70話 「不自然な艶女」 其の一

 そこには、艶やかな真っ赤なドレスに身を包んだ、年齢不詳だが妖艶な美しさを持つ黒髪の美女が、キセルを片手に立っていた。

 スリッドからのぞく艶めかしい脚には、黒いガーターベルトが見えていた。

 年齢不詳と感じたのは、やけに所作が古風で緩慢なのと、その独特なしゃべり方にあった。

 実年齢は意外と若く、まだ三十路も超えていない、アートンと同年齢ぐらいかもしれない。

 しかし確実に、誰が見ても怪しい魅力にあふれた、絶世の美女であるのは間違いなかった。


「にぃさん、やけに窓の下を、気にしておりましたの? こんなところまで、わざわざやって来られるなんて、普通の理由であるまいて? なんぞご用があって、来られたのですかの?」

 キセルを吹かしながら優雅にしゃべる、なんだか演出過多な女だった。

 アートンは少し緊張から開放されたのか、女の姿をじっくり観察すると同時に、女や警備員たちがいたであろう店舗を見た。

 飲み屋のような感じだが、どこか怪しげな古物商のような気もする。

 開いたドアからは、カウンター席と酒瓶が見えた。

 女の趣味を、全面に活かした飲み屋なのだろうか……。


 しかしここは、すでに廃業している建物……。

 しかも入り口には、進入禁止のテープが張り巡らされ、客なんか来るはずもないのだ。

 そう考えたらこの女、口調こそアートンに興味津々で優しげに質問してきているが、返答や対応如何によっては、最悪の展開になりそうだと直感した。

 警備員らしきふたりの男も、衣装は普通に黒いスーツを着ていて、最初はただの警備員と思った。

 しかしそのスーツには、女のセンスらしい意匠に凝らした刺繍が施されていた。

 女を含め、やけに一般人とはかけ離れた、衣装センスをしている連中だった。


 とにかく返答次第では、ふたりの男が襲いかかってきても、おかしくない状況に変化はないだろう。

 しかも女に振り返った時に、アートンはひとりの男の背中に、妙な膨らみとナイフホルダーを発見したのだ。

 オシャレな服装をしている男だが、確実に過剰ともいえる武装化をしていたのだ。

 絶対に堅気の人間でないし、そんな連中がいる場所に踏み込んでしまった、己の愚かさをアートンは後悔していた。


 エンドールが来る前は、サイギンの街には、みかじめ料を徴収する反社会的な勢力がいたらしいと、アモスが話していたのを思いだす。

 その生き残り連中と運悪く、こんな場所で遭遇してしまった可能性があったのだ。

 どれだけ運が悪いんだよ! と、アートンは心の中で嘆く。

 今すぐにでも逃げ出したい状況だったが、女の口調がやけに、アートンの存在に興味があるようなのだ。

 上手くいいくるめたら、案外無事生還できるのでは? という可能性に賭けてみようかとアートンは考えだす。


(くそっ! なんでいきなり、生死の危機に直面してるんだよ……。ヨーベル助けるつもりが、俺自身がピンチじゃないかよ!)


 アートンは、何度悔やんでも悔やみきれない衝動で打ち震えていた。

 本来ならヨーベルを、今すぐにでも救出したいのだ。

 こんなところで、時間を潰している余裕などないというのに! だが、今は自分の身の危険を回避することに、全力を注がないといけない。

 最悪、階段を猛ダッシュで降りたとしても、ほぼ上からは丸見え状態の螺旋階段だった。

 連中が銃を持っていれば、簡単に撃ち殺される可能性が高いのだ。

 咄嗟に考えた結果、「酔い覚ましで散歩してたら、ここにきてしまった」という、黒服に使った設定を、アートンは再度口にした。

「一度ここに来たとこともあって、懐かしくなって、展望台に登ってしまった」と、アートンは話しの通じそうな女にいう。


 嘘に対して抵抗があった実直なアートンだったが、一度嘘が口から出ると、不思議なことに、その次の展開が口から滑りでるのだ。

 嘘に嘘を重ねるってのはこういう状況なのかと、アートンは意外と冷静に分析したりする。

 女は怪しげな微笑を浮かべながら、長く切れ込んだスリッドからのぞくガーターベルトを見せつけるような格好で、くねくねしながらアートンの話しを聞いている。

 アートンが一番苦手な、女であることを最大限の武器にしているような手合だった。

 どうも部下らしい男ふたりは、この女の怪しげな色気に魅了されているかのように、忠実な印象だった。

 女の前だと、凶悪そうなふたりの黒服も、飼い犬のように従順そうだった。


 となると、突破口はひとつしかなかった。

 この苦手なタイプの女の興味を引くような会話をして、なんとか見逃してもらうよう、彼女から好印象を獲得することだ。

 命乞いや下手にでるような行為をすれば、好奇心旺盛そうな女の興が削がれて、アートンの喉がかき切られる可能性もある。


(どうやって、この女の興味を引く? そういえば、さっき下を見下ろしていたことを訊いてきたな、まずはここからいってみるか……)


「実は、そのなんだ……。あのペンション群、ほら倒産しただろ? 実は俺、以前あそこに務めていたんだよ……。で、懐かしくなって、見てみたくなったんだよ。でも新しい経営者に変わってから、警備が厳重でさ、敷地に完全に入れなくなってね」

 アートンは、即席でそんな嘘をついた。

 これは今朝バークが情報収集していた際に、何かの雑誌か新聞記事で見た情報を基にしたハッタリだった。

 本人的にはまだ良心の呵責が存在するらしく、心の中では嘘つきな自分を嫌悪していたが、表層的にはよどみなく言葉が出るようにまでなっていた。

 ましてや今回は、下手したら命に関わるかもしれないのだ。

 嘘もバレないようにするために、少しでもキョドるようなことがないように注意していた。


「なるほど、なるほどなぁ。それであのペンションを、しきりに見下ろそうとしておったのか。袖まで真っ黒にして、そこまでにぃさんの郷愁の思いは、強かったのかのぅ?」

 ホホホと意味ありげにいい、アートンの強すぎる行動力をからかうように笑う。

 ここでアートンはやや大げさに、袖の汚れに気づいたことを驚いてみる。

 非常に芝居がかったリアクションに、嫌悪感が自分の中で湧き上がるが、ここは仕方ない。

 ピエロのような大げさな反応に、女が片手で口元を押さえ、楽しそうに笑っているのだ。

 少なくとも、アートンに対して悪い印象を持ったような感じはしない。


 ただ、女の部下らしき男二人の視線と表情が、女の笑顔と反比例して険しくなっていくのが気になる。

 その憎悪の正体が自惚れなどでもなく、間違いなく嫉妬心から発生しているのがアートンにはわかる。

 しかし、女の機嫌さえ取ればきっとこの男たちは、「何もしてこないはずだ」という予想が、アートンには確信に似た気持ちで存在していいた。

 もしくは、「何もさせてもらえない」というべきか。


「実は面白いにぃさんが、来られなすったと思いましてな。しばらく、店内から観察させてもらっておりましたんじゃ」

 笑いながら女が怪しげな店の窓を、キセルの先で差し示す。

 女は黒いロングの手袋をしており、カチャリと豪華なブレスレットが音を立てる。

 どうやらふたりの部下の男は、主らしき女が監視していたのを知らなかったようだった。

 互いに顔を見合わせ、少し驚いたような表情をしている。

 思いだしてみれば、女の声がした時にこの男ふたりも、アートン同様驚いたような表情をしていた。

 実はアートンをこっそりと消そうとしていて、それを彼女に見られていたらという可能性に恐怖したのだろう。

 アートンは、コソコソと何やら会話している黒スーツの男をチラリと見て、悪運の良さに安堵する。


「にぃさんは、ペンションだけでなく。そっちの市庁舎のほうも、やたら気にしておったようじゃが? なんぞ市庁舎にも、思い出があるのかい?」

 かなりの観察眼を持つ女のようだった。

 アートンは、その妖艶な色気を含む瞳の中に、冷徹な光を見つけ警戒する。

「なんだか、ほんと隠し事なんて、できないって感じだな……。何もかもお見通しでまいっちゃうよ」

 アートンは、女の観察眼を褒めておき、嘘くさい照れ笑いを浮かべる。

「その……」と、必死に笑いながら、アートンは次のハッタリを考える。

「今はもう、関係が切れたんだけどね……」

 アートンが新しい嘘を口から出そうとしたが、さすがにこれは躊躇して途中で言葉を止めてしまう。

 あまりにも身勝手な嘘で、いくらなんでも口に出すのがはばかられたのだ。

 しかし、そんな言い淀んだアートンに興味を持つ女。


「む? なんじゃ? 気になるではないか、せっかくじゃ、最後までいわんかい」

 文章としてはキツい印象だが、非常におっとりとした口調で、女はやんわりとアートンに食いついてくる。

 どうやらアートンの「興味を引く」という作戦は、今のところ成功している感じだ。

 ここでアートンが、芝居ではなく本気で考え込む。

 そして、「すまん、ヨーベル!」と心の中で謝罪をしてから語りだす。


「そ、そうだな……。今はもう別れちゃったんだけど、市庁舎で働く元カノがいてね。未練たらしい男だよ、そっちもなんか気になってさ。見つかるわけないのに、思わず探してしまったんだよね……」

 自分でいってて、情けなくなる嘘に複雑な気持ちになるが、その気持ちが嘘芝居に真実味を持たせることになった。

「ほうほうほう~。にぃさんほどの、ルックスの男を捨てるとはのぉ。よほど男に困ることのない、魔性の女だったのかねぇ。魔性の女というのは、人を惑わせ、人生を大きく狂わせますからのぅ……」

 やけに含んだいい方をして、女は怪しくフフフと笑う。

 まるで、自分もそうなんだということを、暗にアピールしているかのような、自惚れぶりをアートンは感じた。

 しかし事実、目の前で笑う女には、その言葉が不思議と似合う雰囲気を持ち合わせていると感じた。


「金の切れ目が、縁の切れ目ってヤツさ。あそこが倒産して職なしになった途端、捨てられちまってね。ハハハ……」

 自己嫌悪マックスになりながらも、嘘をついて自嘲気味に笑うアートンを、もうひとりの自分が苦笑う。

 ヨーベルを勝手に彼女認定して、「捨てられた」という事実無根の追加設定まで添付。

 これで、情けなくならない男などいないだろう……。

「ホホホ……。にぃさんは、愉快なお人じゃのう。いろいろ自分からお話ししおるから、一緒にいて飽きませんわい。寡黙が男の美徳と考えておる御仁は、わしとしては好かんのでなぁ」

 何気ない女の言葉が、アートンの心にグサリと刺さる。


 逆境的状況を打破するため、嘘を話すのは仕方ないかもしれないが……。

 実は、今の女の言葉そのものが、アートンの人生にとって、急激な転落をもたらした本質でもあったからだ。

 クリティカルヒットした言葉の刃の痛みを隠し、アートンはまたピエロを演じようとする。

「いやぁ、なんていうの? なんか正直に話さないと、許してくれそうもないもんだからさ」

 アートンの言葉に、また女が口元に手を当ててホホホと笑う。

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