64話 「悪夢の展開」 後編

「なんてこった、最悪じゃないか……」

 折り曲げた人差し指をガリガリ囓りながら、アートンは市庁舎の入り口を見てみる。

 入口のエントランスには完全武装のエンドール兵士が目を光らせ、市庁舎のドアマンが、やってくる高級車からの来賓を迎えていた。

 とてもじゃないが、あそこを無関係の人間が侵入するなどできそうもなかった。


「その女神官さんは僧衣を着て、完全に女神官の格好をしてましたか?」

「あんた、自分が何いってるか、もうわかっておらんのか?」

 老婆が、呆れたようにアートンに訊き返す。

「金髪の綺麗な、若い女神官が入っていったと、いいましたじゃろうて」

「ああ、そうだよね……」

 老婆の言葉に、力なくアートンは笑う。


「あそこには……。エンドールの偉いさんが、集結してるんだっけ?」

 アートンは、老婆が読んでいた新聞を見てそう質問してみた。

 どうしてそんな質問をしたかというと、紙面にエンドール軍の司令官代理の、パニヤ中将の写真を見かけたからだった。

 もうヨーベルとは関係ない話題だとわかっているが、朦朧とした脳が、自然とそんなセリフを話させたのだ。

「そりゃもちろん、全員集合だよ。何かと出たがりの、なんとかという将軍様もいるよ!」

 花屋の老婆が、パニヤ中将の記事が載った新聞を見せてくれる。


「ああ、パニヤ中将さんだっけか」

 ため息混じりでアートンがいい、聳え立つ市庁舎を見上げる。

「人の名前は、もう覚えられなくてねぇ。ハーネロ戦役で活躍した、名将軍の子孫だとかいわれとりますな」

 老婆が、パニヤ中将の顔写真を指差す。

「やたらチヤホヤされて、サイギンではまるでスター扱いでさぁ。確かに名門の出で、ルックスもいいけどねぇ。でも、あたしゃ、あんまり好みじゃないねぇ。大根役者っぽい感じが、どうも好きになれなくてね。何をするにも芝居がかって、軍人さんらしい無骨な感じがしないからねぇ、この人は。やっぱり軍人ならば、もっとこう殺気立った感じを、醸しだしてくれんとねぇ! うちの死んだ旦那は、戦役を生き残って、この界隈では相当恐れられた強面でしたわい!」

 花屋の老婆は、何故かヒートアップしてきてペラペラしゃべりだした。

 しかしまた黙ると、アートンを胡散臭気な視線で見る。

 アートンがまるで人の話しを聞かず、ひとつの記事に注目して、心ここにあらずの様子だったからだ。


「パニヤさんが、気になるかい?」

 老婆にいきなりそういわれ、記事を目の前にだされたのでアートンは思わず我に返る。

「あ、すまない、考え事してて……。ん? ああっ!」

 ぼんやりとしていたアートンがいきなり、記事を前にして大声を上げるので、花屋の老婆もビックリする。

 突然の大声で周囲から注目されたので、アートンは咳払いをして平静を装う。

「なんじゃい、おにぃさん! わしを、ショック死させる気かい!」


「し、失礼……」

 見ると花屋の老婆が、またアートンを怪訝な表情で見ている。

 真一文字に結んだ口元が、シワシワになっている。

「なあ、おにぃさん」

「ん?」

 花屋の老婆の怪訝な表情と質問に、アートンは身構える。

「あんた、あの娘の何なのさ?」

 老婆が目を細めて、アートンに訊いてくる。


「えっと……。まあ知り合いというか、そんな感じだよ……」

 アートンの、しどろもどろな回答に、さらに胡散臭げな表情で見てくる花屋の老婆。

 死別した旦那が界隈を牛耳っていただけあって、その貫禄は彼女にも、まだ受け継がれているかのようだった。

「なんか、ハッキリせん男だのぉ! 煮え切らん男は、いくら外見が良くても、愛想尽かされるよ!」

 花屋の老婆が、アートンの脆弱ぶりを叱責する。

 いわれていい返すこともできないアートンだが、視線は老婆の手に持つ、新聞の写真に向けられていた。


「じゃあ、とりあえずじゃなぁ……。あの娘の、知り合いだというんなら」

 花屋の老婆が新聞をたたんで、何かをいおうとしてくる。

「な、なんだい?」

 アートンは、新聞に掲載されている写真をまだ眺めつつ、チラリと老婆を見る。

「あの娘にあげた、お花の代金もらえませんませんかのぉ? あげたのに、金取るのもなんじゃがなぁ。孫に土産、買って帰ってやりたくてねぇ」

 急に代金を要求してくる老婆に、アートンは面食らう。


「そ、そうしてあげたいのは山々なんだが……。俺、今金持ってないんだよ……」

 情けなそうな声をだして、無一文なことをアートンは告白する。

 ここでまた、老婆の目つきが険しくなる。

 繁華街に出掛けるのに、金を持ち歩かない男がいるとは思えないので、アートンの言葉を嘘だと思い込んだのだ。

 最初は、ルックスのいい若いアートンに話しかけられてうれししそうだった花屋の老婆も、今ではすっかりアートンのことを、頼りなさげで信用に値しない男として見るようになっていた。


 その空気を露骨に感じたアートンも、さすがにこれ以上、ここでの情報収集は無意味と考えた。

 一番知りたかったヨーベルの情報は、最悪の形だが訊けたのだ。

 次に立ちはだかるは、ネーブに会いに市庁舎に入ったというヨーベルと、いったいどうやって接触を図るかという超難関だった。

 今はもう、老婆からどう思われてるとか、関係ない次元なのだ。

 そんな時、後ろから聞き覚えのある女の声が聞こえてくる。


「代金っていくらよ?」


 横にいきなり現れたアモスの姿を見て、アートンは飛び上がらんばかりに驚く。

「ええええええっ! ア、アモスぅっ!?」

「このダメ男の変わりに、あたしが払ったげるわよ。ほんと、オロオロして、あんた無様よねぇ」

 アモスが財布から一万フォールゴルド札を出し、横目でアートンを蔑むように冷笑する。


「な、なんで、おまえがここに?」

 アートンが激しく狼狽して、椅子から立ち上がる。

「そりゃこっちのセリフよ、能なしの間抜け~」

 アモスが花屋の老婆に、お金を渡しながらいう。

「釣りはいいわよ。全部もらっておきな」

 アモスの言葉に、老婆はお札を手にして、神に感謝するような仕草をする。


「だから、なんでここに来たんだって?」

 アートンが再度アモスに尋ねる。

「うっさいわね! おんなじ質問何度もすんな、ボケ! アホがまた、何かやらかして、オロオロしてるようだから。こうして、参上してやったんじゃないのよ! ありがたいと思えよな! こんな心強い仲間が、身内にいてよぉ!」

 アモスの一気にまくし立てる言葉に、アートンはぐうの根も出ない。

 そんなアートンの様子を見て、アモスは冷笑する。

「それによぉ……。助けてやんよ、っていってやったろぉ? んん? 今度はどんな失態やらかした? 怒らないから、まずは正直にいってみな? んんん~?」

 アモスの言葉から、最大限の愉悦を感じ取ったアートンが言葉に詰まる。

 今回は、アートンの失態は何もないのだが、この状態のアモスの前では、アートンは何もいえなくなるのだ。

 アートンは完全に萎縮してしまい、ヨーベルのことを上手く説明できないでいた。


 そんな狼狽しているアートンのすぐ後方のベンチに、ひとりの男がうなだれるように腰掛けていた。

 その男は、ヒロトと一緒に良からぬ計画を企てていた反エンドール集団の、例の青瓢箪のような貧相な男だった。

 手には酒瓶を持ち、すっかり酔いが回っているようで、赤い顔にでき上がっていた。

 アモスはリアンと別れたのち、結局しばらく考えた上、彼のいいつけ通りいちおう青瓢箪の行動を監視していたのだ。

 その行動を追っているうちに、偶然ここまでやってきてアートンと遭遇したのだった。

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