20話 「宿の家族たち」 後編
出発前、トイレに入っていたリアン。
用を終えて出てくると、廊下の先から口論しているような声が聞こえてくる。
リアンは気になって、そっちに向かってみる。
女性と少女の声が聞こえてくる。
かなり険悪な感じの罵り合いのようで、思わずリアンは引き返そうかとも考える。
しかし、通路の角からこっそりと、リアンは様子をうかがってみることにした。
そこには綺麗な女性と、早朝土手で口論したあの娘の姿があった。
こっそり帰ってきた場面を見つかったようで、お客さんに謝罪しろという女性は、どうやらヒロトという少女の母親のようだった。
お客さんというのは、きっとヨーベルのことだろうとリアンは察した。
それに対して、全力で抵抗しているヒロトが口汚く母親を罵る。
リアンは、険しい母親の顔を見る。
(あの綺麗な女性が、確かここの宿の女将さんだっけ? ふたりは親子なんだよね、でも、すごく険悪……)
リアンはヒロトと母親の、親子ケンカとは思えない罵り合いに唖然としてしまう。
「わかりました! 謝りたくないっていうなら、そのまま、お客さんたちに伝えておくわ! 人に暴力振るって、申し訳ないという気持ちすら持てない可哀想な子なのね、あなたは! 本当に、恐ろしい子になったものね……」
母親の諦めたような冷たい表情と口調が、ヒロトを無言にさせ、彼女の身体をワナワナと震わせる。
「どうせだんまり決めるんでしょうけど、いちおう訊いておくわ。ヒロト、あなたいつになったら学校に戻るの? これ以上サボると、本当に戻れなくなるわよ。戻るなら、早い目のほうがいいと思うわよ?」
母親らしいことをいう女将の言葉だが、どこか煽るような感情がこもっている。
ヒロトはそっぽを向いて、露骨に舌打ちする。
それを、見下すように見つめる母親。
かなりの美貌を持つ母親なので、その表情はそれこそ女優のように冷たい感情を、周囲に振りまく。
のぞき見していたリアンは、その場の真冬のような雰囲気に寒気を覚えた。
完全に反発しているヒロトと、それをもう容認して正論で責めるてくる母親。
ふたりの間には、親子の情といったものはすでに存在していないかのようだった。
「なんでてめぇに、指図されなきゃならないんだよ、クソババア」
沈黙を破ったと思ったら、ヒロトはこんな暴言を母親に吐く。
その言葉を聞いて、母親が鼻で笑う。
そして、また煽るような口調でヒロトに尋ねる。
「どうせあの変な連中と、まだつるんでるんでしょ? その頭の悪い言葉使いは、連中から教わったのかしら?」
「……だとしたら、なんだよ?」
悔しさで言葉を震わせながら、ヒロトはそう吐き捨てる。
「どうもしないわよ」と嘲笑気味にいう母親。
「馬鹿騒ぎするのは勝手だけど、尻拭いはひとりですることね。でも、これだけは強くいっておくわ」
母親は、ここで少しため息混じりヒロトにいう。
「あなた、そのうちきっと後悔するわよ……。あんな連中と、一緒にいる限りね。どうせ無駄だと思うけど、忠告はしておいたわよ。できるだけ早くあの連中とは、縁を切っておくことね」
母親とは思えないような口調に戻ると、そういってヒロトに背を向ける母親。
「うるせぇよっ!」
ヒロトの顔が凶相を帯びると同時に、廊下中に響き渡るような大声を出す。
「こっちは、こんなクソみたいな家に生まれて、ずっと後悔してるんだよっ! 産んでくれって、頼んだ覚えもないしなっ! いっぱしの、親みたいな面してんじゃね~よ! クソ淫売!」
ヒロトは、母親の背中に向けてそう怒鳴る。
その瞬間、母親が鬼のような形相で振り返る。
「あんたみたいなのは、とっくに自分の子供だとは思っていないわよ。そんなに気に入らないなら、さっさと家出ていきなさいよ……」
母親は鋭い目つきで、ヒロトに対して冷たくいい放つ。
その言葉でヒロトは視線を逸し、その場から逃げようとする。
するとヒロトの視線の先に、廊下の角にいたリアンが飛び込んでくる。
「あ……。す、すみません……」
つい反射的にリアンは謝ってしまった。
リアンの存在に気づいた母親が宿の女将の顔に戻り、かなり狼狽する。
「あ、あら? ご、ごめんなさいね……。お、お見苦しいところを……」
女将が振り返り、慌てて営業用スマイルでリアンにいう。
さっきまでの雰囲気とは一変した、柔和な表情の宿の女将がいた。
偽りの笑顔かもしれないが、実年齢を感じさせない美貌を持つ女将だった。
すると、ヒロトがバタバタとその場から走り去る。
「えっと、なんかケンカかなって思いまして。な、内容までは聞いてません!」
焦ったリアンはそんな余計な一言を、ついつけ足してしまう。
リアンの言葉に、バツが悪そうに口元を隠して笑う宿の女将。
「あら、良かったわ」
リアンの言葉を信じたとは思えないが、そういって笑う宿の女将。
「あの~……。放っておいて、いいんですか? お、追いかけましょうか?」
リアンは盗み見ていた負い目から、思わずそんな余計な提案をいってしまう。
「いえ、いつものことなので大丈夫ですよ。なんだかんだいって、帰ってくるから問題ないですわ」
さっきまで笑顔だった宿の女将は、ヒロトの話題になると途端に冷たくいう。
「ほ、本当にいいんですか?」
「はい、よくあることだから。じゃあ、お見苦しい所を見せてごめんなさいね。ごゆっくりしてくださいね」
そういい残すと、そそくさと女将もその場から立ち去る。ひとり残ったリアンは呆然とする。
公園のベンチに腰掛けてるリアンたち。
リアンから、今朝見た出来事をアモスとヨーベルは聞いていた。
リアンはこのことを話すべきか迷っていたのだが、ヒロトの話題が出たので、つい話してしまったのだ。
話したあとになって、リアンはかなりの後悔を抱いていた。
アモスが興味深そうに、ニヤニヤとした表情をしていたからだ。
でもリアンにしたら、あの親子の確執を解決する方法がないのか、他の人の意見を訊いてみたかったのだ。
口にしたことを申し訳ないと思いつつ、解決の糸口が見つかる可能性を、少し期待してみたのだ。
「フフフ……。ずいぶんと、おかしなガキだとは思っていたけどね。なるほどぉ、あの捻くれっぷりも納得だわ。やっぱ家庭環境が原因でもあったわけね」
「アモスちゃん、謎の笑顔です~」
アモスの含み笑いのセリフに、ヨーベルが眉を下げながらいう。
「謎でもなんでもなく、自然なものよ。笑えるから笑ってるのよ。他人の家庭の崩壊ほど、面白いものはないわ」
アモスの反応はだいたい予想がついたのだが、意外にもヨーベルもあまり深刻に捉えていないのが、リアンには少しショックだった。
「な、なんとか、してあげられないかな?」
ふたりの反応に狼狽しつつ、話してしまった以上何か対策がないかをリアンは尋ねる。
「アハハ、なんとかって、まさかあのガキのこと?」
アモスが笑いながら訊いてくる。
「う、うん……」
リアンは力なくうなずく。
アモスの反応は予想通りとはいえ、ここまでひどいとリアンは困惑するしかない。
「人の家庭に、口出しなんかしちゃダメよ。ほっときゃ、もっと面白くなるんだし。あたしもその親子喧嘩、ライブで見たかったわ~」
アモスの反応で、やはり話したことをリアンは後悔した。
リアンは暗い気持ちになって、ヨーベルに助けを求めるように意見を訊こうとした。
「アモスちゃんは冷酷無比なのです! ハーネロさんもびっくりです!」
ヨーベルの言葉に、リアンは頭を抱えたくなる。
ヨーベルは決して悪い人ではないが、親子の間を取り持ってあげたいというリアンの心情を、まるで理解してくれそうになかった。
アプローチを変えれば彼女も協力してくれる可能性があったかもしれないが、アモスがいると、どうもヨーベルは彼女に同調するようなのだ。
「人の不幸ほど愉しいものないっしょ! この一週間の間に、もっとドロドロの展開にならないかしらね!」
アモスはそんなことを、うれしそうにいってタバコを吹かしてる。
「だいたいさぁ。ガキなんて放っておいても、勝手に成長していくものよ。多かれ少なかれ、家庭にはこういった問題はあるものよ。いちいち他人が、世話焼く必要ないわよ」
アモスが無慈悲な持論を、リアンにいってくる。
「でも第三者が間に入ると、イイハナシでハッピーエンドかもですよ」
ヨーベルが、実際他人事のようにいう。
「そんな展開、あたしは望んでね~よ! 最悪のバッドエンドにでもなりゃ、いい土産話になるわ」
リアンは相当、後悔し困惑していた。
予想をはるかに上回る、最悪といっていいほどのアモスの反応だったからだ。
そんなリアンの様子を見て、アモスが何かを察する。
「……あら? ひょっとして、リアンくん。あのガキのこと、気になるとか?」
アモスが、茶化すような感じで訊いてきた。
「気になるから話したんですよ……」
リアンが不満そうにいう。
「あら、じゃあ強引にアタックでもかけてみなさいよ」
「そういう意味の、気になるじゃないですよ。ど、どうしてそうなるのさ……」
ニヤニヤしているアモスに、リアンが困惑気味にいう。
「あらら? 正直にいってもいいのよぉ? クソ生意気だけど、ヒロトってガキもそれなりの面だとは思うわよ。今は、寂しいからツンツンしてるだけかもよ。リアンくんにその気があるなら、あのガキ、素直にさせてあげるわよ」
アモスが笑いながら、リアンにいってくる。
「ぼ、僕は、単純に心配してるんだよ……。あの娘の態度、明らかに異常だし。家族の関係も、絶対におかしいよ。ふたりも、おかしいって思わない?」
真剣なリアンの顔を見て、アモスが感心したようにいう。
「さすがのリアンくんでも、あんな生意気なクソガキは御免か」
「いや、だから、そういうんじゃなくって」
ガッカリしたようにリアンがいう。
「ヒロトちゃんは大きくなったら、美人さんになると思いますよ~」
ヨーベルがさらに、そんな脳天気なことをいってくる。
ふたりに茶化されてる感じがして、リアンは黙りこくってしまう。
「でもまあ確かに……。あのガキは、反抗期ってレベルを超えてはいるわね。その辺りは、リアンくんに同意よ」
しょんぼりしているリアンを見て、アモスがそういってくる。
「だったらなんとか……」
つづきをいおうとしたリアンが、噴水の向こうの公衆トイレ付近にいる集団を見つける。
そこで、デモ隊参加者の人間を数人見るのだが……。
その中のひとりに、今話題にしていたヒロトの姿を見たような気がしたのだ。
「あれはっ!」
思わず、リアンはベンチから立ち上がる。
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ヒロトのような事をいって親を憎むのは、反出生主義者というみたいですね。
最近知りました。
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