52話 「交差する初動」 前編
リアンが部屋を出て、外の空気を吸いに向かう。
夕方の街を、少し歩いてみたかったのだ。
宿の反対側の川沿いを、歩いてみるのも悪くないなぁと、考えながら階段を降りていた。
その時にチラリと、またヒロトの物置のような部屋のドアが目に入り、彼女の心配をしてしまう。
ちなみにリアンは、昼間に起きた中庭での、アートンを巻き込んだ騒動を知らずにいた。
リアンたちの部屋は、例の焼却炉のある中庭を見ることができない場所にあったのだ。
出かける際にヨーベルも誘ったのだが、珍しく今回は断ってきたのだ。
ヨーベルはなんだか少し眠いといって、ベッドに潜り込んだきり大人しくしていた。
観光プランについて、いろいろお話ししてくることが多かったのに、今日はまだ病み上がりで調子が悪いのだろうか。
部屋から出る際、ベッドに潜り込んで黙々と、サイギンの地図を眺めていたヨーベル。
別段珍しいことではないのだが、今日に限ってはやけに、コソコソしているようで妙な感じがリアンはしたのだ。
階段を降りきる寸前、従業員のオバサンがふたり、会話してるのが聞こえてくる。
耳をすまして聞いてみると「劇団員のお客さんたち、今日は夕食は外でするんですって」といっている。
「あの気の強そうな女の人が、この店で食べるとか」
「あら、西区の鮮魚専門店じゃない、ここ値段高いって話しよ。お金必死に稼いでいる最中なのに、そんな無駄遣いして大丈夫なのかしらね?」
「その辺は、あまり訊かないようにしましょう、ひょっとしたら、ほら……」
「ええ、そうね、この人たちのおかげでいろいろ解決するかもしれないものね」
従業員のオバサンたちの会話は、後半小さくなり聞こえなくなる。
リアンは階段で足を止めて、今の会話を聞いていた。
「あの気の強そうな? アモスのこと以外ないよね……。鮮魚専門店? また外食にするのかぁ。でも今回は、アートンさんとバークさんも誘ってくれるみたいだね、良かった」
リアンはそのことに安心する。
そして、そういえばと思う。
オバサンたちが当たり前に口にしていた劇団員という単語だが、気を抜くとリアンはその設定をすぐ忘れてしまう。
今日の午前中、ヨーベルの異変を説明するために、その設定を使ってシドロモドロの説明をしたことを思いだす。
冷や汗が出るような最悪の時間だった。
未だに、嘘設定という土台を大前提にして、この宿に滞在している自分が不安でたまらないリアンだった。
不安なことから無意識に遠ざかりたい防衛本能からなのか、オバサンたちの会話を聞くまで劇団員設定をリアンは忘れていた。
「いやなことを、思いだしたなぁ……」と、ポツリとつぶやく。
どこかで嘘だということがバレるのでは? という不安に、リアンは心休まらないのだ。
さいわい役を演じてみろとかいう無茶振りは、今のところないので大丈夫だが、そのうちいい出す人がいるのでは? そんな根拠のない、ネガティブ妄想をまでしてしまうほど、リアンは嘘というモノに縁がない少年だったのだ。
そして従業員たちの会話を聞いていると、アートンのことで盛り上がってる。
「あの人のおかげで、いろいろ助かりそうよね」
「本当にカッコいい人ってのは、行動もイイ男よね」
「これで長くつづいていた確執も、終わるといいのだけど……」
昼間のヒロトの一件は知らないので、どういう理由で話している内容かまでは、リアンには判別できない。
でも、リアンは概ね納得できる。
アートンさんは、確かにカッコいいとリアンでも思う。
しかしそう思った瞬間、否定的なことを思いそうになって、慌てて頭の中の映像を打ち消そうとする。
サイギン初日、全財産をなくした時、アモスに全力で謝罪していたアートンの姿が、目に焼きついて離れないのだ。
大人は謝ることで成長していくものさ、過去いろんな大人たちが同じようなことを話してくれたけど、リアンの心は穏やかではなかった。それはリアンにとって、ある漠然とする恐怖でもあったのだ。
「大人になる」……それは、リアンにとって、底知れぬ恐怖でもあったのだ。
どうしてそんなことに、恐怖を感じてしまうのか? リアンは時々考えるのだが、何故か考えようとすると、激しい動悸に襲われるのだ。
思春期特有のよくある感情と、何度か相談した際に、決まって一蹴されることが多い、ありがちな悩みでもあるのだが、リアンのそれは度が超えているのだ。
どうして自分だけが、そこまでありがちな悩みを深刻に考えるのか。
いつも軽くあしらわれるので、なおさら相談しにくくなっていたのだ。
そんな葛藤を、階段の途中で立ち止まって、リアンは思い悩んでいた。
片足を段差から浮かしたまま動きを止めていたせいで、下の階にいた従業員のオバサンに存在を気づかれた時、パントマイムの練習かい? と笑われてしまった。
リアンは、その言葉で我に帰る。
不思議と笑われることに関しては、まったくリアンは抵抗がなかった。
故郷ではそのトロさや棒立ちする様子を、幾人もの人に指摘され、指差して笑われたりしたから慣れていたのだ。
「ちょっと考え事してたら、ぼうっとしちゃって……」
そういって、お決まりのセリフを自嘲気味にいい、リアンは笑う。
卑屈な印象しか与えない行為なのだが、リアンはそれを「みっともない行為」だとか思うようなことはなかった。
彼にとって愛想笑いや、苦笑いや自嘲するといった行為は、一番回数の多い自然な感情表現だったからだ。
そんな、どこか問題がありまくりの少年リアンだが、従業員は特にリアンの行為に、気を留めるようなことなく話しかけてくる。
「ぼうっとしてるって、まさかヨーベルさんの風邪が、伝染ったとかじゃなあい?」
「大丈夫かい? 熱はないかい?」
リアンの額に、手を当ててくる従業員たち。
特に熱もないようで、安心する従業員のオバサンたちに、リアンは大丈夫ですよと笑って安心させる。
卑屈な笑顔が得意なリアンだが、普通に笑う顔には屈託がなく、かなり魅力的な表情を見せることができる少年だった。
「あの……。さっきアモスがどうのって、お話し耳にしたんですが……」
リアンは、盗み聞きしていたことを詫て尋ねてみる。
アモスが夜の八時に、とあるレストランで外食をすると、さっき帰ってきて伝えてきたのだという。
アートンとバークも同伴していいようで、アモスの奢りらしい。
リアンとヨーベルもできれば八時まで、食事は我慢しろとのことだった。
リアンは、ディナー予定の鮮魚専門店のカタログを見せてもらう。
新鮮な魚料理が売りの、けっこう高そうなレストランだった。
アモスは用件を伝え、このカタログを置いていくとまた外出していったのだという。
そういえば、アモスとは昼前に別れてそれっきりだった。
こんな時間まで何をしていたんだろうと、リアンは多少不安になる。
どこかに返り血でもついてませんでしたか? と、冗談抜きで従業員のオバサンに、尋ねそうになったのをリアンは踏み留まった。
リアンは、アモスが持ってきたカタログを読みながら、ふと壁に視線が向かう。
廊下の壁にある、不思議な光景の大きな絵画に目が行ったのだ。
今までは気にも止めていなかった絵だったが、海鮮料理店のカタログの海の描写を見て気になったのだ。
海の真ん中に、巨大な要塞のような建築物が建てられている、かなり幻想的な絵だったのだ。
その建築物は、夜なのに煌々と明かりを発していた。
「不夜城?」
リアンが、絵のタイトルを見てつぶやく。
「これはね、昔うちで泊まってくれたクルツニーデのお偉いさんが、寄贈してくれた絵なんだよ」
「クルツニーデといいますと、遺跡を保護してるとかいう団体でしたっけ?」
嫌な記憶がまた想起されたが、あまり知らない体でリアンはわざとらしく確認する。
「そうよ、そこそこ。今はこの絵を描いた人、クルツニーデのフォール地区のトップにまでなったのよ」
「最近、高齢を理由に、息子さんに席譲ったみたいだけどね」
「昔からこの遺跡を調査してた人で、その功績からクルツニーデの局長にまでなったんですって」
「ここだけの話しね、この人けっこう遺跡バカなとこがあって、昔は変人扱いされてたんですって。それが評価されるようになるんだから、わからないものよね」
リアンは、従業員たちの話しをぼんやりと聞きながら、幻想的な絵を眺めている。
「不夜城」というタイトルの下には、E・ポーラーという作者の名前がサインされていた。
「海の上に浮かぶ、要塞か何かなんですか?」
「なんとかっていう、ややこしい名前のお城? 要塞だったかしら?」
「ここだけの話しだけどね……」
従業員のオバサンが、再度ここだけの話しをしてくる。
「これハーネロ期にあった、正体不明の遺跡なのよ。ハーネロ関連だからね、本当は大っぴらにできないんだけど、絵としては幻想的でいいものでしょ? だから、こうして隠さずに展示しているのよ」
「さいわいここ数十年、何のお咎めもないから、すっかり存在を忘れてたほど」
そういって笑う従業員のオバサンふたり。
ふたりの笑いどころの意味は、国のタブーに触れることだからだろうか? とりあえず絵画のモチーフが、ハーネロ神国の遺跡らしいことはわかった。
あと確実にいえるのは、このことはヨーベルには話さないほうがいいかもしれない、ということだろう。
ヨーベルなら確実に食いつく話題だと思ったので、リアンは、彼女がこの絵に気づかないでいて欲しいなと思った。
絵を外してもらうのが一番かも知れないが、さすがにそこまではいいだせなかったし、説明が億劫だった。
そしてもう一度、光を発する海上の遺跡の絵をリアンは見る。
(……なんだかこれ、見たことあるような?)
リアンは絵のモチーフに奇妙な既視感を覚えるが、それほど気にしなかった。
故郷に古代遺跡好きの友人がいて、彼のコレクションで見た可能性があったからだ。
きっと、その時に見せてもらったので、覚えていたんだろうとリアンは思った。
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