61話 「権勢の肉塊」 後編
「……ミシャリ・デスティラか」
ストプトンが、露骨に怪しい女神官のその名前を覚える。
「ほうほう! ミシャリちゃんかぁ!」
ネーブ主教が、ミシャリと名乗ったヨーベルの手を引っ張る。
「そういうことに~、しておいてください~」
「そういうことに?」
ヨーベルの言葉に、ネーブが不思議そうな顔をする。
「なかなか、興味深い娘じゃの~」
ネーブが喉の奥まで見せつけるように、ガハハと豪快に笑う。
ミシャリと名乗った、謎の女をつれていくネーブ主教をストプトンが見送る。
ネーブ主教の周りにいる有象無象が、ホテルの上階にあるレストランに向かって、大移動を始める。
オールズ神官もいれば、その護衛役として売り込んできた傭兵連中もいる。
ネーブが、一時的に気に入ってつれ回す、使い捨ての売女連中もつき従う。
そして、ネーブの利権にあやかろうとする連中が、ヘコヘコとネーブのあとをついていく。
ストプトンには、もうすっかり見慣れた光景だった。
ストプトンはネーブの側近として推薦されたが、彼の馬鹿騒ぎには参加せず、事務的な手続きをメインに従事していた。
ストプトン直属の上司が、ストプトンの堅物さと面白味のなさを見抜き、ネーブの側から離していたのだ。
ストプトンが一緒だと、自分たちの評価も「つまらない」とのレッテルを張られると、思ったからのようだった。
しかしストプトン的には、逆にありがたい対応だった。
あんな俗物、権力があるから今は接近しているが、ストプトンの中には確固たる野望が存在していたのだ。
うやうやしい姿勢のその下で、ストプトンは冷めた目をしてネーブたちの大移動を見送っていた。
ようやく、エントランスの喧騒が少なくなる。
エンドール兵たちが、さっきまでの騒々しさをコソコソと話しているが、ネーブ主教の悪口は聞こえない。
エンドール軍にとっても、ネーブは特別な存在なので、悪くいうことなど口が裂けてもいえる立場ではないのだ。
そんなエンドール兵たちが、ずっとネーブを待っていた、謎の女について話していた。
(俺の興味も、あの女だな……。もちろん、低俗な理由などではなくな)
何故か言い訳がましく、そんなことをストプトンは思う。
ストプトンは、謎の女神官のボディラインを褒めあってる兵士たちを一瞥して、フロントに向かって歩きだす。
きっとフロントの人間なら、何かしら彼女と会話したはずだから、少しは新しい情報が入手できるはずだ。
ストプトンは、あの女神官に対して興味と明確な不信感を抱いていた。
(あの女神官の素性……。まず、女神官であるのは嘘だろう。では、あの僧衣を、どこで手に入れたのか? ミシャリ・デスティラというのも、偽名に違いない)
何よりも、仲間という存在が気にかかる。
先程は泊まっている宿を忘れた、などというくだらない理由で、その調査が頓挫したが、そんなことあり得るとは思えない。
きっと知られてはいけない、大きな理由があるに違いないとストプトンは思っていた。
頭の中で、あの女神官への疑惑をまとめながら、ストプトンは顔馴染みになったフロント長に声をかける。
ストプトンに気がついたフロント長が、丁寧な一礼をして彼を出迎える。
「可愛らしい人ですが、疲れましたでしょう? いやぁ、わたしもですよ。しかもなんだか妙に、しつこくてねぇ」
フロント長が珍しく自発的に、軽い口調でストプトンに語りかけてきた。
愚痴っぽい内容だが、ストプトンはどこかうれしげな印象を受けた。
同じように堅物な人物と思っていて、親近感を勝手に感じていたストプトンは、フロント長の軽薄な態度に若干幻滅する。
しかし内心の幻滅を表に出さず、鉄仮面と陰口をたたかれるストプトンは、いつものようにフロント長に尋ねる。
「……かなり待った、といっていましたが。彼女、相当粘っていたのですか?」
「ええ、一時間近くウロウロしてましたね」
ストプトンの質問に、丁寧に答えるフロント長。
ストプトンが時計を見て、十八時前後に来たのかと確認する。
「見た目がほら、完璧な神官さまですし、邪険にするわけにもいかず……」
「誰も他に、声をかけなかったのですか?」
フロント長にストプトンが尋ねる。
「誰がどう見ても、完璧な女神官さまですからね。おいそれと、お声をかけるわけにも、いかなかったのではないでしょうか? もしネーブ主教さまと、懇意のお方だった場合、あとが怖いですからね」
フロント長のいい分も、ストプトンはわからないわけでもない。
「ところで例の彼女ですが、名前を名乗りましたか?」
「ええ、当然控えてありますよ」
フロント長は、台帳をパラパラとめくる。
いつもの丁寧で紳士的な所作に戻り、ストプトンは勝手によしよしと思う。
几帳面なストプトンにとって、彼の所作や台帳に記入された達筆な文字は、彼の美意識を満足させるものなのだ。
(先ほど見せた下衆い印象は、見なかったことにしておくよ……)
ストプトンが、勝手にそんなことを思っていると、階段の踊り場付近から視線を感じる。
そちらを見て、ストプトンは眉をしかめる。
見れば武装した戦闘員らしき集団が、ストプトンに向けて指を差し、盛り上がっているのだ。
彼らはストプトンにとって旧知の関係で、今回の戦争をきっかけに、この街で約十年ぶりに再会を果たした連中だったのだ。
珍しい物を見るように、好奇の目で見られるストプトンだが、ホテル側からしたら彼ら戦闘員のほうが奇抜な連中であったろう。
「お~い! ミルドちゃ~ん!」
自分のファーストネームを呼ぶ下品な声がして、ストプトンは思わず舌打ちをしてしまう。
「お、遅くなって申し訳ありません……。もう少しで、見つかると思いますので」
舌打ちを自分に向けられたと思ったフロント長が、申し訳なさそうにストプトンに謝罪する。
「あ、いや、今のはあなたではなく……。申し訳ない、ちょっと旧知の人間が、ふざけていたもので……」
ストプトンは若干焦り気味だが、それでも冷静に表情を崩さずにフロント長にいい、彼を安心させる。
踊り場付近でストプトンを大声で呼び、たむろしていた戦闘員が、正規のエンドール士官から注意を受けているのが見えた。
場を占領するように、騒いでいたので当然だろう。
さっそく追い払われる、腐れ縁のある旧知の戦闘員たち。
今回戦争に参加している特別戦闘員は多く、さっき騒いでいた連中は数々の功績を立ててきた、通称「サルガ」と呼ばれる精鋭部隊の一員だった。
そんな精鋭部隊「サルガ」も、軍のヒエラルキーの前には簡単に追い払われるだけだった。
会いたくもなかった旧知の連中と、不本意な邂逅を遂げたストプトンだが、別段喧嘩別れをしたわけでもないのでそれほど嫌な気分でもなかった。
幾人かは親友とも呼べる人間もいるし、リーダーである人物には、今でもネーブ主教同様の畏敬の念を払っていたほどだ。
ただその大多数が、自分とはウマの合いそうもない下品な連中なので、再会は一長一短といった感じだった。
騒ぎまくっていたサルガの戦闘員が、エンドール士官に追い立てられるように、ストプトンの視界から消えていく。
ため息をひとつついたところで、フロント長が目的の名前を発見したようだ。
「ああ、ありました、ありました! ヨーベル・ローフェですね」
フロント長の言葉に、ストプトンが固まる。
そして、もう一度尋ねる。
「ええと、ヨーベル・ローフェですね」
再度、フロント長がそういう。
「ヨ、ヨーベル?」
ストプトンが、解せないといった表情をして、もう一度その名前を復唱する。
「ええ、ヨーベル・ローフェとなっていますが……。何か問題でも、ありましたか?」
フロント長も、ストプトンの反応に不思議そうな顔をする。
(……どういうことだ? ミシャリ・デスティラと名乗ったのはなんなのだ?)
ストプトンが、眉を潜めて考え込む。
フロント長が何かをいってきているが、もうストプトンには耳に入ってこなかった。
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