今までにない長さの笑いなので、アートンは徐々に不安になってくる。
そして笑い終えた女が、急に真顔になってアートンに訊いてくる。
「ところで、にぃさん? 重いかえ?」
アートンに、笑いかけるように、そう尋ねてきた女。
女は何故か、籐製のチェアーに腰掛けながら、アートンを含む男三人に自分を運ばせていたのだ。
「なんで、おまえは座ってるんだよ!」と、突っ込みたい気持ちを必死にこらえていたアートンだが、ここにきて女から挑発的に尋ねてこられたのだ。
「いや、さすがに三人いれば、重さもそれほど気にならないよ。それに、ねえさんのキャラにも合ってて、いいんじゃないかな?」
アートンの、引きつったような言葉に女はまた笑う。
「お主らも、これぐらいの返しができたらいいのにのぉ。ホホホ、従順なのはいいがなぁ。ちとこやつら、ユーモアのセンスが少ないから、困りものですわぃ」
女の言葉に苦笑いをする、黒スーツの部下ふたり。
ご褒美のように女は組んでいた脚をこれ見よがしに組み替え、スリッドからのぞく下着を丸見えにしても気にも留めない。
アートンは思わず目を逸らしたが、反対側の男は興奮冷めやらぬといった表情で、下着を凝視する。
女も、別に見られても平気といった感じで、堂々としている。
(自分の美貌を、最大限に使って、部下どもを手球にしているわけか……。何をしてる連中かは知らないが、妙な組織なのは確実だ……。絶対に関わらないほうがいいな、下ですぐ開放してくれることを願うが……。最悪、すぐ海にでも飛び込んで、沖に一気に逃げるか……)
アートンは、最悪の事態をいちおう想定しておき、逃走経路を検討していた。
この塔のすぐ前には、広大なサイギン湾が広がっているのだ。
「ところで、にぃさん……。あえて別のことをして、心落ち着かせるのも、悪くないであろう。転機というのは、ひょんなことから訪れるものじゃからのぅ」
なんだか妙な、話題の転換のさせ方をしてきた女の言葉を、アートンは神妙に聞く。
「善行を好みそうなにぃさんなら、人助けはさらに良い、運気を招くかもしれんからな。善行には、善い行いをすることはもちろんじゃが、正しいことを話すという意味も、あると思うんじゃよ」
「ん? どういうことだい?」
アートンが不思議そうに、素の反応で女に尋ねる。
「なあに、簡単なことじゃよ。酔い覚ましで、ここにきたというのは、嘘であろう? 本当の目的を、そろそろ正直に教えて貰いたくてのぉ。ほれ、今十階フロアじゃ、時間ならもう少しあるであろう」
女にいわれ、アートンは衝撃を受けたような顔をする。
ボロボロに朽ちた、十階フロアという案内ペイントをアートンは見る。
「タイムリミットは、ご覧の通りじゃな。本当は何が目的で、この塔にやってきたんじゃ? せっかく仲良くなれたんじゃ、今なら正直に話してくれても、良いであろう? それとも、最後まで嘘をつき通して、お別れするのかの?」
女の言葉に、アートンはいい訳することもできず、汗を流して絶句してしまう。
曲者っぽい女だと思っていたが、やはりアートンの嘘は、見透かされていたようだった。
途端に、両手に持った椅子の重さが。ズシリと重くのしかかる。
一方、反対側の男はそうとは思っていなかったようで、アートンの嘘という女の言葉をきっかけに、また凶相になってにらんできていた。
「時間は有限じゃ、特に今のにぃさんにとってはの。コッツコツコツ……。周囲に響くこの足音は、にぃさんが嘘つきじゃった場合の、時限爆弾のようなものじゃな。むろん、爆発四散するのは、にぃさんだけじゃかの」
女が今までと変化のない表情でいうが、言葉には今までなかった、明確な脅迫を含んでいる。
「ま、まいったな……。なんだか正直に話さないと、絶対ダメな感じだな……」
アートンは冷や汗を流しながら、どうこの場面を切り抜けるか考える。
タイムリミットを設けてきたのは、冗談とは思えない。
ここで正直に話してもいいのだろうが、ヨーベルの件、荒唐無稽すぎる話しすぎて、信じてもらえるだろうかという不安がよぎる。
さっきまで話していた法螺話のほうが、まだ信憑性があると思えるのだ。
そんなことを考えていると、九階のフロアに差し迫ろうとしていた。
「何やら、答えにくいというより、説明が難儀という感じじゃの?」
女は、アートンの困惑の正体を察して笑う。
やはり目ざとい女のようだ。
「では、こちらから質問してみようかのぅ? 楽しい楽しい、ミニクイズ大会じゃ」
容姿に似つかわしくない、急に幼稚なセリフをいう女。
「質問その一。にぃさんの本命は、市庁舎かの? それとも、浜辺にあるペンションかの? わしの予想では、そうじゃのう……。明らかに、ペンション群を気にしておったのぅ。どうじゃ? 正解か?」
女が自分の予想を、披露してきてニヤリと笑う。
「……やっぱり、そう見えちゃうか。そ、その通りかな」
アートンが、いいにくそうに女にいう。
だが内心、この女の誘導尋問に正直に答えてさえいれば、生還のチャンスがあるとアートンは思った。
どうもこの女は、最初からアートンの行動に、ある程度目星をつけているようなのだ。
自分から、下手な嘘をつくよりも彼女の中のストーリーを、例え間違っていたとしても肯定すれば、なんとかなりそうだった。
易の類が好きそうな女に思えたし、それに自信があるから、このような質疑応答形式の聞き取りをして、答え合わせをしているのではないか?
「よし、では次の質問じゃ。質問そのに~!」
さらに、キャラが変わったようなトーンだったので、アートンは思わず女の顔を凝視してしまう。
「今、あのペンションにいるのは、だ~れじゃ?」
そして突然の、なぞなぞ口調。
女のキャラ崩壊に、アートンは唖然としてしまう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます