最終話 「悪夢のつづき」
「船長、遅れてすみません! 今カミさん来ますんで、翻訳は任せて下さい!」
船倉の螺旋階段の上から、船員が声をかけてきた。
「おうっ! 待ってるぜ! でも、できたらもっと急がせてくれ!」
ズネミンも大声で答える。
その会話が船倉内で、大きく反響する。
その瞬間だった、パリパリという何かがきしむ音がしたと思った瞬間、突然積み荷の木箱があり得ない力で四方に吹き飛ぶ。
吹き飛んだ破片が、辺り一面に飛び散る。
積み荷を覆う木箱部分が吹き飛び、中身があらわになる。
積み荷の中身は、檻の中に入った、猿人のような毛むくじゃらのバケモノだった。
バケモノはその巨体を丸め、檻に入って三角座りの体勢のままで座っていた。
積み荷の箱が四散した際、スフリック語の用紙をめくっていたスイトが、思わず後方にひっくり返り、貴重な証拠紙の上三分の二を破片に残して破ってしまう。
そして、その残り三分の二の用紙が張りついたままの破片が、上空の鉄骨に向かって飛ぶ。
紙を剥がすスイトを注視していたリアンとヨーベルが、偶然その軌道を見ていた。
ヨーベルは「ひゃぁっ」と声を出し、尻餅をついたおかげで、破片の直撃を喰らわずに避けれた。
リアンも、飛んでくる破片が運良く当たらない位置にいたため、平気だった。
しかし、積み荷の上に乗っていたパニッシュが、破片の一部を身体に弾丸のように喰らい、地面に落下して血塗れでうめく。
「いかんっ! せっかくの証拠が! ってなんだこれは!」
慌てて起き上がるスイトが、目の前の檻に閉じ込められている謎の猿人を見て、絶句してしまう。
そのスイトの声に合わせて、猿人がうなだれていた頭を上げ、スイトと視線が合ってしまう。
ドロドロに溶けたような顔をした、目を背けたくなるほど、醜悪な容姿をした” 猿人 “だった。
スイトが、あまりのおぞましさに身動きできずにいると、猿人は突然船倉に響き渡るような絶叫をあげる。
おぞましい口から飛び出す茶色い排泄物のような涎が、スイトのガードしようとした腕に、僅かだがかかってしまう。
それが皮膚に触れた瞬間、刺すような痛みと熱さにスイトは襲われる。
その場で倒れこみ、腕を服で拭うスイトだが、その瞬間さらに激しい激痛に襲われる。
「こいつの体液は危険です! みんな檻から離れて!」
スイトが激痛を我慢しながら、叫ぶ。
狂ったように雄叫びを上げて、自分を閉じ込める狭い檻を破ろうと、中でもがく猿人のようなバケモノ。
あの巨体で暴れていては、そのうちいくら鉄製の檻とはいえ、破られるという最悪の展開が予想できた。
こんなバケモノが船内に放たれたら、それこそ絶望的だった。
船倉を舞台に、悪夢のような光景の第二幕が展開される。
ズバン! という銃声が、いきなり船倉に轟く。
アートンとズネミンが、示し合わせたように銃でバケモノを背後から撃ったのだ。
鮮血が飛び散り、その血も涎同様高温の液体で、床をジュッと焦がす。
バケモノはさらに暴れるだけで、とてもじゃないが殺せる感じがしない。
「頭を狙いなさいよ! 何やってんの!」
アモスに怒鳴られ、ズネミンとアートンがあわてて、バケモノの正面に回り込もうとする。
しかし、バケモノが暴れたせいで、檻が後ろに引っくり返る。
ドン! という轟音とともに、バケモノが檻の底を蹴破る。
吹っ飛んだ檻の底が、アートンとズネミンの間をかすめて後方に突き刺さる。
とんでもない怪力だった。
バケモノは足をバタつかせ、檻の中でさらに暴れる。
このままでは本当に檻を破り、完全に抜けだしそうな勢いだった。
そんな時、檻がゆっくりと船尾の方向に向けて進行する。
檻の中で耳をつんざくような絶叫を上げながら暴れるバケモノが、壊れて開いたまんまのハッチの先の海に向けて引きずられている。
「み、みなさ~ん~。この子とっても危なそうなので、す、捨てますね~」
ヨーベルのやや緊迫感のある声がして、全員がそちらを見る。
そこには、先ほどアートンの操作を見ていたヨーベルが、クレーンを操縦してバケモノの檻を海に捨てようとしていた。
「背に腹は変えられねぇ! ローフェ神官、もうこいつは捨ててくれ!」
「がってんしょうち~!」
ヨーベルが空いた手で敬礼をすると、舌をペロリとだし、操縦盤を慎重に操作する。
そこに急いでアートンが駆けより、ヨーベルから操縦盤を譲ってもらう。
例の怪獣により若干、変形して勾配の生まれた船尾入り口部分を、アートンは絶妙な縦軸移動で檻を動かす。
檻が完全に海上に出る。
そこでフックの角度を変化させ、檻を海中に滑り落とす。
しかし、バケモノはその瞬間、檻から腕を出し、海中に没するのを阻止するために船体にしがみついたのだ。
アートンは、檻をクレーンで操作して、なんとかしてバケモノを海中に落とそうと躍起になる。
それでも絶叫しながら、バケモノは落下するのをこらえている。
そこに、アモスが勢い良く走りこんでくる。
手には巨大なレンチを持っているが、あんなもの女の細腕で持てるような物ではないはずなのだが、アモスの人外の力がここでまた発揮される。
アモスが助走をつけた、渾身の力で放つレンチの突き攻撃を、バケモノの顔面にクリーンヒットさせる。
バケモノの顔面から高温の体液が飛び散るが、アモスには届かなかった。
「死にさらせやっ! クソバケモノが!」
アモスの怒号とともに、鈍い音が船倉に響き渡る。
この一撃にはバケモノも耐えきれず、つかんでいた船体を離してしまう。
そして絶叫とともにバケモノは、巨大レンチと一緒に檻ごと海中に沈んでいく。
「た、助かった……」
アートンが思わず壁にもたれかかる。
肩をトントンとたたかれ、見るとヨーベルがサムアップしていた。
「ハハハ、ヨーベルも的確な判断だったよ」
アートンが苦笑いをして、ヨーベルの頑張りに対して、同じくサムアップで返す。
しかし、これで貴重な証拠品がなくなってしまった。
積み荷の中身は、とんでもないバケモノだった。
これは確かに、危険物として廃棄すべきものだったかもしれない。
だからといって、ズネミン号の人間ごと沈めようとするのは、どう考えても尋常な選択とは思えない。
バークは、スイトの容態を見ながら考え込んでいた。
スイトは、だいぶ腕の激痛も治まってきたようで、元気を取り戻してきていた。
「ありがとう、バーク、もう平気だ」
そういうスイトが腕の傷口を見せてくると、火傷したように赤く水ぶくれていた。
「体液が異常に高温だったのかもな……。見てみろ、床も焦げている……」
スイトが指差す、バケモノの唾液や血液が撒き散らされた床は、煙を上げて焼け焦げていた。
一方、積み荷の木箱の破片をいくつか食らったパニッシュは、床に落ちた際に昏倒してしまっていた。
仲間の船員が必死に呼びかけ、パニッシュの意識を回復させようとしている。
「ほ、翻訳するって聞いただけなのに、さっきのはなんなんですか?」
スフリック語を翻訳する船員の奥さんが遅れてやってきて、騒動の最後のほうを見ていたようだった。
「詳しい説明は、また後でしますよ、それより、スイト。例の紙はどうなった?」
ズネミンがいい、スイトが思いだしたように手にした、剥がした張り紙を広げようとする。
しかし、激痛でのたうっていた間に、張り紙は変な形に糊がくっつき、張りついてグチャグチャになってしまっていた。
「しまったっ!」とスイトが、思わず地面を拳でたたきつける。
はじめて見せるような、激昂したスイトの姿だった。
「なんてこった、貴重な物証が……。奥さん、これ読めるとこでいいので、何か重要なワードがないか翻訳してください」
「えええ? これをですか? はぁ、そんなに重要なお仕事なら、頑張ってみますよぉ」
スイトから紙切れを受け取る、船員の嫁さん。
「みなさ~ん! 残りの部分は、ここにあります! なんとか取ってみますので、諦めないで下さい!」
突然リアンの声が上空から聞こえてきて、そちらを見る。
すると、リアンが再度鉄骨を雲梯のように渡り、船尾方面に向けて進んでいた。
「あそこに、張り紙の残り部分が貼ってある破片があるんです! あれさえあれば、きっと役に立つはずです!」
リアンがそう叫びながら、船尾付近まで到達した。
しかし、鉄骨がギリギリのところで切れてしまい、リアンが必死に手を伸ばしても破片に手が届かない。
リアンは、なんとか体勢を変えて、手が届かないか試行錯誤してみる。
しかし無情にも、引っかかっていた貴重な証拠を残した破片が、わずかな海風に煽られヒラヒラと落下してしまう。
「わぁっ! だ、誰か、受け取れる人はいませんか!」
リアンが鉄骨の上から叫ぶ。
それに合わせて、船員たちが船尾のハッチ部分に殺到する。
だが、破片は誰の手に取られることもなく、吸い込まれるように海中に没してしまう。
「くそぅっ!!」
悔しさのあまり、ズネミンが床を蹴り上げる。
落胆したように、その場にへたり込む船員たち。
鉄骨の上のリアンも悔しそうに、無力感を味わっていた。
「あらら~、なんか一番大事そうなのが落ちちゃいましたね。ひょっとして、大問題ですか~?」
状況を未だによく飲み込めていないヨーベルが、楽観的にいう。
「いや、これでいいよ……。みんな無事だったんだ」
ズネミンが、仲間から介抱されて起き上がってきたパニッシュを見て、安心したようにいう。
パニッシュは、積み荷の破片で傷だらけだが、さいわい致命傷を受けている感じではなさそうだった。
アモスが腕を組んで、スパスの言葉を思いだしていた。
積み荷は、「グノーゼル」というモノらしいとスパスはいっていた。
でもスパスは、ミアド技術の際に生まれる、廃棄物的なモノといっていたはずだった。
だから、てっきり廃ニカイドと同じようなモノを、アモスは想像していた。
しかし、実際に出てきたのは、人外の姿をしたバケモノのような存在だった。
(ひょっとして、廃ニカイド同様に、人体に悪影響を及ぼすのかもしれないわね、クルツニーデの開発したっていう技術の残りカスも。だとしたら、さっきのバケモノは、ジャルダンでいうところのツグングやヘーザーみたいなモノなのかしら……。だとしたら、クルツニーデも、やっぱりニカ研同様、相当深い闇がある組織かもしれないわね……)
考えながら、アモスはスパスから奪ったタバコを一本吸うと、大きく煙を吐きだす。
そんなアモスの視界に、慌ただしくズネミンの命令に従う船員たちの姿が見えた。
了
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます