53話 「黄昏の橋」 前編

リアンがオドオドしているのは最初のほうだけです。

彼の成長を見守っていただけたら……。


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 リアンが宿を出ると、外はすでに薄暗くなっていて街頭が灯っていた。

 見上げた空は、僅かな雲があるだけでチラホラと星の姿も見える。

 リアンは頻繁に通る工事車両を道端でやり過ごし、左右の安全確認をしながら橋に向かって歩いていく。

 橋の下の小屋が見えるが、あそこで一泊したのがもう何週間も前のような錯覚すらする。

 土手の桟橋では、手の空いた宿の従業員が、アヒルたちに餌を与えていた。

 リアンは、橋の中心部分まで歩いてくる。

 人通りは少ないが車の交通量は多かった。

 最近気づいたが、この街ではニカイド製の車よりも、比較的安価なクルツニーデ製の自動車が普及しているようだった。


 エンドールでは車は高級品のイメージが強く、ガッパー社の高級車が一般的なイメージだったのだ。

 しかし近年、自動車分野にも競合の波が訪れ、ニカ研以外の企業も自動車を普及させてきたのだ。

 特にこのサイギンではクルツニーデ製や他社のシェアが多く、ガッパー社の車はあまり見かけない。

 お国柄は、こんなところでも現れるんだなと、橋を渡るどこか無骨なイメージの自動車をリアンは眺める。

「クルツニーデ社以外だったら、僕も運転してみたいな」

 そんなことをつぶやき、欄干に手をかけ、川の流れをリアンは眺める。

 ちょうど宿の従業員が餌やりを終えて、階段を登っていたところが見えた。

 満腹になったアヒルたちが、川を群れて泳いでいる。

「そういえば……。あの日から、もうどれぐらい経ったのかな? 村のみんなもそうだけど、きっとアムネークの人たちもすごく心配してるだろうなぁ。だからといって……。今のままじゃ、どうすることもできないしなぁ」

 リアンが欄干に視線を落とし、川の流れを見るまでもなく独白する。


 しかし、考えたってどうしようもないとリアンは思い直す。

 今はバークたちが頑張って計画してくれている、帰路プランに従うまでだった。

 でも、そのプランというのも危険極まりない道中になるのは確実で、バークの気苦労は甚大なものになるだろう。

 先日リアンは「実は特に帰りたくない」と独白してしまった。

 バークの苦労は理解してはいるものの、その自分勝手な思いは未だに存在していたりするのだった。

 そんな自分に、リアンは自己嫌悪すらしてしまいそうになる。


 そんな時だった。

「あんたは、どうして学校行ってないのよ?」

 いきなり後方から、女の子に声をかけられたリアンが驚いて振り返る。

 そこには、不機嫌そうな顔をしたヒロトの姿があった。

「どうして学校行ってないのよ?」と、もう一度ヒロトが尋ねてくる。

「あ、きみは……」

 ヒロトの質問は、結構リアンにとっても厳しい内容なので、即答できずシドロモドロになってしまう。

 視線をヒロトに向けられなく、右往左往してしまうのは、リアン本人にも後ろめたいものがあったからだった。


「え~と……。あれ? 頬腫れてない? だ、大丈夫?」

 リアンは質問に答えるより先に、ヒロトの左頬が少し赤くなっているのを見つけて気にする。

「そんなことどうでもいいわよ、質問はぐらかさないで! なんで学校行かないのよ!」

 ヒロトは少し語気を強めてリアンにいう。

「や、宿の人から、何も聞いていないかな?」

 結局自分の口ではなく、リアンは他人任せに回答をはぐらかした。

 自分でも卑怯だなと、軽く自己嫌悪に陥ってしまいそうになる。

「知らないから訊いたのよ」

 当然ヒロトが、そんな回答で満足するわけなく、即訊き返してくる。

 絶縁状態の宿の人間からリアンの素性など、訊いているわけがなかった。

 ヒロトは家族とも、宿の従業員とも誰とも口を利かなくなって、かなり長いのだから。

「話したくないなら、もういいわ!」

 リアンの煮え切らない態度に、業を煮やしたヒロトが激昂してそう吐き捨てる。

 それほど長い時間待ったわけでもないのだが、ヒロトの今の精神状態では、僅かな沈黙も話題逸しも、すべて拒絶されたと感じてしまうのだろう。


「あ、ちょっと待って!」

 慌ててリアンが、立ち去ろうとするヒロトを呼び止める。

「僕もここにいたるまで、いろいろあったんだ。その結果こういう感じになってる、みたいなところがあるんだ」

 腕をバタバタさせ、必死にヒロトに語りかけるが内容がまるでないセリフだった。

「……意味不明」

 リアンの言葉に、ヒロトが率直に答える。

 至極当然な反応だと、リアンもいいながら思っていた。

「う、うん。そ、そういう反応になるよね……」

 リアンは頭をかきながら、もう一度じっくり言葉を選ぶ。

 それと同時に、アモスのついた嘘設定を活かすべきか迷っていた。

 なんだかここは、本当のことを話したほうがいいような気がするのだ。

  そんなことを考えていると、ヒロトがさらに訊いてくる。


「なら質問変更、あんたと一緒にいる連中は何者よ。あんたの家族には、見えないんだけど?」

 劇団員という嘘設定を知らないヒロトにしたら、当然の疑問がでてくる。

 事実、初めて橋の下で出会った時は、バークを父親と勘違いしたヒロトだった。

「なんと説明したらいいのか……」

 リアンは真剣に説明に悩んでしまう。

 正直に話すべきだろうが、じゃあ、どこから話せばいいのか、あまりにも複雑なのだ。

 ヒロトの前で、あの嘘設定を話すべきかリアンは悩む。


 すると……。

「何よっ!! 結局、何も話したくないんじゃないっ!」

 ヒロトが、さっきより大きな声で怒鳴った。

 リアンは、後ろを振り向いてまた夜の街に消えようとする、ヒロトの腕を思わずつかんで引き止める。

 その瞬間リアンは赤面して、ヒロトに謝ってから手を離す。

「……あんたってさ。人のこと救いたい、みたいな期待持たせてるけどさ。結局、何もできないんでしょ?」

 ここでヒロト、が興味深いことを口走る。

 その言葉を聞いて、リアンはヒロトの中に「実は救われたい」という気持ちが、僅かでも存在することを確信したのだ。

 単なる言葉のあやかも知れないが、ここでヒロトと上手く会話を継続させたら、彼女の潜在的な悩みも解決可能な気がした。

 勘違いかもしれないがなんとしても、ここは逃さないで話しを続けるべきだとリアンは考えた。


「話したくない、ってわけじゃないんだよ。僕の事情はほんと複雑でね」

 決意は強まったリアンだが、どうしても言葉にならない。

 言葉をひねりだそうとすればするほど、モジモジと悶えるような感じになって、ヒロトの不快感を買っているのが自分でもわかる。

 そもそも何から話すべきなのか?

 故郷の村を出たところから話しだしたら、一晩は余裕でかかる。

 アムネークから、ジャルダン刑務所に流されたことを話したとして、信じてもらえるか?

 さらにオリヨル海域で怪獣に襲われて、死にかけてサイギンに流されてきましたといって、ヒロトが愛想を尽かさないとも限らない。


「僕ね! 頭がすごく悪いんだ!」

 そこで、リアンがあえて大きく宣言した。

 突然の言葉に、ヒロトも驚いたような顔をする。

「真面目に見られるんだ、でも何故か! なのに、成績はいつも下の方で、授業を聞いても、ほとんど理解できないんだ。先生や親はね、いつも不思議がってたんだ……。これだけきちんと真面目に授業に出て、ノートもしっかり取ってるのに、どうしてここまで成績が悪いんだろうって……」

 突然のリアンの言葉に、ヒロトがポカーンとして彼の話しを聞こうとしている。

「あとね、人と話すのが苦手ってのがあって……」

 せっかくヒロトが興味を持ってくれたのに、もう少しさっきの話題をふくらませれば良かったかも知れないが、リアンはいきなり話題をチェンジさせる。

 リアンが、どうしようもなく口下手な証明だった。

「頭がすごく悪いのと、人と話すのが苦手なせいで、僕の今の現状を口でどう説明していいのかってのがね。全然、わからなくって……。できることなら、正直に一から話してあげたいんだ……。僕自信も、今の現状を説明して解決してくれるようなアドバイスくれる人がいるなら、欲しいぐらいだから」

 何気にヒロトにも頼りたいという感じのことを、リアンは考えなしに口から出す。


 その言葉に多少ヒロトの態度が軟化したのだが、リアンは話すことに必死でヒロトの態度の変化に気がついていなかった。

 今は彼女を引き止めたいという思いが先行して、必死に自分なりに話している感じだったリアン。

 そんなリアンをヒロトは、いつものような死んだ目で眺めていた。

 そしてヒロトは「ふ~ん……」と、今まで見せたことのないような複雑な表情でそう一言つぶやいた。

 リアンはまったく気づいていないが、ヒロトの中で少し心境の変化が起きていたのだ。


(こいつなら、少しは信用できるかも……)


 ヒロトはそんなことを、リアンの必死に話す様子を見て思いだしていた。

「君のこと心配してるのは本当なんだよ。僕も僕の仲間もみんな」

 そういったとたんにアモスの顔が浮かぶが、ここは嘘でねじ伏せて、そのまま押し切ろうとリアンは思った。

「……どう心配してる、っていうのさ?」

 ヒロトが、きちんと会話に乗ってきてくれている。

 根拠なんかないが、リアンは良い方向に向かっていると思いだした。

 ここまでヒロトは、今までとは違い普通に会話をしてくれている。

「えっと……。ほら、その態度とか」

 リアンの指摘に、ヒロトがムスッとした顔をする。

 失敗したと思ったリアンだが、ヒロトは逃げずにその場に立ち止まっていた。

 なのでもう少しだけ、突っ込んでみようとリアンは決めてみた。

「もちろん……、ご家族のこととか」

 おそるおそる、ヒロトという少女にとってタブーそうな話題にあえて触れてみる。

 地雷を踏んで激昂するかと思ったが、ヒロトは黙ったまんまだった。

「あとは……。学校に行っていないこととか……。まあ、それは僕にもいえることだけど」

 得意の自虐的な笑いを入れるが、ヒロトは無反応。


「うん、そ、そのことは、必ずお話しするから安心して。お互い気になるところは、話せる範囲で話せたらいいと思うよ。悩み事は話せば楽になるしね」

 リアンは慎重に、ヒロトの感情を刺激しないように下手から話してみる。

 ヒロトは今までのような凶相が消え、普通の年頃の女の子のような表情のまま下を向いていた。

 すっかり凶暴性がなくなっているのが、リアンにもわかる。

 さすがに鈍感なリアンでも、ヒロトの心境の変化に改善の兆しを感じ取ることができた。

 だけど、これから先どういう感じで、話しを進行させればいいのかがリアンにはわからない。

 やけに長く感じる沈黙が、二人の間に立ち込める。

 そして橋の上を、工事車両がエンジン音を響かせながら通り過ぎる。

 工事車両が橋を渡りきったあと、静かになったのでリアンは口を開く。


「僕なんかで良ければさ。悩みとか話してくれたら、何か相談に乗れるかもしれないよ? もちろん、さっきみたく口下手だから、的確なアドバイスはできないけど」

 リアンは自嘲気味に笑い、ヒロトの反応をうかがう。

「ヒロトには、信じられないかもしれないけどさ……」

 ここでリアンは無意識のうちに、ヒロトという名前を呼んでいた。

「僕の仲間はみんな、いろいろな事情があって集まった人たちなんだ。だからきっと、僕以外の人も、相談に乗ってくれたりするよ。それが余計なお世話だったら、僕だけがヒロトの話しを聞くし、絶対に口外しないって誓うし」

 橋の欄干に手をかけて、もたれかかるように川を眺めるヒロトにリアンは話す。

 すっかり逃げるような素振りは、見せなくなっていたヒロト。

 ヒロトの視線は、川を泳ぐアヒルたちの群れを追っているようだった。

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