51話 「日雇い労働二日目」 其の三

 帰り道は、現場から一本の道を歩くだけで大丈夫だった。

 すぐに宿には帰れたが、ふたりは途中にあるカフェで、飲み物を飲みながら一段落していた。

 特にバークは、表に出さないようにしているようだが、アートンから見て彼の憔悴ぶりはかなりひどいのだ。


 運ばれてきた、かなり高価な紅茶をアートンは手慣れた手順で飲む。

 その様子を見て、随分作法が優雅だなとバークは思う。

「なるほど、大体わかったよ。その青年にとっては、いいきっかけだったな。頑張ってもらいたいものだな」

 バークがアートンから聞いた、今日の職場での出来事の感想をいった。

 バークが感じた、職場での負の連鎖や憎悪については、ここではあえていわなかった。

「それと、ヨーベルも何もなくて安心したよ」

「あそこじゃ、ああいうのが一番無難だと思ってな。現場主任だって人の親だろうし、その看病で時間が押したといえば、強く追求できないだろう」

 アートンがバークにそういったあと、紅茶を一口飲む。

「ヨーベルは、なんかピンピンしてやけに元気だったよ。まあ、いつものことなんだけどな。よくリアンは、あんな騒がしい女性と一緒にいて、平気でいられるな」

 アートンが関心したようにいうが、リアンもヨーベルとの行動にはいろいろ苦慮してることが多かったのだ。

 ヨーベルは確かに美人で、一緒にいれば楽しいかもしれないが、終始ハイテンション。

 果たして自分なら耐えられるか、アートンには自信がなかった。

 昼間に予期せぬアクシデントがあって、一瞬心ときめいたのは事実だったが、それでも難しいとアートンは思う。

 ちなみに、バークには例のアクシデントのことは当然話していないし、ヨーベルとリアンにも内緒にしてもらうことを約束してもらった。


「リアンは、不思議な魅力を持った少年だからなぁ。不平不満をいうどころか、なんていうか……」

 バークが考え込む。

「どうしたんだよ? 急に……」

 突然黙り込むから、不安になったアートンがバークに訊く。

「いや、なんていうか……。この非常事態を楽しんでいるっていうか、まるで他人事みたいな感じで受け入れてるだろ。だから思わずな。それがいいことなのか、悪いことなのかってことを、自問自答してしまったよ」

 バークは、苦笑いをする。

 実は口にはだしてないが、似たような感情はアートンの中にも、確実に存在する心理でもあったからだ。


「まあ、そのことはいいや。アートン、昼、なんか宿の家族のことで、話したいとかいってたが。あれについて、詳しく訊いていいか?」

 バークは、話題を宿の家族のことに変える。

 何やらアートンが企んでいるようで、不安な感じがするのだ。

 その不安そうなバークの表情を見て、アートンが笑う。

「そんなに身構えるなって。俺たちは、別に何もしないよ」

「ん? 何もしない?」

 バークが肩透かしを食らったように、目を丸くする。

「ああ、実はあの宿の従業員がな……」

 アートンは昼休み、フレイアという従業員から相談された内容をバークに話した。


「こちら、片づけてよろしいでしょうか?」

 女性店員の声がして、テーブルの上の空のカップが回収される。

 バークは黙ってアートンが話す、昼間起きた家族間の修羅場と、従業員たちが考えていることについて聞いていた。

「……確かに、いい案かもしれないが」

 バークが、ぬるくなった紅茶をすすりながら眉をひそめる。

「あの娘、相当憎悪してるんだろ? ご両親のことを……。おまえが止めなければ、本気で殺していたかもしれないんだろ?」

 カップを置くと、バークは腕を組み考える。

「その憎悪はすぐには消せないだろうよ、だからこそなんだよ。ヒロトちゃんにとって、今やってることより楽しいことを提示する! ただそれだけだよ。もちろんヒロトちゃん、簡単にはそっち方面には、向かわない可能性はあるさ。でも俺たちや、リアンなんかが協力すれば、少しは態度も軟化するかもしれないだろ」

 アートンがバークに熱く説明をする。


「他人の家庭に口出しするな、っていうけどさ。少しのきっかけさえ提示してやれば、環境は大きく変化するもんだよ。バーク、そんなに悩むようなことかよ。あの家庭が、もうどうしようもないのは、昼の一件で確定的だろ? おまえはまだ小さいヒロトちゃんまで、一家ともども壊れていくのを見過ごせるのか?」

 アートンのその言葉に、バークはまたいいえぬ不安を感じる。


(やっぱり情で動くタイプなんだな、アートンは……)


 悪いことではないのだろうが、果たしていい結果になるか、余計なお世話になるか。

 打開策は示されたとはいえ、街への滞在期間は一週間、そんな短い期間で解決できる案件だろうかという不安もある。

 その間に、いい方向に向かってくれたらいいんだろうが、何もせずにいるとアートンのいう通り、家庭崩壊の未来しか見えないのは事実だろう。

 バークは、仕方なしにアートンの提案にうなずく。


「従業員のオバサン連中が、主導で動いてくれるっていうんだったら、問題はないかもな」

「だろっ!」そういって、アートンが席を立つ。

「それと、そうだな……」

 バークが立ち上がって、給料袋から金を取りだしながらいおうとする。

「ここまで干渉してしまったら、途中で投げ出すのも、尻の座りの悪い話しだよな。せめて、ヒロトちゃんが新天地で、上手くやっていけるかを見届けるのも、筋かもしれないな」

 バークの言葉に、アートンの顔が明るく晴れる。

「おい、じゃあ!」

「ああ、ヒロトちゃんが厚生できるかを見定めてから、この街を出るのも視野に入れておこう。帰るまでの期間は伸びるが、関わった以上仕方ないだろ……」

 バークが、渋々そんなことをいうが、表情は暗くない。

 アートンはバークの手を取って、「ありがとう!」と心から礼をいう。


「じゃあ、そろそろ帰ろうか、けっこう話し込んじまったな」

 バークは壁に掛かった時計を見つめる。

 午後六時半を指していた。

「なぁ、そうだ……。話しは全然変わるんだけどさ……」

 バークが勘定をしている時アートンに、いいにくそうに話しかけてきた。

「さっきとは別の、不安なことがあるのか?」

 アートンが、やけに神妙な表情のバークに訊く。

 バークはアートンの給料袋を指差していた。

 それを見てアートンは笑い、彼のいいたいことを察する。

「了解、了解! 金の管理は、おまえの仕事だったな」

「すまないな、稼ぎを奪うような真似して」

 申し訳なさそうにバークがいう。

「いいってことよ、気にすんなって」

 アートンがお金をバークに渡す。


「それとだな、俺今夜、アモスと話しをひとつつけようと思うんだ」

「アモスと?」

 店を出たアートンが、また不安なことをいってくる。

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