48話 「まどろみの情事」 後編

「ここだけの話しね……。アートンさん、あなたもけっこう女将さんから、好意的な目で見られたんですよ。あの女将さんから、何もモーションかけられませんでしたか?」

 アモスから聞いた話しを、いきなりされてアートンは微妙な表情をする。

 苦笑いしながら否定するので精一杯だった。

「旦那も旦那で、女遊びが激しいからね……。お隣さん知ってますよね?」

 フレイアの言葉に、アートンは隣の風俗ビルを思いだす。

「朝な夕な、あそこに入り浸り。ほんと、お盛んなことですよ。午前中から夕方までは、あそこの女の子と遊びまわってるみたいでね」


「女将も主人も、両方かい……」

 アートンが呆れたようにいう。

「まったくですよ……。娘のヒロトちゃんがおかしくなりだしたのも、あの両親のせいでもあるからね」

 フレイアが腕を組んで、妙に芝居がかった仕草をする。

「ヒロトちゃんが、おかしくなった理由?」

 アートンはヒロトの名前を聞いて、不安そうに尋ねる。

 アートンも、彼女が相当荒れているのは理解していた。

 バークは放っておけといっていたが、リアン同様アートンも、彼女をなんとか更生させたいと思っていた。


「元々、円満家族って、感じじゃなかったんですけどね……。両親のハメ外しっぷりが、どんどんひどくなっていくにつれてねぇ。あの娘、誰に対しても、心閉ざすようになっていってね……」

 フレイアは、悲しそうにそう教えてくれる。

「そうなんだ……」

 けっこう深刻そうな、ヒロトの印象を改めて聞きアートンは考え込む。

 アートンは、まだそれほどヒロトの荒れっぷりを目にしたわけではないが、リアンたちの伝聞から相当ひどいらしいのは聞いている。

 アートンは、挨拶しても無視された程度だったので、深刻さはそれほど知らないのだ。


「御両親も、以前は仕事だけは、きちんとしてたんだけどね。今じゃすっかり、両方とも適当になっちゃってねぇ……。ヒロトちゃんも、学校でいろいろあったみたいだからね」

 ここでフレイアが、ヒロトに関して気になることをいう。

 フレイアは、悲しそうな顔になっていう。

「両親があんなで、家庭にも学校にも、居場所がなくなったみたいでさ……」

 フレイアの言葉で、ヒロトの身に起きたトラブルがアートンには想像できた。

「わたしらもそりゃ、なんとかしてあげようと、頑張ったんだけどさ……。やっぱり、部外者じゃどうしようもなくってねぇ。今じゃヒロトちゃん、学校にも行かずに、変な連中とつるみだしたっていうしさ」

「変な連中……」

 その言葉を聞いてアートンは、リアンやアモスが話していた連中のことを思いだした。


(確か、デモに参加してる、危なげな連中とかいてたな……)


 あえてそこについては、アートンは触れないようにした。

「ええ、なんか反エンドールデモをやってるような、物騒な連中みたいだって話しですよ」

 フレイアの口から、アートンが思った通りの人物たちの話題が出てくる。

 フレイアは洗濯物の上に腰掛けると、いきなりタバコを取りだす。

「いや、俺は吸わないので結構ですよ」

「あれ、そうでしたか失礼しました。アモスさんがお吸いになられるので、おにいさんも吸うのかと……」

 タバコを吸いながら、何かアートンにいいたいことがあるようなフレイアだが、どこか躊躇っているようでもあった。

「ほんと、どうしたものかしらね……。せめて、あの娘だけでもなんとかしてあげたいとは、思っているんだけどねぇ……。昔は素直で、良い子だったんですよ。他の従業員たちも、子供の頃からのヒロトちゃんを、知ってるだけにねぇ」

 フレイアは、タバコを吸いながら困ったようにつぶやく。


 アートンは、けっこう深刻な話しになってしまい、言葉に詰まってしまっていた。

 昼休みという短い時間に抜けだしたのだが、ヘタしたら帰るのが遅れそうなほど重い話題だった。

 まだ本命の、ヨーベルの見舞いもしていないというのに、宿に帰ってもう十分も拘束されてしまっている。

「そうそうっ! あなたたちのとこにも、ヒロトちゃんと同じぐらいの男の子いますけど。あの子、学校に通わさなくても大丈夫なのですか? 確かあの子も、子役の劇団員さんなんですよね?」

 そろそろ引き上げようと思っていたアートンに、フレイアがリアンについて訊いてきた。

「あ、ああ、まあね……」と、アートンはしどろもどろに答える。

「エングラス、目指してるんでしたよね? 向こうの学校にあの子、通わせるのですか?」

 フレイアの素朴な質問。


「い、いちおう、そういう段取りにはなっていますよ。リアンは子役から、演劇の道を真剣に学びたいみたいだし。学業はあまり、優先してないみたい……な? 本人が、そう決めたことだからね……」

 アートンはやや視線を泳がせながら、そう嘘の説明をする。

「まだ若いのに、もう人生の目標を持っているのね~」

 アートンの苦しい虚言だというのには気づかず、フレイアは感心する。

「それなら、応援もできるわよね」

「ええ、学校がすべて、ってわけでもないしね。あいつのやりたいことをサポートするのが、俺たち大人の役目と思っていますよ」

 アートンが、そんなハッタリをいう。

 フレイア従業員が、関心したようにリアンを褒める。

「まあ、役者なんて、人とは違う道だからね……。それなりの信念と覚悟は、持っておかないとね……、ハハハ……」

 アートンは乾いた笑いをする。


(なんで俺、こんな嘘ついてまで、あの女のハッタリに付き合っているんだよ……)


 アートンとフレイアが話している、ランドリーの窓の外。

 そこは、物干し台と焼却炉がある中庭になっていた。

 タバコの煙が、ゆらゆらと登っていた。

 ちょうど外にいたゲンブが、窓の隙間から聞こえてくるアートンと従業員の話しを、一部始終聞いていた。

 劇団員の男が、「連れの見舞いに行きたい」といって、出ていった音が聞こえる。

 ゲンブは、ゆっくりとタバコを吹かして考える。

「ほんと、ここのオバハン連中は、おしゃべりが好きだな。なんか宿の娘のことで、どうこうとかいってたが、そういう事情をいおうとしてたのかよ」


 実はゲンブも、とりあえず顔見知りになって挨拶を交わす程度の従業員から、ヒロトのことをそれとなく話されていたのだ。

 でも家庭のことは口出しできないと、キッパリと断ってそれっきりだったのだ。

 何せヒロトという少女は、今回ゲンブたちの内偵調査の候補に上がっている、危険人物かもしれないのだ。

 余計な情を介入させたら、仕事がしにくくなりそうだったからでもある。

「しかもあの女将、やっぱり極度のヤリマン女かよ。ケリーの低能、人妻落としてみせるぜ! とか息巻いてたが、誰にでも簡単に股開く、クソ淫乱だっただけじゃないかよ。あいつのことだから、きっと自慢してくるだろうな。ネタバレは移動中にでもして、あいつの反応、見て楽しませてもらうか」

 ゲンブはクククと笑って、タバコを捨てて踏み消す。

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