51話 「日雇い労働二日目」 其の一
草で覆われていた土手の斜面が、かなり舗装されている。
労働者たちが夕焼けを背景に、業務終了の合図にしている近所の小学校の、午後五時の童謡の鐘の音を聴く。
鐘の音とともに、労働者たちがため息をついて、安堵の表情を見せる。
互いにねぎらいの言葉をかけあい、一日の終りをよろこんでいる。
今日は、どこで飯を食うかという相談が、あちこちから聞こえる。
そんな労働者たちの中に、アートンの姿もあった。
昼間の騒動が、まだ心の中に尾を引きずっていたが、表には出さず残り半日の業務をアートンは終えることができた。
宿の女将から、何度も殴られた箇所が実は青あざになっていたが、アートンは黙って仕事をしていた。
そんなアートンに、深く礼をする若者がいた。
「アートンさん、ありがとうございました!」
肌の浅黒い、移民らしきまだ若い少年のような労働者が、アートンに礼をいう。
「いや、いいってことよ。しかし、ほんと筋がいいな。はじめて扱ったとは思えないぐらい、いい感じで動かせていたぜ。正直、もうひとりでじゅうぶんやっていけるだろって、レベルだったぜ」
アートンが移民の青年を、本心から褒めてねぎらう。
「さすが、ずっと独学で勉強していただけのことはあるな。知識量が半端ないし、応用も効く。本社の人間も驚いていたし、整備の人間も安心して操作を、任せられると太鼓判だった」
アートンが、移民の青年の肩をたたき本気で絶賛する。
「僕は今までは、知識しかない頭でっかちでした。でも、今日アートンさんのおかげで、実際に重機を動かせることができました。これもアートンさんの推奨で、チャンスをいただけたからです!」
移民の若い労働者が、また謝意を述べる。
「これだけ動かせたら、きっと明日は、ひとりでも大丈夫じゃないか? マニュアルは完璧だし、完成度も申し分ないとお墨つきだ。せっかくいた、きみみたいな逸材を、今までチャンスを与えずに飼い殺してたことに、俺は多少憤りを感じてるよ」
アートンが小声で、会社の悪口をこっそりいう。
移民の青年は、この職場に勤務しだして一年になるというのだが、移民ということと、若いという理由で、誰でもできる肉体労働にずっと従事させられていたのだ。
移民で発展した街サイギンだが、特定の人種や国籍によっては、あまりいい職業に就けないという不自由さも、実際存在していた。
フォールという国の暗部のようなものだった。
今、アートンの目の前にいる若い移民は、まさにその悪しき習慣が足枷になっていたのだ。
彼の聡明そうな瞳と、熱意あふれる勤務態度を見れば、彼が有能な人材であることを見抜けないはずはない。
くだらない偏見で、みすみす不向きな閑職に就かせ、有能な芽を潰していた可能性があったのだ。
今日のアートンは、重機の扱いをこの若い移民の青年に、指導しながら勤務していた。
彼は、初日から気になっていた人物だった。
やけにアートンのことを見てくるし、かと思えば重機の側によっては、いろいろチェックしていた。
整備班に混じって、勤務時間外で重機のことを独学していた姿も見ていた。
重機に対して興味津々といった雰囲気を出していたので、今朝、思い切って「重機を動かしてみるか?」と提案してみたのだ。
すると彼はうれしそうに破顔し、「是非お願いします!」と深く頭を下げてきたのだ。
あまりの真剣さにアートンは面食らったが、その真摯な態度に胸打たれ、まずは彼の熱意を、現場主任に伝えることにしたのだ。
ちんちくりんの小男だが、大声で威張り散らすことから恐れられている現場主任。
だけど、ジャルダン刑務所帰りのアートンからしたら、こんな小男屁でもない存在だった。
不機嫌そうにしている現場主任を呼び止めると、若い後継者を指導しながら勤務したいと、交渉を開始したのだ。
いきなりの申し出に驚いた現場主任だが、当然アートンのそんな勝手認めなかった。
顔を真っ赤にして、酒臭い息を撒き散らしながら喚き散らすだけだった。
しかしアートンはいっさい動じることなく、また、感情を爆発させて応戦することなく、冷静に説得をするのだ。
(アモスのおかげで、こんな小物、怖くもないな……)
身内にいる理不尽極まりない凶暴な女のおかげで、現場主任の威圧などまるでアートンには効かなかった。
騒ぎが起きると、人が集まってくる。
アートンの狙い通りの展開だった。
アートンは集まった人間に、この若い青年を指導したいことを伝え、彼ならきっと後継者にもなることを説明した。
現場主任だけなら説得不可能だが、周囲の人間も巻き込めば、流れで交渉を一気に進められるはずだと思ったのだ。
たまたまこの小人の現場主任と同格の、別部署の人間も集まってきたのは運が良かった。
そっちの人間は、かなり話しのわかりそうな人物に思えたからだ。
アートンは説得を開始する。
実は以前から独学で重機の扱いを勉強していたらしい、肌の浅黒い移民のこの青年は、重機の扱い方や知識を最初からストックしていたと。
途中、彼にかなり高度な知識を披露させてみたり、実践させてみたりして説得を後押しさせる。
才能があるのに、彼にはなかなかそのチャンスが巡ってこなかったのだ。
あの威張るばかりの偏屈そうな現場主任の、人間としての小ささと、人の見る目のなさをアートンは再認識した。
しかし、ここで現場主任を糾弾するような展開に持っていけば、今後彼のチャンスがまた潰される可能性があった。
逆恨みで、アートンがいなくなった途端に、また閑職に回されるかもしれないのだ。
現場主任には文句をいいたいのを必至にこらえ、アートンは説得することを重視する。
アートンは一週間でここを去る予定だし、彼ならその後の作業の後継者にもできると思うし、この現場にとってプラスになるはずだと力説。
などといったことを冷静に説得していると、周囲の労働者たちも集まりだし、アートンの意見に賛同する。
頑なに反抗的だった現場主任だったが、周囲が自分の意に反する意見ばかりになり、さすがに折れる。
「じゃあ、勝手にしろ! 貴様らは手を止めるな! 何をじっと見てる! さっさと働け!」
現場主任はそう怒鳴り、野次馬と化して作業を止めていた労働者たちを追い散らしながら、事務所に引きこもってしまう。
彼にしたら、はじめて受けた、現場からの抗議の声だったのだろう。
アートンひとりだったらつっぱねる気だったが、別の部署の人間まで巻き込んで説得されてはたまらない。
現場主任は、顔を真っ赤にして事務所にこもる。
その後、いつもやっている嫌がらせのような暴言や見回りを、今日はいっさいしてくることがなかった。
一方バークは、アートンがイニシアチブを取り、何やら人だかりの中で演説してるのを見ていた。
どうやら、重機の扱いができる人材育成について、熱弁していたようだ。
土砂を積んだ猫車を運ぶだけという、単調作業をしながらバークは眺めていた。
「あいつって、実はすごくできるヤツだよな……。それなのに、なんでジャルダンなんかに」
バークはいかにもわけありで、ジャルダンに収監されていたアートンの過去を想像する。
軍属であることはズネミン号で発覚し、そのことはパーティーでもバークしか知らない事実だし、囚人だということも当然黙っていた。
特に、本当は囚人で、わけありで脱走した人間だということを他のメンバーが知ったら……。
そこまで考えてバークは腕を組む。
「知ったからって、別にどう変化するとも思えないな……」
アートンの人柄は、リアンもヨーベルも信頼してるし、もちろんバークもだ。
アモスだって、それをネタに警戒したりせず、むしろいじり甲斐が増えたとよろこびそうな気もするのだ。
なのでアートンの件は、別段自分たちの一団の中で秘密にする必要はないのかもしれない……。
しかし、アモスなんかが「どんな悪さしたんだ?」等の、詮索をしだしてウザいかもしれない。
そんなことを考えて労働していると、終業の合図となる鐘の音色が聞こえていた。
一気に、どっと疲れが出てくるバーク。
バークに従事する業務は通称「地獄車」と呼ばれ、休憩時間がまともに取れずに、完全に使い捨ての駒のように、労働者を扱う現場だった。
「……もう明日からは来ない」的なことを、話してる数人の男の声を聞きながら、バークはアートンと合流するためにフラフラと歩く。
年齢も年齢だし、過酷な労働はバークの肉体を確実に蝕んでいた。
そういえば、アートンはきちんと昼休みをもらえ、昼はリアンたちのいる宿に帰ってヨーベルを見舞っていたようだ。
ヨーベルはもう完全に健康体で何も問題ないが、宿の家庭の事情がな……、とアートンは気になることをいっていた。
やけに冴えない顔をしていて、休みギリギリに帰ってきたのも気になった。
「ひょっとしたらヒロトちゃん、なんとかできるかもしれなくてな……」
そんなセリフを、アートンはいっていた。
アートンのいう、希望的観測がバークは不安だった。
「あいつ、妙にリアンと似て優しいというか……。困ってる人を、見捨てられないタイプみたいだからな。なんか面倒なことを、引き受けなければいいんだがなぁ……」
知ってか知らずか、アモスとまったく同じようなことを思いながら、バークは給料をもらうための列に並ぶ。
通称「地獄車」で酷使され、疲れきった労働者たちが、安い日当をもらうために並ぶ光景は、格者社会の現実の物悲しい縮図のようだった。
すると遠くを歩いていたアートンが、若い青年と一緒にバークに手を振ってきた。
アートンは特別手当が出るので、給料は事務所で貰えるのだ。
そういやあの青年を後継者にするとか、幹部連中の前で説得してたな。
バークがそう思っていると、後ろからドス黒い呪詛めいた言葉が聞こえてくる。
「知ってるか! あのクソガキ土人、明日から重機部署に異動だそうだぜ」
「ホントかよ! それであいつ、今日向こうにいたのかよ!」
「ああ、なんでも、才能があるから使ってやってくれとかで、幹部連中に説得してたヤツがいるらしい」
「ああ、あの昼の集会みたいなやつ? あれか?」
「ああ、そこで、ヤツ! まんまと、いい仕事にありつきやがった!」
「クソ土人の分際で、忌々しい話しだぜ! ヤツ、これから俺らのことを下に見て、優越感でいっぱいだろうよ!」
「給料だって、待遇だって、段違いって話しだ!」
「クソがっ!」
そんなことを話し合っているのは、疲れきって表情が鬼のようになった、青年と同じ部署で働いていた労働者たちだった。
労働者たちの怨嗟の声は、何やら物騒な瘴気になっているようだった。
同じ部署で働き、下に見ていた後輩が一気に昇進したのだから、面白くないという気持ちもわかる。
バークはそういった下層の人間の心理を、けっこう理解できるタイプだったのだ。
「アートンのヤツ……。埋もれていた才能を発掘して、ひとりの不遇な青年を救ったかも知れないが……。同時にその彼を、より不幸にする可能性もあるってこととかは、考えなさそうだよな……。あいつの人柄からいって、そこまで考えてないだろうな……」
ため息をつきながらバークは、罵詈雑言をいいまくる労働者の声を、なるべく聞き流そうとする。
後継者として選抜した青年にとってはチャンスを得たかもしれないが、それをきっかけに、余計な火種を産んだ可能性があるのは、今まさに耳にした通りだ。
同じことが、あの宿にもいえるのだとバークは思う。
バークが危惧するのは、特定の人を救ったことで、その変化から生じる二段階目の災厄のことなのだ。
仮に宿のあの娘さんをなんとかしたとして、そのことで大きく変容した流れに、別の問題が発生しないとも限らないのだ。
「あいつ、ヒロトちゃんに対して、何するつもりなんだろうか……」
バークは不安そうに、そうつぶやく。
そして、そっけなく事務員が手渡してきた、給料袋を見てゲンナリする。
八千フォールゴルド程度しか入っていない。
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