14話 「あの宿の問題児」

「ねえっ! あんたたち!」


 突然の少女の呼びかけに、リアンとヨーベルがそちらを振り返る。

 見ると目つきの鋭い少女が、バケツを抱えてこちらをにらんでいる。

 その少女を見て、リアンは内心「あっ」と思う。

 昨日、宿の前で暴言を吐いてきた少女だったのだ。

「まさかとは思うけど……。そこの小屋に、住み着く気じゃないでしょうね?」

 リアンたちに口を開かせるより早く、ヒロトは小屋を指差して、厳しい詰問口調で訊いてくる。

 その視線は、汚らしい物を見るかのように軽蔑にあふれ、見下すような悪意に満ちていた。

「あ、これはね……」

 そんなヒロトの高圧的な態度と口調に、リアンは慌ててキョドってしまう。

 しかしヨーベルは、リアンとは正反対の態度でキョトンとしている。


「迷惑なんだけど! こんなとこに住みつかれたらさぁ!」

 可愛らしい顔と声をしているが、性格の強さが目つきに現れている。

 ヒロトの激しい口調で迫られ、リアンはオロオロとしてしまう。

 初対面の女の娘から、ここまで厳しい口調で話しかけられたことも初めてだったので、リアンはどう対応していいのかわからなかったのだ。

 いつもなら自然と口から出てくる、卑屈な謝罪の言葉も、発せられないほどにリアンは狼狽していた。

「い、いや、ちが……」

 ぼうっと少女を眺めているヨーベルや小屋に、視線を行ったり来たりさせるリアンが、かろうじて言葉を発する。

「うちの宿に、お客がよりつかなくなるのよね!」

 そんなリアンの態度に、さらに追い打ちをかけるようにヒロトは語気を強める。

「この前、追いだしたばっかりだってのに。さっそく住み着くなんて! だからこんな小屋、さっさと潰しとけっていったのよ」

 ヒロトは、怒り心頭といった感じだった。


 そんなヒロトを意に介せず、ヨーベルがテクテクと彼女に近づく。

 そしてヒロトの手にしたバケツの中を、ヨーベルがのぞき込む。

 ヨーベルは、クンクンと犬のように匂いを嗅ぐ。

「まさか……」

 ここでヒロトは訝しむ顔をして、近づいてきたヨーベルと、狼狽しているリアンをさらににらむ。

「そこで、怪しい商売でも、してたんじゃないわよね! だったら今すぐ、警察に通報するわよ!」

「ちょ、ちょっと待って!」

 警察という言葉を聞いて、リアンは驚いて声を出す。

「僕たち旅してて、昨日この街に来たばかりなんだ。トラブルがあって、お金がなくなってね、訳有りで一晩借りただけなんだ。昼までには出ていくから、安心していいよ。だから通報は、勘弁してもらえないかな!」

 リアンがうろたえながら、早口で弁明をする。

 警察の厄介になったら、それこそこの旅は、そこで終わってしまうのは明確だ。

 リアンはなんとしても、それだけは避けたかった。


「ほんとかしら?」

 ヒロトが疑わしい眼差しで、リアンを見る。

 胡散臭げな視線を送るヒロトだが、リアンの言葉にどこか興味を引く所があったのだろうか、視線の棘が若干和らいでいる。

「もし、昼過ぎても残ってたら。本当に通報するからねっ!」

「だ、大丈夫だから……」

 リアンはヒロトをなだめる。

 そんな時、ヨーベルがヒロトに話しかける。

「あの~」

「な、なによ……」

 さっきから自分に近づいて、上から見下ろしてきていた女が声をかけてきたので、少しヒロトもうろたえる。

 しかし、話しかけてきた女性の顔を見て、ヒロトは驚く。


「えっ! な、なんなの! あなたすごく綺麗な人なのに、なんでこんな所で野宿とかしてるのよ!」

 ヒロトは、ヨーベルのホームレスとは思えないような美貌に、衝撃を受けたようにいう。

 そして、ワナワナと片手を小屋に指し示して、言葉をつづける。

「あそこでノンキに寝てる、野郎ふたりはなんなの?」

 ヒロトは、小屋の入り口付近で椅子に座って寝ている、アートンとバークを指差す。

 ふたりの男は、この騒ぎでもまだ爆睡して起きてこない。

「あなた、あんなのと一緒にいたら、絶対ダメになるわよ!」

 ヒロトはヨーベルに向き直り、そんなことをいう。

「今すぐ別れるのを、オススメするわ!」

 ヒロトの余計なお世話ともいえるアドバイスに、ヨーベルのキョトンとした表情。


「でっ! なんなのよっ! さっきからずっと見て! いいたいことあるなら、さっさといってよね!」

 あまりにも無反応なヨーベルの態度に、ヒロトの怒声に力が入る。

 しかし、ヨーベルはまったく動じない。

 ヨーベルは険しい表情のヒロトを無視して、彼女が手に抱えたバケツの中身を、のぞき込んだままだった。

「はい……、えっと。そのバケツの中身のパンは、捨てるんですか?」

 ヨーベルは、ヒロトが持つバケツの中身のパンくずを、指差して訊いてきた。

 バケツから漂う焼き立てパンのいい匂いに、ヨーベルは本能的に引きよせられたのだ。


 目の前の美女から予想外の質問が飛んできて、好戦的だったヒロトも、思わず素に戻ってしまう。

「パ、パン?」

 邪気のいっさいないヨーベルの質問に、思わずヒロトは川辺りの桟橋を指差す。

 そこにあるアヒル小屋を、ヒロトが指差した瞬間、ガーガーと自己主張しだすアヒルの姿が川に現れた。

「あの子たちの餌だけど……」

 そう答えるヒロトの口調は、年頃の女の娘といった感じだった。

「ああっ! あの子たちの! できれば、少し分けていただけないかな~って。ほら、焼き立ての、とってもいい匂いがしますです」

 そういってクンクンと、ヨーベルはまた犬のようにバケツの中身のパンの匂いを嗅ぐ。

 そんなヨーベルの言葉と卑しい態度に、ヒロトは衝撃を受ける。

 ヒロトは驚きつつ後ずさりする。

「し、信じられない……。ろ、ろくに食事を、摂らせてもらっていないの? あそこに寝てる野郎どもから……」

 再びヒロトは、まだ眠りこけているアートン、バークを指差す。


「ん……」

 騒がしさに気がついたのか、ここでバークはさすがに目を覚ます。

 バークは座ったままの椅子の上で大きく伸びをすると、肩と首を回す。

 コキコキと関節が音を鳴らす。

 上半身はなんともないが、座りっぱなしの腰にバークは違和感を覚える。

「やっぱ、こんなとこで寝るもんじゃないな……。俺も、もう若くないんだし……」

 ここまでいって、リアンたちが向こうに集まっているのが見えた。

 そこには、見たこともない少女もいる。

「やあ、おはようリアン、ヨーベル!」

 バークが元気に、ふたりにさっそく朝の挨拶する。

「その女の子とは、友達になったのかい?」

 何も事情を知らないバークがそう思って、ヒロトにも手を振る。


 すると……。

「ちょっとオジサン!」

 ヒロトが、目深に被った帽子を吹き飛ばす猛スピードで、バークに向かって突っかかってきた。

 あまりにもすごい剣幕のヒロトに、バークは驚く。

「あなたいい歳して、恥ずかしいと思わないの? 奥さんと子供! 野宿させるわ! 飢えさせるわで!」

 いきなりそんな言葉で、バークはヒロトから糾弾される。

「ん? な、なんだ?」

 いきなり現れた、喧嘩腰の少女の口調にバークは戸惑う。

「こ、これって? いろいろ誤解されてる感じ?」


「オジサン! そこで、グウグウ寝てるのは何者よ?」

 ヒロトが今度は、まだ寝ているアートンを指差す。

「あんたらと、どういう関係よ!」

 そういってバークにガンガン詰問してくる、狂犬のようなヒロトという少女。

 そんなヒロトの背後に、どこからともなくアモスが現れる。

 突然、姿を見せたアモスの後ろ姿に、ヒロトの糾弾の矛先が逸れたリアンが驚く。


「朝っぱらから、うるさいガキね~」

 ヒロトの背後に現れたアモスが、彼女が抱えていたバケツを取り上げる。

「さっきからギャーギャーと! 少しは黙ってろ!」

 アモスはヒロトからバケツを引ったくると、それを頭から被せる。

 バケツを頭に被され、中身のパンくずがヒロトの足元に散らばる。

 そのパンくずを狙い、アヒルたちがガアガアと駆けよってくる。

 足元のパンくずを、三羽のアヒルがついばむ。

「なんだぁ? あいつだけ、まだ寝てんのかよ。いちいちイラつくヤツね!」

 足元のやかましいアヒルと、バケツ頭の少女を無視して、アートンの寝姿を見てアモスの顔が険しくなる。


「良かった! アモスいたんだね」

 どこからともなくいきなり現れたアモスに、リアンがホッとして声をかけてくる。

「起きたら、いなくなっていたので、心配していました~。ひとりで出ていったのかと、思っていましたよ~」

 ヨーベルとリアンが、アモスの側に歩いてくる。

 凶暴性の高い恐ろしい女だが、やはりいなくなるとリアンも寂しいのだろう。

 アモスの姿を見つけて、心から安堵の表情を浮かべている。

「あらら~? あたしは、どこも行きゃしないわよ。この旅を、最後まで見届けるんだからさぁ」

 そういうアモスの登場に、リアンとヨーベルが安心している。

 そのすぐ側には、バケツを被ったヒロトが無言で突っ立ていた。


「今まで、どこに行ってたの?」

 リアンがアモスに尋ねる。

「ちょっとね、そこらを散歩してたのよ。あと、いろいろ調達もね」

 そういって、いつも腰にかけているポーチを、アモスはポンポンとたたく。

「ねぇっ! ちょっとさあ!」

 ここで、バケツを被ったままのヒロトが大声を出す。

 怒りの声が、こもって震えている。

「い、いきなりこれって、失礼じゃない!」

 ヒロトは頭を覆うバケツを指差し、プルプルと悔しさで震えている。

「何? このバケツ女? おまえなんか用ね~よ。イライラしてんなら、お家に帰ってマスでもかいてスッキリしてきな。お呼びじゃね~んだよ」

 攻撃的な言葉に、ガバリとバケツを脱ぐヒロトが、アモスをにらみつける。

 さらに足元にパンくずが散らばり、アヒルたちがそれを黙々と貪る。


「その娘から、バケツのパンもらおうと思っていたんですよ~」

 かがみ込みアヒルの身体をなでながら、無邪気なヨーベルの言葉にアモスが顔をしかめる。

「はぁ? このゴミを? あんたねぇ、冗談はそのオッパイだけにしときな? なんでこんな残飯、食べる必要があるのよ」

 アモスの言葉に、ヒロトの顔がみるみる紅潮していく。

「あはっ、お腹が空いちゃって~」

 さっき食べたばっかりなのに? とリアンは思うが、デリケートそうな話題だろうと察して、ここは黙っていることにした。

「あたしがこんなゴミじゃなく、もっといいもん食わしてやんよ!」

 足元に散らばるパンくずを、見下すようにしてアモスがそういう。

「わあっ! ほんとですか?」

 一羽のアヒルを抱え上げたヨーベルが、うれしそうに歓声を上げる。

 リアンも実家で家畜を飼っていた経験から、アヒルを抵抗なく抱き上げていた。

 そして、アモスのやけに気前のいい言葉に、面食らうバークが声を上げる。

「おい、どこにそんな金あるんだよ……」

 至極当たり前のバークのセリフだった。


 何故か知らない間に、勝手に盛り上がっている、小屋を占拠していた連中。

 ヒロトを完全に無視して話しが進行していく。

 存在すらなかったような扱いを受けてヒロトは、手にしたバケツを、怒りでギリギリと締め上げる。

「でもこのパンも、いい匂いで美味しそうですよ?」

 ヨーベルが屈み込んでアヒルを離すと同時に、落ちているパンくずを拾い上げる。

「コラッ! ゴミを拾うな!」

 アモスがヨーベルの手を軽く払い、手からパンくずを払いのける。

 そのアモスの行為で、ついにヒロトの感情が爆発する。

 目に狂気を宿したヒロトが、無言で手にしていたバケツを、頭の上で大きく振りかぶる。

「欲しけりゃやるよ! このクソ乞食ども!」

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