49話 「休憩時間」
アートンが自室前にやってきた。
持っていた果物が入った籠を、横のサイドボードに置いてカギを取りだす。
ドアをノックすると、ヨーベルの慌てたような声が聞こえる。
「あれ? ヨーベル起きてるのか?」
アートンが不思議に思う。
「入って大丈夫かい?」とアートンが訊く。
「もう少し待って下さい~。今、お部屋散らかってて片づけているんです~」
ドア越しに、ヨーベルの声が聞こえてくる。
なんだか、いそいそとした感じがするが、ここは気にせずに待とうとアートンは思った。
すると、小さい悲鳴とともにドサドサという音が聞こえる。
驚いたアートンが声をかける。
返事がないので、アートンは鍵穴にカギを突っ込む。
「すまない、入るぞっ! どうしたんだ! 大丈夫かい!」
アートンは心配のあまり、部屋に慌てて入ってくる。
そして廊下を駆け抜けて、リビングを見て絶句する。
部屋中にバークが集収していた雑誌や新聞記事が散乱し、その中でヨーベルがひっくり返っているのだ。
アートンは、慌ててヨーベルの元に駆け込む。
「大丈夫か! ヨーベル!」
「痛た……、整理していたら転んじゃいました……」
腹ばいにひっくり返っているヨーベルが、痛そうにいう。
「ほら、手を貸すから、起きられるかい?」
アートンがヨーベルに手を伸ばし、彼女を引き起こそうとする。
「面目ないです~」
ヨーベルの手がアートンに触れた瞬間、周囲にある雑誌が、ほとんど肌色成分多めの下品な記事ばかりだと気づく。
アートンは赤面し、思わずヨーベルの手をつかんだまま、視線を逸らしてしまう。
片膝をついて立ち上がろうとしたヨーベルだが、足元にあった記事を踏んだまま力を加ええしまう。
そのせいでまた足を滑らせ、今度は後方にひっくり返ってしまう。
その際、手を持っていたアートンまで引き込んでしまい、彼もヨーベルの方向に倒れこんでしまう。
ドサリという倒れ込む音と、宙を舞う卑猥な記事たち。
ヨーベルが仰向けになり、その上に倒れ込んだアートンは、まるで押し倒したような姿勢になっている。
ふたりは無言で、床に倒れこんでいる。
アートンは何もいうことができず赤面し、ヨーベルも下に倒れた体勢のままモジモジとしてしまう。
開いた窓からから入り込んでくるそよ風と、時計の秒針の音だけが部屋に響いていた。
やはり、何も言葉がでないアートンとヨーベル。
「あれ~……。どうしたんですか? 何か音が……、あっ」
すると、窓際のソファーで昼寝していたリアンが、起きてきてやってくる。
アートンとヨーベルが、まるで抱き合うように、地面に転がっているのを見つけてリアンが絶句する。
周囲には、卑猥な雑誌や新聞記事がとっ散らかっている。
「えっと……。僕、お邪魔でしたら、席外していますよ……」
リアンが赤面しながら、ふたりの方向を見ずにいう。
散らかっていた雑誌や週刊誌は、ソファーの上に乱雑にまとめられていた。
誌面はいくつかハサミで切り取られている。
これはバークが、記事をスクラップブックにするために切り取ったのだ。
先ほどのヨーベルの転倒で、雑誌の幾つかがビリビリに破れていたが、もうバークが読み終えていたたので、ゴミとして出しても問題ないだろうと思われた。
ヨーベルはリビング奥のベッドに横になり、リアンとアートンのお見舞いを改めて受けていた。
「お、リアンは、リンゴの皮剥き上手いもんだな」
アートンが関心したようにいう。
リアンは器用にリンゴの皮を、千切れることなく果物ナイフで剥いていたのだ。
「おお~! 匠の技です!」と、関心したようにヨーベルもいう。
「料理の仕込みは、よくお手伝いしてたんで、こういうことはできますよ。肝心の料理自体は、ほとんど作れないですけどね」
照れくさそうにいいながら、皮を剥いたリンゴを、リアンは皿の上で均等に切り分ける。
「リアンくんが下ごしらえをしてくれたら、わたしもお料理が捗ります! その時はよろしくですよ!」
ヨーベルがリアンにいいながら、さっそくカットされたリンゴにかじりつく。
「パンとリンゴしかないですが、アートンさんはこれだけで大丈夫ですか?」
「問題ないよ、今日の俺は肉体労働じゃなくて、指導するのがメインの仕事なんでね」
不安そうなリアンにアートンが教える。
賢明なリアンのおかげで、先ほどのヨーベルとの醜態の誤解は、あっさり解けた。
ひょっとしたら、内心は怪しんでいるかもしれないが、リアンならペラペラしゃべったりしないだろう。
むしろリアンがいてくれて、良かったとアートンは思う。
よく考えたら、ヨーベルとふたりきりで何を話せばいいのか、アートンにはわからないのだ。
快気祝いしたさに抜けだしてきたアートンだが、具体的な話題については何も考えていなかったのだ。
パンを頬張り、リンゴをかじりながらアートンは、自分が時計ばかり気にしていることに、いまさらながら気がつく。
さっきのヨーベルとの醜態も、恥じらいに拍車をかけてしまい、妙に意識してしまうようになってしまっていた。
当のヨーベルは、もうケロリとしているようだが、アートンは結構こういうところで純情だったのだ。
「ところで、アモスがいないんだな、意外だったよ」
アートンが、部屋にいないアモスのことをいう。
「なんだか診察終わりに、街を見ていきたいって別れたんですよ。眠いってのも原因かもしれないけど、若干機嫌が悪そうな気がしてたんで、好きにさせておこうと思って。気晴らしでもして、元気に帰ってきてくれるといいんですけど」
リアンが心配そうに、アモスのことを話す。
「俺としては、また何くわぬ顔で、大金を持ち帰ってくるのが恐ろしいよ」
アートンの不安は、幸か不幸か的中してしまっていた。
「あいつ、無茶してなきゃいいんだが……。って無茶してるからこそ、あんな金持ってるような気がするんだよな」
アートンがリンゴを頬張りながら、腕を組んで考え込む。
「なあ、リアン」
「は、はい……」
「あいつが良からぬ方法で、金を手に入れようとしたら、それとなく諌めてくれるか? 俺やバークがいっても、絶対に聞き入れることないだろうし、下手したらまた、大喧嘩になりかねないからなぁ」
アートンの神妙な表情の言葉に、リアンも深くうなずく。
「あいつはリアンの言葉なら、比較的素直に聞いてくれると思うから。厄介な役押しつけるけど、協力してくれるかい?」
「大丈夫ですよ、できる限り、暴走しそうになったら止めますので」
若干不安そうだが、リアンは約束してくれる。
安心したようにうなずくアートンが、ヨーベルをチラリとみる。
ヨーベルには、アモスの暴走を止めることは、さすがに不可能だろうなとアートンは思う。
「天網恢恢疎にして漏らさずですよ~」
いきなりヨーベルが、またよくわからないことを口にする。
「お天道様は見ているのです! もしアモスちゃんが、悪いことしてお金手に入れているなら、いつか罰が当たっちゃいますよ。わたしたち全員にもです~。そうならないことを、願いたいですね~」
ヨーベルが、若干怖いようなセリフをニコニコしながらいう。
「じゃあ、ちょっとしかいられなかったけど、俺そろそろ職場に帰るよ」
時計を見たアートンが立ち上がる。
あと二十分で休憩時間が終わりそうだった。
全力で走れば五分で帰れる距離だが、バークと軽く会話しておきたかったので、早めに帰ることにしたのだ。
リビングを出る際に、アートンはあることが目につく。
自分の荷物の大きなかばんの位置が、少し変化しているのだ。
しかもファスナーが大きく空き、中の衣類が少し出ているのだ。
だがそれほどその時は気にせずに、アートンは部屋を出る。
廊下まで見送ってくれたリアンとヨーベルに礼をいい、アートンは階段を降りていく。
フロントまで来ると、こんな昼時なのに珍しくカップルがチェックインするようだった。
従業員のオバチャンが、接客の応対で忙しそうだった。
そういえば、さっき見かけた女将と、若い男の姿はもう当然見ない。
あの目撃情報はさすがに、ヨーベルとリアンには話せない内容だったのでアートンは黙っていた。
すると、かすかだが女性の怒鳴る声が聞こえてきて、アートンはそっちを見る。
宿に帰ってきた時に、フレイア従業員が招いてくれたランドリーの方向から聞こえてきたようだ。
壁時計を見ると時間はまだあるので、少し興味を持ってのぞいてみることにした。
「この宿での揉め事といえば、修羅場の可能性が高いってのに、俺も趣味が悪いな」
自虐的にそんなことをいいながら、ランドリー室のドアを開ける。
すると、ランドリーの空いた窓から、激しい罵り合いが聞こえてくる。
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