52話 「交差する初動」 後編
向こうの通路で、また従業員のやたら騒がしい声がしたので、ゲンブが銃の手入れの手を止める。
噂好きの従業員が、またコソコソ話してると思って気にも留めていなかったが、突然声量がデカくなったのだ。
ゲンブは銃をテーブルの上に置くと、立ち上がりそっちを見てみる。
敷居代わりの観葉植物の隙間から、役者の一団のひとりというガキの姿が見えた。
従業員のオバチャンから、飴玉をもらっているリアンの姿をゲンブは見つけた。
「なんであのオバハンは、飴玉を配り歩くのかね……」
ゲンブは机の上に置いた、さっきもらった飴玉を見て苦笑いする。
「オバハンだから、飴玉を配るんだよ。あれは、そういう生き物なんだよ。バレントのオバハンも、時々思いだしたようにくれるだろ」
眼の前に座るエンブルが、また棋譜を眺めながら、ぶっきらぼうにそういう。
エンブルの言葉に、特になんの反応もせずにゲンブは、リアンをしばらく見る。
今日の役者の卵くんは落ち着いているようで、昼前に見た時のような、必死に役を演じてるかのようなオーバーリアクションはなかった。
「勘定する、ことの終了したカップルにも、土産代わりに渡してるのを見かけたこともあったな。お口直しにどうぞって、案外皮肉だったりしてな」
珍しくエンブルが、口角をニヤリと上げて下ネタを気味の悪いトーンでいう。
「だから俺の中では、あれは飴玉オバハンってことになってる」
薄ら笑うエンブルの手元にも、包み紙に包まれた飴玉が置いてあった。
一方、飴玉をもらったリアンは、外に出掛けるようでフロントに歩いていく。
そこでゲンブも椅子に座り直し、銃をしまって自分も出掛ける準備に入る。
銃をきちんとホルスターにしまうと、ふと、さっきもらった飴玉が目に入る。
そしてゲンブは、あることを閃くのだった。
その閃きは自分にしては珍しく、すごくいい考えに思えた。
思わず「そうだ……」と口に出したほどだった。
「そういえばだ……」
ゲンブが閃きを思わず口にしたと同時に、エンブルが突然話しかけてきた。
どうやら、ゲンブが発した独り言は聞かれていなかったようだ。
ゲンブは咳払いをして誤魔化しを入れると、エンブルに何事かを尋ねる。
「ケリーのヤツ、ちゃんと仕事はしているのか?」
エンブルが、苦々しげに訊いてくる。
「またその話題かよ、相変わらずの心配症だな。ヤツもプロだ、やるべきことは心得てるだろ」
ゲンブはそういうが、別にケリーを全面的に信用して、発言しているわけでもなかった。
エンブルがあまりにも同じ話題でしつこいので、つい口から出た発言だったのだ。
「本当かよ……。あいつ、また宿で女とイチャついてたぞ」
エンブルが、今日見かけたケリーの行動を憎らしげに語る。
「で、羨ましいわけか?」
「そんなわけないだろ……」
ゲンブの煽りを、にらみつけるようにしてエンブルが返答する。
「あいつの女癖の悪さは、今にはじまったことじゃないだろ。今までちゃんとやってたんだし、そう目くじらを立てる程でもないだろ」
ゲンブがエンブルの視線を無視して、つまらなさそうにいう。
実際つまらない話題なので、ゲンブはさっさと出掛けようとする。
エンブルの女絡みの小言は一度はじまると、嫉妬憎悪が入り混じり、とにかくウンザリするのだ。
「調査に穴が多くて、決め手に欠けることが多いんだよっ! 結局俺が、再調査に出掛けることになるんだよ!」
エンブルが自分で再調査したレポートを、これ見よがしに机に出してくる。
「そんなに心配なら、あいつと一緒に行動してたらいいじゃねえかよ。個別で行動しようっていったのは、そもそもお前からだろ」
エンブルの嫌味ったらしい仕事アピールに、ゲンブはレポートを手にしてパラパラとめくる。
「だが、どうせあれだ……」
エンブルのレポートを机に置くと、ゲンブはあくびをする。
「ふわぁ。どうせ残りは、引き継ぐんだしよ。人の情事に嫉妬してる前に、おまえこそどうなんだよ、その辺」
「ちゃんと終わったのか?」と、挑発気味にゲンブが尋ねる。
「引き継ぎ役は、いちおう軍直属の連中なんだろ? きちんと意思疎通が図れてるのか、そっちのが心配だぜ。おまえの性格を、よ~く、知ってる身としてはな」
ゲンブのそんな嫌味で、エンブルの不細工な顔はさらに歪む。
「あとは、ケリーの残りの調査報告を待つだけだ……」
「じゃあ、いちおうスケジュール通りには進行してるから、まったく問題ないだろ。これはおまえが好意でやってやったことにすれば、いい女抱かせてもらえるかもしれないぞ」
「そんなもの、いらねぇよっ!」
エンブルが顔を真っ赤にして反論する。
それを見てゲンブはガハハと笑う。
「やっぱ、ケリーのお下がりは嫌か。おまえの処女信仰には、感心させられるよ」
明らかにバカにしているような、ゲンブの言葉。
これ以上の挑発に乗ると、ゲンブも毒舌家としては「サルガ」の中では有能だったりするので、泥沼化しそうだとエンブルは判断した。
視線を棋譜に戻し深呼吸する。
「ほんと、女が絡むと、おまえはとことん面倒になるな。調査に穴が多いとかいうが、穴なら隣近所に、いっぱいあるだろ。少しはヤツを信じて、別の穴の開発に勤しめよ」
気持ちを落ち着かせているエンブルに、ゲンブが追い打ちをかけてくる。
「……で、これからツウィンと会うらしいが、どういった要件だよ」
鼻息荒く、エンブルが絞りだすように言葉を発する。
「お、話題を変えるか? じゃあ、この勝負は特別になかったことにしておいてやるよ、童貞くん」
女絡みでの舌戦は、エンブル相手だと一方的すぎてゲンブもつまらないのだ。
「ちっ、何の勝負だよ、で、要件は?」
「ツウィンが、特別に足を用意してくれた!」
ゲンブが、やけにうれしそうにいってくる。
「でだっ! たまげるぜ!」
興奮気味にゲンブが、テーブルに身を乗りだしてくる。
「何せ……」
しかし、急に興が失せたような表情になってゲンブは黙り込む。
「……何せ、なんだよ?」
話しを途中で止められて、エンブルが不服そうにつづきを訊いてくる。
「おまえにいってもよ……。どうせ、乗ってこない話題だと思ってな」
ゲンブの無表情だが、どこか下に見ているかのような言葉に、エンブルの顔がまた歪む。
「ああ、そうかよ……」と、エンブルが吐き捨てる。
「で、ルートのほうは大丈夫なのかよ? キタカイまでの道は、封鎖されてて通れないってことだぞ」
不快感を押し殺した表情で、エンブルはゲンブを見すらせずそう訊いてくる。
「……それぐらい、わかってるよ。いちいち、人を試すような訊き方止めろよな。迂回ルートも、きちんと考慮済みだよ。あと、ガイドの候補もいるしな」
ゲンブの最後の言葉に反応して、エンブルが目を剥く。
「ガ、ガイドだと?」
「ああ、キタカイまでの案内人だよ」
ゲンブがサラリといってのける。
「おいっ! 部外者を、同行させるっていうのか?」
エンブルが、それはない! という勢いで訊いてくる。
思わず持っていた棋譜が地面に落ちる。
「落ち着けよ、不細工。それ以外の意味に、どう取れるんだ? それに、キタカイまでだよ」
「それでも問題だっ!」ゲンブのセリフに食い気味で、エンブルが食ってかかる。
「おまえ、何考えてやがる!」
エンブルが落ちた棋譜を拾おうともせず、ゲンブに対して声を荒げる。
「もう俺が決めたことだ。いまさら、考えを覆す気はないからな」
エンブルの激昂をものともせず、キッパリとゲンブがいう。
「それが、納得できないってならよぉ。おまえが、別の足でも用意してみろよ」
ゲンブの言葉に、エンブルは歯ぎしりをする。
「諦めて、ハメでも外してこいよチェリーボーイ」
怒りで震えているエンブルに、ゲンブはため息混じりでいう。
「金さえ払えば、股開く女は表に山ほどいるんだからよ。そんな駒いじってても、悶々とするばっかだろ。よく耐えられるな? そこに感心すらするぜ。脳内でチェス駒擬人化でもして、ハーレム妄想でもしてるってなら、話しは別だがよ」
ゲンブがクククと笑う。
何もいい返せないエンブルを完全に無視して、ゲンブは表に出ようとする。
するとあの劇団員のガキが、ちょうど話していた従業員のひとりから解放されて、店から出たところだった。
「そういえば……。あの劇団のリーダーのオッサンは、朝になったら西の工事現場で働いてるって話しだな。全財産無くして、旅費を稼いでるとかいってたな」
ゲンブはおしゃべりな従業員のオバハンが、話してくれたことを思いだした。
(……交渉は、その時のノリでやるか。一団には女もふたりいたし、ケリーもいたほうがやりやすいだろう)
そんなことを思いながら、橋の方向へ歩くリアンの背中をゲンブは見つめていた。
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