70話 「不自然な艶女」 其の二
「ほんと、それ以外の理由なんて、なかったんだよ。ここが廃墟って、聞いてたもんだからさ。でも、まさか人がいるとは、俺も思ってなくて。下手に騒いだりしないし、何も見なかったってことにするので、そろそろ退散してもいいかな? 俺も、今は……」
アートンは、また新しい嘘を思いついてしまい、思わず固まってしまう。
ここまで嘘を、ペラペラいえる人間だったか? 俺って、とアートンは自己嫌悪してしまう。
「いちいち興味を引くしゃべり方をされる、にぃさんですのぉ。そんないい方したら、気になるじゃろうて? 最後までいえば、無断侵入の件、不問にしてやってもいいですぞ。わしは気にはしとらんが、つれどもが、やけに殺気立っておるからのぅ。フフフ、わしの命令がない限り、にぃさんは無事帰れますからねぇ」
生殺与奪をほのめかす女の言葉に、アートンは思わず生唾を飲み込む。
「え、えっとだね……。今の彼女ってのが、前の彼女とは違って、何かと尻に敷きたがる気性の荒い女でね。こんな感じで、目つきまで悪くてね……」
アートンは自分の目を、両手で斜めに釣り上げてみる。
それを見て、またホホホと笑う女。
「しかも、連れ子まで、いたりなんかしたもんでさ。その子も、手のかかる年頃の女の子でね……」
アートンは話していて、どんどん自分が情けなくなってくる。
(なんだよっ! この設定は!)
「なるほどねぇ。わしの見立てじゃがな、にぃさん」
女が不敵な笑いをして、アートンに話しかける。
思わずその怪しい視線から、アートンは反射的に目を逸らしてしまう。
「にぃさんには、女難の相が、生まれつき出ておるようじゃて。正直、今後の人生で、相性がバッチリ合うような女とは出会えませんぞ」
「えっ?」
女の勝手な言葉に、アートンが驚いたような声を出す。
何を根拠に話しているのかは知らないが、やけに自信有りげな感じから、易の類を習得している女なのかもとアートンは思ってしまった。
そして事実、アートンは女絡みでの面倒事に、縁が多かったりする。
女の言葉が実は鎌かけだとしても、つい過剰に反応してしまったのだ。
「そ、そうなのかい? でも、案外間違えてもいないかもなぁ、ハハハ。考えたこともなかったけど、そういう人相見ができる人から見たら、そう見えるのかもね……」
ここでも女の不興を買わないように、あえて否定もせずに賞賛するようにいう。
「ホホホ……。女との出会いで、苦労したことのないような、にぃさんですものなぁ。じゃがのう、反面その出会いは、にぃさんにとってプラスになることは、多くないようじゃなぁ。関係を持った女に、ろくなのがいなかったのは、いろいろ思い当たる節あるようですしな」
女の言葉に、アートンは苦笑いをして頭をかく。
「おやおや、いかんいかん。ホホホ、これはさすがに、失礼なものいいでしたかの。ですが、そのマイナス面も、プラスに変えることはできるんですぞ」
笑いながら女が、店先のほうへツカツカと、フェロモンを振り撒くように歩いていく。
(開放されたのか?)
アートンは、よくわからずに女が店先まで歩く間、しばらく無言で彼女を目で追っていた。
ふと例のふたりの黒服を見ると、女の後ろ姿を呆けたように眺めていて、さっきまでのアートンへの殺気は消え去っていた。
相当、女に惚れているのがわかる男たちの様子だが、アートンも連中の気持ちが、わからないこともない。
苦手なタイプではあるが、一定の層には確実に受ける、容姿と魅力を秘めた女では間違いない。
まるで売れっ子舞台女優のような、絶対的な自信と矜持を持った、弱みを見せることない完璧な印象を与える、虚像のような女なのだ。
あそこまで徹底しているとなると、生まれつきの育ちの良さか、何かしらの訓練を受けたのだろうとアートンは思う。
「ここで知り合ったのは、きっと何かの縁であろう。縁というのは、必ず理由があって紡がれるものじゃ。でな、その縁という言葉の素晴らしさを信じ……。ひとつどうじゃ、手助けしてくれんかの?」
女が店先の壁に肩肘をかけながら、キセルを吹かしアートンにいってくる。
スリッドからのぞくガーターベルトを見せつけ、モデルのようなポーズを取って、アートンを誘うようにいってくる。
「て、手助けかい?」
女の挑発的な仕草は、あえて無視してアートンは反応する。
「も、もちろん問題なないよ。こっちも、勝手に入り込んだって負い目もあるしさ。俺なんかにできることなら、なんでも手伝うよ」
「ん? 今、なんでもといったか?」
女の妖艶な口元が、緩やかに歪む。
「い、いや、できる範囲だよ! 難易度の高いのは勘弁してくれよ……」
慌ててアートンが、露骨に狼狽したようにいう。
これは演技ではなく、もしこの女が裏の世界の人間だった場合に、どんな面倒事を頼まれるかわからなかったからだ。
ホホホと、また優雅に笑う女。
「願いというのは、とても簡単じゃ。いや、ちと、しんどいがのぅ。これじゃ、これじゃ」
女は店先に出されていた、ひとりがけの籐製のチェアーを軽く脚で小突く。
その行為が妙に俗っぽくて、女の今までのキャラに合わないなと思ったアートンだが、何もいわずにおいた。
「これを、どうするんだい?」
籐製のチェアーはかなりの大きさで、背もたれには複雑な編み模様が施されていた。
相当、この女のお気に入りなんだろう。
このチェアーに腰掛け、優雅に片膝を組んでキセルを吹かす、妖艶な女の姿が容易に想像できた。
「これを、下のバンまで運んで欲しいんじゃよ。今、男手は、そこのふたりしかいなくてなぁ。にぃさんが手伝ってくれると、出発も早まるからのう」
アートンは、また険しい表情に戻っているふたりの黒服の男をチラリと見る。
「ああ、入り口付近にあったあのバン、あなたたちのだったのか」
アートンが、塔の入り口付近で見かけた、荷物を搬送するのに使うようなバンを思いだした。
ここでアートンは、女たちがアパレル関係の人なのかを尋ねようとしたが、余計なことを訊いて藪蛇だった場合のことを考えて、黙ることにした。
「あれ、クルツニーデ製の新型中型バンだね。ニカ研のよりも格段に安いが、性能的にはまったく差異がない、優れものだって話しだよね」
「ほうほう、車に関して興味があるのか?」
余計なことを口にしないと誓ったのに、アートンは車について、勝手に多くを語ってしまうという失態を演じる。
銃火器や自動車、そうったものに目がないので、つい余計に語ってしまう悪癖が出てしまったのだ。
「にぃさんや、まさかニカ研製じゃないのを、密かに下に見ておるとか?」
「ま、まさか、そんなことないって!」
女の訝しむ視線に、アートンは慌てて否定をする。
「自動車はニカ研製」、今でもまだ根強く、信奉されている論調だった。
しかし技術は日進月歩、競合するクルツニーデや他の自動車会社も、その製品の質を向上させているのだ。
「えっと、そんなことより。しゅ、出発って、ここを出ていくのかい?」
アートンが話題を元に戻す。
「出発の意味に、他のがありますかの?」
女が、ころころと笑いながらアートンにいう。
アートンはまだ調度品が多数残り、今でも普通に営業できそうな、店内の内装を見てみる。
店には酒類が大量に残り、グラスも綺麗に整頓されている。
調度品が若干消えている空間があるようだが、それでも残していく備品が多すぎるような気がした。
「ホホホ……。気になりますわな、当然じゃろうな。夜逃げか何かかと、思いますかな? それとも冷静に考えて、こんな廃墟で営業している店舗が残ってるのは、不思議とは思いませんかの?」
女が何やら挑戦的なことをいい、アートンの反応を試すような言葉を口走る。
「あああっと……」
ここでアートンは慌てて首を振り、まるで道化のように、何も怪しんでないといった愚者を装う。
急いで籐製のチェアーに駆けよると、「これ運ぶんだよね、それで大丈夫?」と女に尋ねる。
あまり人に見られたくない醜態を演じるアートンだが、女の気分が変わる前に頼みをきくことにしたのだ。
「ホホホ……」
女は近づいてきたアートンの顔をジロジロと見ると、怪しい微笑をする。
運がいいのか悪いのか、女にとってアートンは、決して嫌いなタイプではないようだった。
アートンは年甲斐もなく、はにかんだような表情になり、やはり苦手な女の、妖艶すぎる視線から目を逸らす。
そして背後から、嫉妬の混じった強い殺気に似た空気を感じる。
例の黒スーツの部下ふたりが、また敵愾心をぶつけてきているようだった。
しかし、女の興味の対象であるうちは、あのふたりには何もできないことを、確信していたアートンは男ふたりを完全に無視する。
この手の手合は、刑務所でいくらでも会ってきたので、無視していれば何もトラブらないという思いがあったのだ。
「これで男手が、三人じゃのぅ~。お主らも、少し楽になるじゃろう。まったく、勝手なことは考えるでないぞ。そちら、ちと最近、ピリピリしすぎじゃい。わしは余裕のない男は、好かんのじゃからなぁ」
女が黒スーツの部下ふたりにいうと、ふたりの男は、バツが悪そうにしょんぼりしている。
「その辺りきちんと理解して、他の連中とも、情報を共有しあうのじゃぞ。独断専行は、絶対に許さんからな……」
女が例のおっとりとした口調だが、明らかに何かをやらかしたような感じの話題を口にして、ふたりの部下たちを叱責してる。
女の口ぶりからすると、今ここにはふたりしかいないが、やはりそれなりの所帯を要する、組織なのは確実だろう。
(……この女が、いなかったら、俺、やっぱり、ヤバかったのか?)
女の叱責を聞きながら、アートンはじんわりと、冷や汗が出てくるのを感じる。
自分の行動の愚かさを、アートンはひたすら後悔する。
そして何より、今すぐにでもこんな場所から、おさらばして例のペンションに向かいたいのだ。
「さて、ではにぃさん。さっそく、搬出作業といきましょうかの。駄賃は、下に着いたらやりますゆえ、楽しみにしておくとよいですぞ」
女がやけに期待を持たせるようなことをいうが、正直アートンはそれを断ろうと思った。
しかし、アートンは思い留まる。
この手のタイプは、好意を拒絶されると一転激昂する可能性が高いのだ。
世話好きやプライドの高い人間に共通する、最悪の逆ギレ現象だ。
なので、「なんだか知らないけど、楽しみにしてますよ」といって、アートンは女の機嫌を取っておいた。
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