61話 「権勢の肉塊」 前編

「おおおおお~いっ! ストプトンやぁ、そちらの女神官殿は誰じゃぁ?」


 大勢の人間を引き連れたネーブ主教が、フロントで話し込んでいるストプトンに声をかけてきた。

 目ざとく女神官の姿も見つけ、さっそく興味を持ったようだ。

 ネーブは、もうすでに半裸のような女を数人、その周囲に侍らせていた。

 その周りには、物々しい護衛役をさらに多く侍らせている。


 完全武装の護衛兵たちが、周囲の安全確認をしながらフロア中を散開する。

 そんな物騒な連中のやることなど気にも留めず、ネーブ主教は騒ぎで振り返った女神官の顔を見て、飛び上がらんばかりに興奮する。

「おおおおおっ! おっほほぉっ! こ、こちらの神官さまはどなたじゃ?」

 ネーブが謎の女神官の顔を見るなり、巨体を揺らして、ドスドスと地鳴りを響かせるように駆けよってくる。

 突然のネーブ主教らしからぬ機敏な動きに、周りの取り巻きたちも、驚いたようにあとを追いかける。


「ええと、こちらは……」

 ここでストプトンが、自分の失態に気がつく。

 女神官の名前を訊くのを忘れていたのだ。

 あり得ない初歩的なミスだった。

 女があまりにも怪しすぎて、名前以外のことに、興味が集中してしまっていたのだ。


「あなたがネーブさんですか?」

 いきなり不躾に問いただす女神官に、ストプトンが表情を曇らせそうになる。

「むほほ? おうっ! いかにもいかにも、わしがネーブであるぞぉぉっ!」

 ネーブ主教は無礼な女神官の誰何にも、堂々と答える。

 細かいことをあまり気にせずに、激昂することもほとんどないという、ネーブ主教の懐の広さは、かなり好意的に知られていた事実だった。


「わぁ、良かったです~。もう会えないかなぁって思って、帰ろうと思ってたんですよ。こちらの神官さんは、なかなか話しが通じないですし~」

 指を差し露骨に批判してくる女神官の言葉に、ストプトンは面食らう。

 不貞腐れたように、ネーブ主教にいう女神官の態度に、ストプトンは鉄仮面を維持するのに必死だった。


「ぶひゃひゃひゃひゃぁ! この男は、真面目なだけが取り柄の男だからのう、そういってやらんでくれや」

 ストプトンの肩を、ポンポンとたたいてネーブ主教が豪快に笑う。

「こやつ、笑うこともないからのぉ! だが、優秀なヤツじゃ、許してやってくりぃ!」

 ストプトンは静かに頭を下げて、ネーブ主教からの評価を受け入れる。

 そして、ネーブ主教は物珍しげに、ヨーベルをマジマジと眺める。

 見れば見るほど極上の女なのだ。

 女神官の格好をしているのが不思議に思ったが、そんなことは彼女の容姿の前では、どうでもいい問題だった。


「して、わしに要件とな? 何じゃ何じゃ?」

 興味深そうにネーブ主教が、女神官に涎を垂らしながら尋ねる。

 ストプトンは、そんなふたりの様子を無言でうかがっている。

「実は、ですね~……。ネーブさまを見込んでの、お願いがあるんですよ~」

 ヨーベルが、甘えたような声を出してネーブ主教にいう。

「ほうほう! 何じゃ?」

 ネーブの気持ち悪い蛙のような顔が、更にニヤけて真っ赤になる。

 そこで、ネーブはポンと手を打つ


「そうじゃいっ! そなたも、夕食一緒に食べるんじゃ! 話しはぁ、そっちでじっくり聞くぞぉぉっ! どうじゃぁ?」

 ネーブ主教が、ヨーベルを今夜のレストランでの会食に誘ってきた。

「え~、どうしよう……。早く帰らないと、みんな心配しそうだし……」

 ここで女神官が露骨に迷う。

 さっきいっていた、「みんな」というのが気になるストプトンだが、黙っていることに。

 この女は、天然の馬鹿が入っているようなので、自分からペラペラ喋ると踏んだのだ。


「良いではないか、良いではないか。なんなら、人をやってその旨、伝えさせてもよいぞ。みんなというと、同じ神官仲間かぇ?」

 ネーブ主教が女神官にいう。

「う~んと、違います~。仲間は仲間なのです~。一蓮托生の、大脱出チームなのですよ~」

 ヨーベルはそんなことをいって、どこか誇らしげ。

「むむむ、気になるのぉ~。まあよいわ、あとで教えておくれよぉ~」

 ネーブ主教は残念そうにいい、ストプトンに向き直る。


「では、わたしがその役目引き受けましょう」

 ここでストプトンが、進んで雑用を引き受ける。

 彼はネーブ主教の下では、過去の実績を隠し通し、進んで人の面倒がる雑用を率先して行っていた。

 後発でネーブ主教に仕えた身として、先輩連中から目をつけられるような、愚行を避けていたのだ。

「ほれ、ストプトンもこういっていおるぞ。こやつは優秀じゃ、そなたの不安も一発解消じゃぞい!」

「で、でもですね……」

 女神官は必死に、懐中時計をいじりながら考えている。


「困っちゃった、ことにですね……。わたしたち、なんて宿に泊めてもらってるか忘れちゃって……。ファーファー亭だったかなぁ? なんだろう、思いだせないのですよ~」

 照れた笑いを浮かべながら、舌を出してそんなことをいう女神官。


(……なんなんだ、こいつは? 冗談でいっているのか!?)


 ストプトンの鉄仮面が崩れそうになるほど、驚愕の表情で女神官を見る。

「ブフョホホホッ!! 実に面白いお嬢さんだ! とりあえず、ここでは何じゃぁ! 食事をしてれば、そのうち思いだすじゃろう。さ、行こう、行こうぞ」

 そういって、ネーブ主教は女神官の手をつかむ。

「ねっちゃりしてます!」

 そういってネーブ主教の手をバン! と払うヨーベル。

 ストプトンだけでなく、周囲の人間が驚愕の表情を浮かべる。


「ブヒャッ! すまぬすまぬ~! これならどうじゃ!」

 ネーブ主教は、自分の僧衣で手をゴシゴシ拭いて、再度ヨーベルの手を繋ぐ。

「う~ん、まあいいです。良しとしときます!」

 サムアップする女神官。

「でも、わたしの手も青臭いですよ! あ、これお土産でした、どうぞ!」

 女神官は、一輪の花をネーブ主教の目の前に出す。

 すると、その花にバクリとかぶりつくネーブ主教。


「わぁ~、なんかすごいです!」

 女神官が関心したように、花を茎ごとムシャムシャ食べるネーブに拍手をする。

「ブヒョヒョ! お土産ありがたくいただきましたぞぉぉっ! じゃあ、夕食会に出発じゃぁ!」

 ネーブが、クルリと後ろの取り巻きたちに向かって宣言する。

 ネーブ主教の宣言で、大盛り上がりになる取り巻きたち。

 エントランス全体が、異様な雰囲気と熱気に包まれるが、これはいたって日常的な光景だったりする。


「う~ん、そうですねぇ……。いちおう宿の若作りオバさんには、わたしがここに行くってこと、伝えてたし……。大丈夫かなぁ……」

 不安そうに、ヨーベルはそんなことをいう。

「なぁら、よいではないかぁぁっ」

 下劣な顔をしながら、ネーブはヨーベルの腰に手を回す。


「え~、ネーブさま、その人神官さん~?」

 ネーブ主教が連れていた、綺麗だが頭の悪そうな、布面積の狭い女たちが騒ぐ。

「おうっ! そうじゃ! 仲良くしちゃれ? そうそう、お嬢さん、お名前はなんというのかのぉ?」

 ここでネーブ主教が、ヨーベルに名前を尋ねてくる。

「え~と……」

 ここでヨーベルは一瞬考えた。

「ミシャリです! ミシャリ・デスティラっていいます~!」

 わずかな時間で、ヨーベルはミシャリという偽名を何故か出してくる。

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