48話 「まどろみの情事」 前編
ファニール亭の窓から見える下の通りに、宿の従業員のオバチャンたちがたむろする姿が見える。
そのオバチャンたちが、前方からやってくるアートンの姿を見つけて色めき立つ。
従業員たちは年甲斐もなくうれしそうに、昼休みを利用して帰ってきたアートンと会話をはじめる。
面倒な人たちに捕まったなと思いつつも、表には出さずひとしきり紳士的な対応をアートンはする。
アートンは、果物が入ったカゴを抱えている。
ヨーベルの見舞いに、道中の果物屋で買ってきたものだった。
ヨーベルは朝にはすっかり良くなっており、さらに診療所から帰ってきても、どこも異常はないとのことだったらしい。
リアンから聞いた内容を、従業員たちのおしゃべりで知ったアートンは安心する。
今は部屋で大事を取って寝ているらしく、リアンも部屋で留守番してくれているとのことだった。
アートンは、従業員にいちおうアモスのことも尋ねる。
「そういえば、帰ってきた時に見かけませんでしたね」
今部屋にいないことを知り、アートンはなんだか安心する。
「アモスさまは、確かひとりで買い物に出かけたらしいですよ」
リアンからそう聞いた従業員が、教えてくれる。
「ヨーベルさまは、看板女優さまですものね」
「大事があっては大変ですものね、早く良くなってもらわないといけませんよね」
「本当ですわねぇ、こちらも早く回復してもらえるように、夕食はしっかり栄養のあるものを、ご用意しないとね」
従業員のオバチャンたちは、ひとりが口を開くと、次から次に会話を繰りだしてくる。
アートンは、オバチャンたちのおしゃべりに早くも辟易しだしてくる。
「いろいろ本当に、気を使ってもらって恐縮です」
アートンは宿の人々の好意に感謝していたが、今は早くこの場から開放されたいと思っていた。
休憩時間は一時間もらえたが、ここでこれ以上時間を潰したくなかった。
この従業員たちが、やけに好意的なのはアモスの嘘のせいもあったが、アートンの物腰の柔らかさとルックスが、従業員に気に入られているというのも大きかった。
「そうそう、これお部屋に帰ったら、みなさんでどうぞ」
そういってオバチャンがひとり、飴玉の袋をやぶってザラザラと果物の籠に入れてくる。
「あ、ありがとうございます」と、アートンは頭を下げて謝意を示す。
「そういえば、あの件どうなったのかしらね」
従業員のひとりがパンと手をたたく
「あら、なあに?」
別の従業員が、一斉に尋ねる。
「ほら、劇団員の娘さんがいる……」
話題が劇団のことになったので、アートンが慌てて話題を切り上げようとする。
自分たちのハッタリ劇団話しに波及して、ボロがでる恐れがあったからだ。
アートンは時間が限られていることを話し、今はヨーベルたちにお見舞いすることを優先したいと願う。
「すみません、昼休み時間それほどないもので。とりあえず、ヨーベルにこれ届けにいっていいですか?」
アートンは見舞いの果物を見せ、長話しが好きそうな従業員のオバチャンたちの輪から開放される。
「飴玉もありがとうございました、ふたりとも甘いモノ好きなようなので」
アートンが急いで宿に入ると、やけに静かなフロントに違和感を覚えた。
壁時計の秒針の音が、やけに響いているような気がする。
表での賑やかさとは一変した空気に、アートンは少し戸惑う。
カウンターに誰もいないのは、この宿ではけっこうありえる光景なので気にならないが、それでも静かだったのだ。
不思議に思いながら、アートンは宿の奥に歩いていく。
「こんな時間だから、客もいないんだろうが、それでも静かだな? まあいいか、ヨーベルは元気にしてるかな? 朝には熱も引いてたし、医者も問題ないっていってたらしいしな」
そういって、フロントから廊下に出たところでアートンはある光景を目にする。
それを見たアートンが、慌てて物陰に隠れる。
カップルが休憩室で、堂々と抱き合っていたのだ。
こういう用途の宿なので、珍しくないかもしれないが、その相手を見てアートンは驚いたのだ。
宿の女将が淫らに衣類を乱して、誰だかわからない男と、真っ昼間から抱き合っていたのだ。
宿の主人ではないのは、男のド派手な衣装ですぐわかったし、しかもかなり若い男のようだった。
「おいおい、なんだよ……」
気を取り直して、もう一度こっそりと、アートンはその情事を盗み見る。
女性は宿の女将であるのは間違いなく、情事の相手はアートンは知らなかったが、同じく宿泊していた「サルガ」のケリーだったのだ。
するとアートンが、後方から気配を感じでそちらを見る。
宿の従業員が、アートンを無言で手招きしていた。
確か、娘が劇団にいるとかいっていた、フレイアという従業員だった。
フレイアに招かれ、アートンはランドリーのある部屋までやってくる。
本当はすぐにヨーベルを見舞いたかったが、アートンも多少の好奇心があって、フレイアの話しを聞いてみたかったのだ。
「いやぁ……、驚いたよ。さ、さっきのあれは、宿の女将だよね? 相手、誰なんだい?」
アートンは先方に聞こえるわけもないのに、フレイアに小声で聞いてみる。
「なんか宿に泊まっている、チャラいお客さんだよ~。みなさんと同じで、結構前からこの宿を拠点に、長期滞在してたんですよ」
「へぇ……、俺たち以外にも、そういう宿泊客がいたんだ」
アートンが、はじめて知った事実に驚く。
「三人組の、なんだか、ちぐはぐな人たちなんだけどね。ひとりは銃を大広げに見せつけて物騒だし、ひとりは陰気そうで評判も悪いんですよ。あのお兄さんは比較的好評だったんですけどねぇ、まさかあんなことしてくるとは……」
フレイアが困ったように、オロオロしている。
「実はあのチャラい人、けっこう前から女将にアプローチしてたみたいでね~。やだよう、昨日あたりから、急激に仲良くなっちゃってさ」
「そ、そうなのかい……」
アートンは口ではそういうが、アモスがいっていた、誰にでも股を開く節操のない女だ、という言葉を思いだしていた。
半信半疑だったが、客にまで手を出すとなると、あながち間違いはないのかなと思う。
フレイアは、困ったような顔になってため息をつく。
「営業中、しかも真っ昼間に何やってるんだか……。元々あの女将、男癖悪いほうだからねぇ」
「そ、そうなんだ……」と、アートンの視線が泳ぐ。
困ったような顔がたちまち元気になり、噂話好きな中年女性のようなトーンになるフレイア。
「仕事終わりにね、違う男と遊んでる様子を、何度も見ているのよ~。ここだけの話しだけどね、パン屋の若い男の子にも、手を出してるって話しさ」
フレイアの言葉に、アートンは困惑する。
アモスは今朝、この奥さんの旦那さんとも、関係があるといっていた。
どうやらフレイアは、そのことには気づいていないようだった。
当然真実を語るわけなく、アートンは黙っている。
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