62話 「教会の下馬評」 前編

 目的のバスに、アートンとバークはなんとか乗車できた。

 座席に並んで座ることができ、車窓側にバークが座った。

 バークはまだ息が上がって苦しそうで、隣のアートンが心配している。

「ありがとよ、平気だよ。さすがに俺も三十七だからな、体力の衰え著しいよ」

 苦笑いをしながらバークが呼吸を整える。

「その件だがな、俺、アモスと話しつけるから」

 アートンが力強くそう宣言する。

「ん? なんかそういや、そんな話ししてたな? それって、どういうことなんだ?」

 バークがアートンに尋ねる。


「稼ぐのは俺がするから、あんたは宿で情報収集してるといいさ。いくらアモスが鬼だからといって、仲間を潰すような労働を、強制させたりしないだろ。だから、あんたは明日から、仕事行かなくても大丈夫だよ」

 アートンが、まだ息の荒いバークにそう提案する。

「そ、それはありがたい提案だが……。俺たちふたりそろって、あそこに勤務しただろ? その片方がいなくなったら、おまえに対する当たりも強くならないか?」

 バークは例の小煩そうな、ちっこい現場主任を思いだして不安になる。


「その辺は覚悟の上だよ! それに、これでもあの職場では、実績を見せつけたからな、なんとでもいいくるめるよ。だからあんたは身体を酷使せずに、明日からは仕事は俺に任せて、情報収集頑張ってくれ。俺のほうで、きちんと話しつけとくしさ。適材適所ってやつだよ。あんたの情報収集がザルだった場合、最悪、俺たち全員が困ることになるんだからさ」

 アートンがいおうとしてるのは、当然マイルトロン以降の帰路のプランについてだ。

「そ、そうか……、正直ありがたい申し出だよ。そうしてくれると、俺も助かるよ……。あの体力仕事、かなり限界だったからな……」

 バークは、アートンに対して深く礼をいう。


 話しが一段落し、アートンとバークはしばらく無言でバスに乗車していた。

 バークも呼吸の乱れがなくなり、静かに車窓から見える景色を凝視していた。

 アートンとバークのふたりが見つめるのは当然、市庁舎の巨大な姿だった。

 想像していた以上に巨大な市庁舎にどんどん近づいてくると、ふたりともソワソワしだす。

 バスの中にはそれほど乗客はおらず、エンジン音と時折聞こえる運転手のアナウンスしか音がなかった。


 市庁舎付近の停留所辺りから、役人ぽい人間が乗車しだすと、アートンとバークはコソコソと身をよせあい、深刻な表情で話し合いだした。

 ヨーベルの理解不能な、誰にも相談せずに独断で行動したことの意外性。

 バークとアートンにとっても、予想外すぎた行動だったのだ。

 かなりフリーダムな性格な女性であるのは理解していたが、まさか何の相談もなしに勝手に行動するのは、想定の範囲を超えていたのだ。


 そしてアートンとバークのふたりが、共通して思う最大の疑問。

 なんでネーブ主教に、会いにいったのか?


「宿の女将がいうにはさぁ。ネーブに会って、いろいろとお願いごとを聞いてもらう、といっていたが……」

 そんなことが、不可能に近いことは誰でもわかるし、まさか実行に移そうとする人間がいるとも思ってもいなかった。

 バークが腕を組んで、ヨーベルの思考を理解しようと考え込む。

「そういやさ、確認したいこともあるとか、いってたよな?」

 アートンが女将の言葉を思いだし、バークに尋ねる。

「だな……。何を確認しようと、したんだろうな……」

 ヨーベルの思考を考えてみたが、何も思いつかないバークは肩をすくめて考えを放棄する。


「まったくもって、わからないことだらけだよ。とにかく、彼女のやろうとしたことを考えるより、彼女を連れ戻すことに、今は全力を尽くそう」

 バークがそういい、車窓から見える市庁舎を見上げる。

「そ、そうだな、なんとか捕まえられるといいんだが……」

 アートンが目頭を押さえ、真っ暗な視界の中に、ヨーベルの元気な姿を思い描く。


 市庁舎付近になると、停留所から人の乗り降りも多くなり、バスの中の人口密度も高くなる。

 窓の外には、エンドールの正規兵の姿も、かなり確認できるようになっていた。

 ネーブに会いに行くといっていたヨーベルだが、市庁舎付近の警備の厳重さは報道でも知っているはずだ。

 少し考えれば、すんなり、目的のネーブに会えるわけないだろう。


 だがしかし……。


 宿の女将の話ではヨーベルは、ジャケットの下にオールズ教会の僧衣を着込んでいたという。

 ヨーベルが女神官として、同じ教会の人間として、ネーブ主教に接触する考えなのは間違いないだろう。

 バークとアートンのかすかな希望を壊してくる、最大の不安要素だった。

 最悪、女神官という見た目に騙されて、すんなりネーブ主教との面通しができてしまう可能性もあったのだ。

 バークとアートンは、窓から見える巨大なサイギン市庁舎を見上げながら、必死に不安と焦燥感を押さえ込もうとしていた。

 バスが、いちいち停留所や信号で停まるたび、心を落ち着かせるように深くため息をつく。


 周囲に乗客がいないことを確認したアートンが、こっそりバークに尋ねる。

「ネーブっていう神官の悪評は、だいたい知っているが……。ヨーベルは当然、それらを全部理解して、会いに行ったんだよな」

 アートンが、人差し指を曲げてそれを噛みながらいう。

「なんかやけに、ネーブのこと調べていたのも、このためだったんだろうか……」

 アートンが、不自然なまでにネーブ主教にこだわって、関連記事をヨーベルが読み込んでいたことを思いだした。

 しかしまさか、直接接触するという暴挙に出るなんて予想不能だろう。


「件のネーブ主教だが……。人に対して、危害を加えるといった粗暴さはないよ。だが、無類の女好きで、悪名高い男だからな……」

 ここ数日の間に、改めて再認識させられた、ネーブ主教の悪癖を思いだしてバークはウンザリする。

「みんなを助けてもらいにお願いする、とかいってたらしいが……。どう助力を、乞うっていうんだ? 正直俺には、最悪の展開しか見えないんだよな……」

 アートンが頭を抱えてうずくまると、思わず前座席に頭がぶち当たってしまう。

 すぐさま、前の座席の乗客にアートンは謝罪をした。

「ヨーベルが、そんな尻の軽い女性とは思えないがなぁ」

 バークはそういうが、女性の貞操観念にはアートンは多少の疑惑を持っていた。

 彼にとっての経験則が、そういう要らぬ疑惑を抱かせるのだ。

「彼女のことを、今は信じるしかないさ……」

 朴念仁ぽいバークの言葉には真剣さこそあれ、重さがないのが悲しい。


 バスの車窓から、ネーブ主教の上半身を描いた巨大な看板が見える。

 どこまでも自己顕示欲の強い男なんだろう。

「改宗は今すぐネーブ主教にご相談!」

 そんな文言が書かれ、ネーブの営業力の高さをふたりは嫌でも目にする。


「しかし、あんな典型的な生臭坊主が、どうして教会では権力を持ってるんだ? 俺が知るオールズ教会ってのは、もっと荘厳で権威を大事にしてさぁ。ネーブのような俗物が、堂々と幅を利かせるような、組織じゃなかったはずなんだが・・・」

 アートンが、至極当たり前の疑問を口にする。

 確かにオールズ教会は、ここ数年で大きく変貌したのだ。

 以前はもっと内向的で、信じられないことに、ほんの数年前までは異端審問といった、前時代的な悪習も平然と行われていたのだ。


 そして外部に伝わるオールズ教会の情報といえば、教団幹部たちの権謀術数の数々で、ネーブのような異質な存在は、すぐさま粛清されてもおかしくないほど窮屈な組織だったはずなのだ。

 もちろんアートンが、服役期間に大きな変化があったのだろうが、それでも豹変しすぎだろうと、彼は解せない気持ちでいっぱいだった。

「しかも、ネーブなんて俗物の塊が、オールズ五主教のひとりだなんて……。絶対おかしいだろ!」

 アートンが拳を握り、理不尽さを憤る。

 若干興奮気味だったので、バークがアートンをたしなめる。


「バフロイ大主教体制の、七不思議のひとつだよ……」

 バークが、現在オールズ教会の最高位に就いている人物の名前を出す。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る