60話 「注目の女神官」 後編

「その面白いネーブさんに、直接お願いしたいなぁって」

 ここでヨーベルが、甘えるような声を出してくる。

 普段はあまり見せないような猫撫で声なのだが、実は彼女はジャルダンでは看守相手に、よく使っていたのだ。

「魔性の女」として後生語られることになる、ヨーベル・ローフェという魔女の片鱗を見せる。

 目の前の怪しすぎる女神官の言葉に、さすがのストプトンも考え込んでしまう。


(さて、この女、どうしたものか……)


 ストプトンは直面してしまった、今までにない奇妙な出会いに、逡巡してしまっていた。

「わたしでは、ダメですかな?」

 試しにストプトン自身が、要件をうかがうと提案してみた。

「あなたなんかより、できたらもっと偉い人がいいなぁと思って~。ネーブさんじゃないと、ダメなお願いなので~」

 申し訳なさそうにいうヨーベルだが、ストプトンは完全に見下されている。

 彼女は悪びれる様子もなく、サラリとそう返してくる。


「……そ、そうですね」

 必死に平静を装いながら、ストプトンは言葉を選ぶ。

「要件を簡単にでもお教え願えると、わたしもネーブ主教にお伝えしやすいかも、しれません……」

 さすがのストプトンも感情の起伏が現れてきたようで、後半の語尾が意に反し怒りで震えていた。

「なぁるほどです! じゃあ、あなたでもいいか~!」

 ヨーベルはビシリと、ストプトンに右手人差し指を突きつけてくる。

 いきなりの失礼なものいいと態度に、ストプトンの表情が強張る。


「えっと~。お願い、っていうのはですねぇ……」

 女神官の猫撫で声のような甘え声が、ストプトンの感情を昂ぶらせていく。

「あの気持ち悪いけど、偉い主教さんに“ あること ”を訊いてみたくって。主教さんなら、ひょっとしたら知っているかもと思いまして。まさか、知らないことないですよね?」

 ここでネーブ主教に対して、挑発的な言葉を投げかけてくる女神官。

 ここまでくると、ひょっとしたら誰かが自分を試してるのではないか、ともストプトンは思いだす。

 どこかでこの会話を監視して、自分の行動を推し量ってるのではないかとも思えてきたのだ。

 ネーブ主教に就いた中では、比較的新参者のストプトン。

 隠してはいたが、彼の経歴を暴いた人間がいて、試しているとか……。


 ストプトンは深呼吸すると、それとなく周囲の人間が自分を監視していないかチェックしてみる。

 しかし、やたら注目を集めていた女神官との対応を、好奇の視線で見つめている人間は多かった。

 ここまで視線が集まっていると、小馬鹿にされているか否かを確認するすべがない。

 というか、もうこの状況に持ち込んだ時点で、ストプトンに悪意ある者がいたとしたら、連中の思惑は成功しているだろう。

 だとすれば、ここでは冷静な対応をして監視者の鼻を明かすように、女の素性を見極めるべきだとストプトンは判断した。


「あること、といいますと?」

 冷静になると、女の言葉に対する怒りも失せて、興味深さが再び湧き上がる。

 目の前の頭の悪そうな女神官は、意外とストプトンの興味を引くようなことをいってくるのだ。

 ストプトンに対して、視線を一切逸らさずにニコニコとした目で見てくる女神官。

 ここまで、邪気を感じさせない人間も珍しかった。

 これが、この女としての最強の武器なのかもしれないが。


「あることは、あることなのです。できれば、ネーブさんに直接いいたいのですよ~。あなたは、ゴメンナサイなんですよ~」

 ストプトンなど眼中にないといった感じで、ハッキリという目の前の女。

 どうもこの点は譲れないようで、素直に諦めざるを得ないかもしれない。

 さいわい、ネーブ主教の回りには、彼の財力にあやかりたい有象無象や、屈強な護衛役も多い。

 この女が良からぬことを企てる刺客だったとしても、ネーブ主教を害することはほぼ不可能だろう。

 だから門前払いせずに、ネーブ主教との面談まで持っていっていいと思っていた。


「あとはですね~。お金持ちのあの気持ち悪い神官さんに、お金の都合もしてもらいたくって~。あ、気持ち悪いって、失礼ないい方ですね」

 ヨーベルの言葉に「いまさらかよ」と、思わずストプトンは心の中で突っ込んでしまう。

 しかも悪びれることもなく、オールズの高僧相手に、堂々と金の無心まで要求しようとする。

 ストプトンはここまでくると、この女に対して、好奇心を超えた畏敬の念まで感じだす。

 目の前の女神官への怒りなど、消え去っていたほどだった。

「この女の正体を、知りたい!」と、ストプトンは純粋にそう思うようになっていた。


 ネーブ主教の連れ回す売女連中は、いかにも知性の低い低能淫売がほとんどだが、目の前の女は、それだけではない素質を持っていると直感したのだ。

 この女も、どこかで知り合った売女の可能性が高いが、交渉の仕方がアバンギャルドすぎる。

 この女が只者ではないのは確かだろう。

「お金があるとですね~。みんな、これから先の旅が、しやすくなるのですよ!」

 目の前の女が、また気になるワードをいう。

「……みんなとは?」

 回答を得られるとは思えないが、ストプトンがすかさず女に訊く。

 ところが……。

「それはですね~、宿に泊まってるみんなですよ」

 女は、このまま回答を口にしようとしている。

 思わずストプトンは身構えて、女の言葉を待つ。

 しかし、途端にヨーベルが固まってしまう。

 まるで燃料がなくなったかのように、ピタリと動きを止め、口をポカンとさせたまま黙りこくってしまう。


「う~ん……」

 変わりに女の口から出てきたのは、苦悩するようなうめき声だった。

「どうされました?」

 怪しまれないように、催促を促してることを感じさせないような優しい口調で、ストプトンは尋ねる。

 ここまできて、女の目的や正体を逃がすようなことがあっては、好奇心が満たされずストプトンにとって消化不良な感じで終えてしまう。

「ど、どうしましょう?」

 女が本当に困ったような顔で、ストプトンにいう。


(なんだ? これも演技の一環なのか?)


 女の反応が、理解不能なストプトン。

 女は突然その場でクルクルと歩きだし、手にした懐中時計を、分銅のように回しながら考えてる。

 ストプトンは、「危ないから懐中時計は回すな!」と思ったが、口には出さずに女の次の反応を待つ。

 確実にネーブ主教に要件があって、この場にやってきた女だ。

 しかも、放っておけばいろいろ自分から話しをするのだから、今は黙って待つのが得策と考えたのだ。


 ピタリと歩みを止めた女は、クルリとストプトンをまた邪気の無い視線で見つめ、照れ臭そうにいう。

「いろいろ、考えていたんですけどね……。ほら、すごく待たされたから、全部忘れちゃいましたよ。いろいろ、良いアイデアあったんですよ~。もっと早く、会いにきて欲しかったですよ」

 最後の言葉は、若干ふくれっ面でいうヨーベル。

 しかし、次の瞬間クスクス笑うが、ストプトンは当然笑えない。


(どうするんだ! この女! 何がしたいんだ!)


 いまさらながら、こんなことを思ってストプトンは憤慨してしまう。

 久しく忘れていた、直情的な感情が爆発しそうになる。

 肝心なところで、突然ガードが固くなったように、女は急に何も答えなくなったのだ。

 考え事をしすぎ、握りつぶして茎が折れた一輪の花を、必死にまっすぐにしようと苦心している目の前の女を見ながら、ストプトンは考えを巡らせる。

 そして周りを鋭い目つきで見渡し、自分をもし小馬鹿にしている輩がいるのだとしたら、絶対に見つけ出してやろうとも思い、目を光らせる。


 すると、フロント全体が一気に騒然としだす。

 一気に空気が変わったような流れになり、エントランスの空気が一変する。

 入り口からネーブ主教を筆頭にした、大部隊が帰還してきたのをストプトンが確認した。

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