33話 「川辺での餌やり」 其の一

 翌朝、リアンとアモスは宿の前にある、土手の桟橋に来ていた。

 リアンの手には、パンくずが入ったバケツがあった。

 川を泳ぐアヒルたちが、さっそく集まってくる。

 リアンに同行してきたアモスが、隣で眠そうに大あくびしている。


 朝食を部屋に届けにきた、宿の女性従業員が「表の川のアヒルの餌やりをするかい?」と、リアンに勧めてきたのだ。

 その申し出をリアンは快諾すると、同行したがるヨーベルを、バークとアートンが制止した。

 まだ安静にしていたほうがいいというのが、ヨーベル外出に対する反対理由だった。

 不満そうなヨーベルだったが、諦めて渋々ベッドに戻る。


 リアンの持っているバケツに餌があることを、アヒルたちは知っているようで、さっそく足元で騒ぎだす。

 まだ寝起きで不機嫌そうなアモスが、いきなりアヒルを蹴り飛ばしたりしないかとも思ったが、さすがにそこまで極悪非道な女性ではないようでリアンは安心した。

 特に餌やりを楽しんだり、アヒルを可愛がる素振りも見せないが、リアンと一緒にいることで満足している感じだった。


 バークとアートンは、情報収集をもう少ししてから、出勤の準備をしたいとのことで不参加だった。

 特にバークは、なるべく多くの情報を収集して、整理してから、それらをまとめ上げたいようだった。

 集まった情報を、パーティー共通の情報として、全員に認識してもらいたいようだった。

 旅をする上で、なるべく立ちよらないほうがいい場所。

 まだ紛争が継続している、治安が不安定な場所。

 悪名高いエンドール軍人や、傭兵団が支配している地域もあったりするので、それらも避けられるように、事前に情報として知っておきたいようなのだ。

 バークが昨夜ちょっと調べただけでも、けっこう知らずにうっかり踏み込んでしまうと、危険が及びそうな地域があったのだ。

 雑誌や週刊誌を読んだだけの、わずかな情報収集でこれだけ出てくるのだから、みなの安全を確保したいバークにとっては、事前の情報収集は必須作業だったのだ。


 アートンも協力を惜しまないで、一緒にバークの手伝いをしていた。

 ふたりは今日も仕事だというのに、昨夜はけっこう遅い時間まで起きて情報収集していたようで、あまり眠れておらず朝食時もまだ眠そうだった。

「時間ならありますので、そんなに頑張らないでください」

 思わずリアンの口からそんな言葉が出かかったが、さすがに一生懸命自分たちの安全のために、行動してくれているふたりに失礼と思って黙ることにした。

 自分を故郷に帰すための帰路を検討してくれているんだから、それをいうのはタブーだろうとリアンは判断したのだ。

 なので、ありがとうございますと、感謝の言葉を述べるに留めておいた。

 リアンの心からの謝意に、アートンとバークも笑顔になってくれた。


 一方アモスは、「情報共有するとか面倒よ、やるならあんたらだけでやってよ」と露骨に嫌がり、情報収集に使った雑誌類がとっちらかった部屋を見て、眉をしかめるのだ。

「バークひとりに、リーダー役としての全責任を、押しつけるわけにもいかないだろ」

 バークの行為に、理解を示してもらいたくて苦言を呈したアートンだが、アモスににらまれてすぐ黙ってしまう。

 朝から険悪な空気になってはマズいと、リアンは一行の仲を取り持つために腐心した。

 頑張ってくれてるバークが、ヤル気を失うようなことがあっては、大変だと思ったのだ。


 アモスのことだ……。

 アートンの全財産紛失の時のように、ひとつのミスを必要以上に攻め立てる、可能性があるのをリアンは危惧したのだ。

 しかしアートンとバークに、そのことをリアンは上手く言語化して伝えられない。

 リアンのような性格の少年にとっては、アモスと上手くやっていくためのアドバイス程度の言葉でも、彼女に対する個人攻撃のような気がするからだった。

 仲間の陰口を吹聴してるような感じがして、リアンは躊躇してしまうのだった。

 リアンの優しすぎる性格が、見当違いな遠慮に繋がってしまうようだった。

 しかし、リアンからアドバイスされなくてもバークとアートンは、アモスの危険性は当然きちんと意識している。

 怒らせたりしなければ、少なくとも頼もしい仲間、という認識は持っていた。


「情報収集は、野郎どもに任せといてさぁ。リアンくん、餌やり行くんでしょ? だったらあたしもついてくから、早く行きましょうよ」

 出発前は、妙にウキウキしながら話すアモスの上機嫌ぶりに嫌な予感もしたリアンだが、川辺に着いてからのアモスは、ぶり返す眠気からかおとなしかった。

 これぐらい静かだったら、アモスも普通に綺麗な人なのに残念だなとリアンは思う。


 リアンは、アヒルの首に巻きついたネームプレートを、それぞれ確認しながら餌を与える。

 名前を覚えるのは、見た目が同じすぎてすぐに断念したが、三羽のアヒルはよく人に懐く可愛らしい子たちだった。

 このアヒルたちは、宿の一人娘のヒロトが雛の頃から飼っていたものらしい。

 パンくずを入れているボロボロのバケツには、ヒロトが子供の頃に書いたらしい文字と、雛の絵がうっすらと残っていた。


(あの娘にも、こういう穏やかな時期があったんだな……)


 リアンはヒロトという少女の、異常なまでに反抗的で乱暴な態度を思いだす。

 昨日目撃してしまった、ヒロトと母親との親子とは思えない口喧嘩が脳内再生されたので、慌てて頭を振って停止させる。

 すると、手にしたバケツに妙な凹凸を感じてそこを見てみる。

 ヒロトがバケツを思いっきり、ヨーベルにぶん投げてきたシーンを今度は思いだす。

 その時にできた凹凸なんだろう。

 軽いバケツとはいえ、鉄製の塊が直撃してもヨーベルはケロリとしてた。

 当たった場所が良かったので、大事にならずに済んで、本当に良かったとリアンは思う。

 当のヨーベルは、ヒロトを一切非難することもなく、恨んでもいないようだった。

 というか、もうすべて忘れているような、気がしないでもない……。

「絶対、そんな感じがするなぁ、彼女のことだから」

 リアンはポジティブで、元気なヨーベルの言動を思いだして、乾いた笑いをする。


 ちなみに、最近この餌やり作業はヒロトが稀にあげる日もあるが、それ以外はほとんど従業員の仕事になっていたらしい。

 昨日はかなり久しぶりに、ヒロトが気まぐれで自分から餌やりに出かけたらしかった。

「あのガキが、生き物を可愛がる姿なんて、想像もつかないわねぇ~」

 あくびをしながら、アモスがそんなことをいう。

「昔は、今みたいな感じの娘じゃなかったって、話しじゃないですか。きっと、原因があるんだろうけど……」

 そこまでいって、リアンはこの話題に対しては黙っておくことにした。

 ヒロトの話題になると、アモスがやけに攻撃的になるのを思いだしたからだ。

 だけどアモスはまだ眠そうなので、ヒロトの話題でも今朝は怒りがぶり返すようなこともなかった。


「どうして、そんなに眠たそうなの?」

 リアンが単純にそう不思議に思って、またあくびをしているアモスに訊いてみる。

 ヨーベルと同じ部屋で寝ていたらしいが、彼女が寝かせてくれなかったのかな、とリアンは思った。

 はじめてヨーベルと出会ったその夜に、リアンは一方的に話しかけられて、眠れなかったのを思いだしたのだ。

 でも昨日は風邪薬のおかげで、ぐっすり寝てたと思うんだけどな……。

 そんなことを思いながら、眠そうにグズってるアモスを見るのは新鮮だったので、リアンはつい尋ねてみたのだ。


「ん~……。そうねぇ、いろいろ面白いことがあってさ、眠れなかったのよ」

 アモスは、リアンにそういったあと、ニヤリと笑いかけてくる。

 あまりにも訳有りな笑顔に思えたので、リアンは具体的なことを訊くのを控えた。

「無理しなくても、眠たいなら部屋に帰っていてもいいですよ。病院までの時間はもう少しありますし、それまで寝ていたらどうですか?」

 リアンがアモスに提案してみる。

「う~ん……。ダメよ、こんなとこにリアンくんひとり、置いておくわけにはいかないでしょ」

「別に、アヒルが襲ってくるわけでもないですから、大丈夫ですよ」

 リアンの返しに、「ふうん……」というアモス。

「そういうセリフ、リアンくんにしては珍しいわね。いや、案外ユーモアのセンスは、あるほうだったのかしら?」

 笑わせるとか、上手いことをいうつもりもなかったのだが、アモスの指摘にリアンは少し恥ずかしくなった。

 照れ隠しを誤魔化すために、リアンは周囲を見渡す。

 川の対岸の土手を、散歩する住人の姿が見えた。

 他にも、釣り糸を垂らしている人の姿もあった。

 周囲はいたって平穏で、何も危険はないような気がするのだ。


「夜はね、夜で忙しいのよ、大人なあたしは」

 またあくびをして、そんな意味深なセリフをアモスはいう。

 突っ込むと藪蛇な感じを直感したリアンが、すぐに話題を変える。

「そういえばヨーベルの熱、かなり引いていたみたいだね。昨日もらったお薬が効いたんだろうね、お礼をいいたいけど……」

 そこでリアンは躊躇してしまう。

 宿の親父さんが薬を譲ってきてもらったのは、すぐ隣にある売春宿だったからだ。

 話題が、アモスの興味のある方向に向かいそうなので、リアンはまた話題を強引に変えようとする。

 地雷が多すぎる女性だった。

 さいわいアモスは、まだ眠気が最高状態のようで、リアンに対する危なっかしい発言も今はまだ少ない。


「きっと病院でまた薬をもらえば、明日には元気になってるよね」

「あの娘なら、朝からいつもみたいに、元気だったじゃない」

 リアンの言葉に、アモスが笑いながらいう。

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