53話 「黄昏の橋」 後編

 ヒロトの中には今、大きな葛藤があるんだろう。

 ここでもう一押しすべきか迷ったリアンだが、今は黙ってヒロトの言葉を待とうと決めた。

 さっきは爆発しなかったが、家族や学校といった、かなり危険な地雷に近づいたのだ。

 実はもうひとつ、デモの一件を訊きたかったのだが、これはさすがにリアンでも躊躇われた。


「あの先頭の子がピヨで、群れのリーダー。二列目を並んで泳いでるのがマヨ」

 いきなりヒロトが、川で泳ぐアヒルたちの名前を話しだした。

「いつも遅れているドン臭い子が、シロね……。でも、いつも三羽は仲良しよ。子供の頃からね……」

 ヒロトは、昔を懐かしむように話しだす。

 そういえば従業員のオバサンが、雛の頃から可愛がっていたアヒルだと、話してくれたことをリアンは思いだす。

 アヒルたちもそういえば、一羽一羽首に名前の書いたネームプレートをかけていた。

 ヒロトはきちんと名前を覚え、見た目だけでその識別さえできるのだ。


「シロなんていつもドン臭いのに、まったく虐められることもなく、普通に群れの中で生活できてるのよね。マヨは大食いで、他の子の餌までバクバク食べるのに、怒られもしないわ。ピヨは見た目ほとんど変わらないのに、雛の頃から群れのリーダー格よ。不思議よね、あの子たちの世界でも個性があるのに、なんでか争い事にはならないのよね。いっつも仲良し、あたしが餌あげなくても、よろこんでよってくるしさ」

 ヒロトはアヒルを通じて、何かを訴えかけてきているようだった。

 そんなアヒルたちの仲睦まじい様子を、ヒロトの横でリアンも眺めていた。

  そして、ヒロトがいいたいことが何かを、リアンは頭が悪いなりに読み解こうとする。


「でもさ……。どうせ、すぐ出ていくんでしょ?」

 ヒロトがいきなり、そんなことをリアンにいってきた。

「話したところで、あんたなんかに解決できるもんですか」

 少し落ち着いた表情だったヒロトだが、すぐにまた暗い顔つきになってつぶやく。

「それはわからないよ! 気分も楽になるし、何か進展もあるかもしれないよ!」

 珍しくリアンが、ポジティブな発言をヒロトにいう。

 慣れない前向きな言葉だったので、後半声が裏返ってしまった。

 そのせいで、ヒロトが珍しくクスリと笑ったのだ。

 そのわずかな笑顔を見て、リアンは安心する。


「あんたが、バカなのって本当ね。なんか必死ですごく滑稽。でも悪くはないと思うわ」

 ヒロトがかなりリアンに対して、好意的なセリフをいってきてくれた。

 そのセリフを聞いて、リアンは先程躊躇した質問を、思い切ってしてみようと思った。

「ねぇ、ヒロト? もし、答えたくないなら、答えなくても大丈夫だけど、いいかな?」

「何よ?」と川のアヒルを見ながら、ヒロトはそっけなく答える。

「僕らが、一番心配なのがね……」

 ここまでいって、リアンは言葉を詰まらせる。

 口にして大丈夫かどうかリアンは悩んでいる。

「いいよ、聞かせてよ」

 リアンの葛藤を察したヒロトが、話しを促してくる。

「うん、じゃあ……。やっぱり心配なのが、あの時会っていた男の人たちかな」

 リアンの言葉に、ヒロトは沈黙する。

 しかし、その表情には不快感もなくフラットなままだった。


「年齢も全然違うし。ちょっと感じも、おかしな人たちだったからさ……。あの人たちと、どういう関係なの?」

 ヒロトが何もいわずに聞いてくれていたので、リアンは思い切って最後まで質問をしてみた。

「……あたしの仲間だよ」

 特に感情も込めずに、ヒロトはサラッという。

「仲間? やっぱり、政治的な何かをしてる人たちなんだよね?」

 不安そうに、リアンはさらに踏み込んでみる。

 それでもヒロトは何も変化がない。


「どうして、あんな人たちなんかと?」

 そういった瞬間、ヒロトの表情が怒りに満ちたようになる。

 踏み込みすぎたかと、リアンは寒気を感じる。

「あたしはねっ! あたしのこと、今までバカにしてきた連中を見返すの!」

 どうやら、リアンの質問に対する怒りではなく、彼女の個人的な怒りの感情のようだった。

「え?」と、困惑するような表情のリアン。

「ど、どういうこと……」

「この街のクソ野郎どもにね! それを、見せつけてやるのよ!」

 ヒロトが、欄干を拳でドンとたたきながらいう。

 リアンの質問は、ヒロトの別方面の怒りを惹起させてしまったようだった。

 どうしようと、リアンはオロオロしだす。

 ヒロトが、何かすごく物騒なことをいっているのが、鈍感なリアンにもわかる。


「ヒ、ヒロトって……。まさか、変なこと企んだりしていないよね……」

 リアンが心配そうに尋ねてくる。

 しかしヒロトは、興奮した表情のまま黙っている。

 リアンは考えを巡らせる。

 あの一緒に行動していた怪しい男性陣。

 ひょっとしたら、あの人たちが、何か良からぬことを計画しているのではないのかと……。

 もしかしたら、すでに計画は存在していて、ヒロトもそれに参加する気でいるのではないのか?

 リアンの中に、次から次に最悪な結果が想像される。

 これは、なんとしてでも止めないと!


(でも、どうやって……)


 リアンが心の中で右往左往していると……。


「生理も来てないガキの分際でさぁ。何大層なこと、いっちゃってるのよぉ。キンキン声でそんなこといってもねぇ、一部の変態しかよろこばね~よ」

 いきなりアモスが後ろに現れて、ニヤニヤしていたのだ。

 驚くリアンとヒロト。

 特にヒロトの驚きぶりは尋常ではなく、一気に額に汗をにじませている。

 朝の出来事があったから、余計だったのだろう。

 この女には絶対に勝てない! という、本能的な恐怖を感じているようだ。


「学校もろくに行けない負け犬が、何できるのかしらね? 見返すだぁ? 面白い冗談ねぇ。具体的に訊いてやるから、実現可能か判断してやんよ。面白そうだったたら、あたしも手伝ってやってもいいわよ」

 アモスがヒロトに対して、バカにしたようにいってくる。

 すると、ヒロトが逃げようと踵を返す。

 しかしまた、ヒロトはあっさりと捕まる。

 今度はヒロトの襟首をつかんで、彼女の逃走をアモスは阻止する。

 喉が閉まり、ヒロトは息ができなくて身動き取れなくなる。

「ほらぁ、都合が悪くなるとすぐ逃げる。逃げ癖ついちゃってると、人生詰むだけよ」

「は、離せ!」

 ヒロトは真っ赤な顔をしてアモスに向き直ると、苦しそうにそういう。

 しかしその瞬間、ヒロトの顔が引きつる。


「黙れ腰抜け……」

 橋の真ん中で、アモスがヒロトの喉元にナイフを突きつけてる。

 完全に沈黙して、ヒロトは身動きできなくなる。

「ア、アモス!」

 リアンも、アモスの行為にやっと気づいたようで、声を上げる。

 そして、周りに人がいないかリアンは必死に確認する。

 今は人通りもなく、車も橋には通っていなかった。

「こんなガキさぁ。放っておいても構わなかったんだけどね」

 アモスがヒロトを欄干にまで連れていき、突き立てたナイフが周囲から見えないように場所を移動する。

 ヒロトの喉元に突きつけられたナイフは、昼間土産物屋で買った模造刀ではなく、何度も命を奪ってきた怪しいオーラを発する鋭利なナイフだった。


「何出してるの! ダメだって!」

 リアンが大声を出さないように声を忍ばせて、アモスの行為を止めさせようとする。

「大丈夫だって。まあ見てなさいって」

「だ、大丈夫に見えないんだって……」

 アモスの言葉に、リアンは周囲の人通りの確認をしながらオロオロするばかりだった。

「とりあえずクソガキ! リアンくんが、あんたを助けてあげたいみたいだからさぁ。あたしなりに、できることをやってやろう的、優しさキャンペーンよ。ありがたいだろ? んん?」

 アモスが低い声で、ナイフをヒロトの目の前でユラユラ揺らしながらいう。

 ヒロトは青い顔をして、刃物の軌道を追うことしかできない。

「いいかしら? 変な動き、すんじゃないわよ? 返事は?」

 アモスの言葉に、ヒロトが無言でうなずく。

「あら、素直じゃない」

 笑いながらアモスは、ナイフをとりあえずしまう。

「逃げたら承知しないよ? もう一回、素直に返事しな?」

 ヒロトがまた無言でうなずく。


「じゃあさぁ。あんたのいう、仲間ってヤツらのところに案内しな! 今すぐね!」

 アモスの言葉に「え?」と、驚いたようにヒロトは声を出す。

 リアンもアモスの言葉に固まってしまっている。

 今ここで変な騒ぎを起こしたら、アモスが何をしでかすかわからないので、リアンも黙って見守るしかなかった。

 さいわいアモスはナイフをしまってくれたので、多分だけど話し合いで解決してくれると、リアンは信じたかった。

 人通りと車の交通量が増えてきたが、アモスとヒロトの異変に、誰も気づく感じではなかった。

 三人は橋を渡り、これからヒロトのいうアジトに向かう。



 リアンたちが橋を渡り終えた頃、対岸のファニール亭からひとりの女性が出てきた。

 長い金髪をなびかせて、黒いロングのスカートを履いていた長身の女性だった。

 薄いピンクのジャケットを羽織り、ボタンを上から下まで全部止めていた。

 胸元にある懐中時計を両手でいじる彼女は、ヨーベルだった。

 橋を渡ったリアンたちに気がつかないヨーベルは、ウキウキとしながら一階のパン屋の前を素通りして大通りに向かっている。

 手には懐中時計の他に、手書きの地図があった。

 地図には市庁舎までの経路が書かれていた。

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