18話 「オリヨルの怪獣」

 怪獣の攻撃は、一時的に中断していただけだった。

 突然船体が激しくきしみ、甲板のある船首方向を下にするように、ズネミン号全体が傾きだしたのだ。

 よく見ると、先ほどバリスタを撃った瞬間、報復してきた巨大な触手が、船体の両サイドをガッチリとつかんでいるのだ。

 海中にいた時には見えなかった、おぞましいほど鋭利な爪が、触手の先端部に見える。

 突然の急勾配で幾人かの船員たちが、甲板を滑り落ちそうになる。

 阿鼻叫喚の地獄絵図のような甲板では、船員たちが必死に海に滑落しないように耐えている。


 リアンたちは、アモスの人間離れした怪力のおかげで、滑落を避けることができた。

 アートンとバークもなんとか、甲板の溝に手をかけて耐えている。

 ズネミンはへたり込んだ際に甲板の溝に、ベルトが奇跡的に引っかかり滑落を免れていた。

 でも、もうズネミンの視線は焦点も合っておらず、人形のようにかろうじてぶら下がっているような感じだ。

 豪胆で男らしかった海の漢の姿は、もう完全に消失していた。


「わああああっ~!」

 ヨーベルが、妙に楽しそうに歓声に似た悲鳴を上げる。

 突然の急勾配で、艦橋の柵を飛び越えて海に落下しそうになったのだ。

 ヨーベルの腕を、またパニッシュがつかみ彼女を助ける。

「アハハ、何度もすみません~」

 そういって緊張感もなく笑うヨーベルは、艦橋の柵を飛びだし、パニッシュに腕をつかまれた形で宙ぶらりんになっていた。

 足下に地面を感じないヨーベルが、なんだか笑えてきてクスクスと声を殺して笑う。

「ひ、引き上げます! なんとか頑張ってください!」

 そんな生死に無頓着な感じのヨーベルを、パニッシュが必死に助ける。

 だが、大柄な女性のヨーベルは、パニッシュひとりで釣り上げるのはつらそうだった。

「アハハ、ゴメンナサイ~。わたし、結構重いんですよ~」

 申し訳なさそうにヨーベルがいい、赤面する。


 しかし、次の瞬間ヨーベルは力を感じ、上方に投げ上げられる。

 ヨーベルは、地面に激突して艦橋の柵に引っかかる。

 遅れてやってくる腰への激痛。

 それに耐えていると、スイトの姿が見えた。

「ローフェ神官、ご無事でしたか! パニッシュも無事か!」

「アハハ、スイトさんありがとで……、わお……」

 ヨーベルが助けてくれたスイトに、ひっくり返りながらサムアップするが、上空に何かを見つける。

 呆けたような声を上げながら、虚空を見ているヨーベルが気になり、スイトもパニッシュもつられて同じ方向を見上げてみる。

「うわぁっ!」

「な、なんですかあれは……」

 絶句するしかなかった、スイトとパニッシュが見たものは……。


 勾配が止まり、今度は逆方向に揺り返しがくる。

 船を揺さぶり、まるでズネミン号で遊んでいるかのような、怪獣の行為だった。

 でも、そのおかげで船は再び水平に保たれ、滑落の危険が去った。

「ズネミン! あんたがへばってどうすんのよ! 他に、武器になるようなものないの!」

 アモスがへたり込んでるズネミンの背中を、バンと蹴り飛ばす。

 しかしズネミンは、「みんなすまねぇ……」と繰り返すばかりだった。

「クソっ! 肝心な時にぶっ壊れたか!」

 アモスがバークとアートンにいって、まだ生きてる船員を集めろと命令する。

 修羅場を何度かくぐったふたりは、アモスの発破で息を吹き返したようになる。

 こういう時のアモスは、とても頼りになるのは間違いなかった。


 アートンとバークが、船員たちをズネミンの周りに集めるために招集する。

 続々と集まってくる船員たち。

 だが船員たちも、戦意を喪失してるものばかりだった。

 そして、あの豪放磊落な性格だったズネミンが、床にへばり込んでいるのを見てさらに絶望する船員たち。

 戦闘要員として志願した三十名の船員たちは、半数に減っていた。

 すると、また船がギシギシときしむ音がする

「くそっ! このバケモノ、船をどうしたいんだよ!」

 アモスが、リアンの手をしっかり握りながら怒鳴る。


 そんなリアンたちが、ヨーベルの場違いで楽しげな声を聞く。

「みなさ~ん! 見てください~! あちらですよ~」

 ヨーベルの嬉々とした声に、船員たちも全員が彼女を見る。

 両サイドをパニッシュとスイトに支えられたヨーベルは、上空を指差していた。

 その指差していた先、操舵室のさらに上に、「巨大な顔」がこちらをまるで見下すかのような笑顔で、見つめていたのだ。

 それは、あまりにも巨大な人の顔だった。


 赤く光る目には黒い薄汚れた瞳があり、ズネミン号の乗員を愉悦するかのようだった。

 鼻らしきものがあった場所には、ふたつの大きな穴があり、そこから例の黒い毛髪のようなものが垂れ下がっている。

 そして皮膚は黒く血管のような赤い閃光が、バケモノの息吹のようにまだら模様で脈打っている。


 ズネミン号は船尾を怪獣の尻尾、両サイドを幾本もある巨大な触手のような腕にガッチリ固められ、今、オリヨルの怪獣から抱きかかえられるような形に拘束されている。

 操舵室の上空に浮かぶ怪獣の頭部は、ズネミン号の船体に、その水に濡れた長い黒髪をベッタリ貼りつけていた。

「こ、こいつ、いったいなんなのよ……」

 アモスが巨大過ぎる怪獣の顔を見上げながら、歯ぎしりをする。

 オリヨルの怪獣は、この船をどうしたいのかわからないが、間違いなく悪意を持っているのは確かだろう。

 恐怖に慄く人々の表情や絶望を、楽しんでいるかのようだった。


 すると、リアンがゾワリとして腕に違和感を覚えた。

 見ると鳥肌と共に赤い湿疹が出ている。

「エ、エビ……。これ、エビのオバケじゃないでしょうか……」

 リアンがポツリとそういう

「エビ? なんか確かに、そういわれてみれば」

 バークが周りを見回し、怪獣の全体像を想像しようとする。

 身体を丸めた巨大なエビが、ガッチリと船をつかんでいるのを想像してしまい、バークはゾッとする。

「エビですって? 今まで人に食われていた恨みが、具現化でもしたっての?」

 アモスも怪獣の正体が、巨大なエビであることの可能性の高さを意識する。


 すると、ついに怪獣が動く。

 船体に隠れていたのと、巨大過ぎて見えなかった顔の下半分に、大きな口のようなものが見えたのだ。

 両側頭部まで裂けている大口は、禍々しい瘴気を発しながら、鋭い歯を口の中に幾本ものぞかせる。

「わぁい! 丸呑みされちゃいます~」

 ヨーベルがよろこんでいるのか、怖がっているのかわからないトーンでいう。

「なんてバケモノだ、こんなのが出るとわかっていたら、絶対にこんな航路取らなかったよな……。船長の判断ミスは、わたしの判断ミスでもあるからな。すまないなパニッシュ、あと、ローフェ神官せめて最後の時です、祈りでも捧げてくれませんか」

 スイトが神妙な声でいい、最後の瞬間を覚悟する。

「いいっすよ~。下手っぴでよければ~」

 ニコニコしながら、状況に不釣り合いな声でヨーベルがサラリという。


「と、いいたいところですが、新しい発見です。あれ、なんでしょうね?」

 ヨーベルが今度指差す先は、とある船室だった。

 そこの一室から、白い光が発せられているようなのだ。

「なんだ、あれは?」

「あそこは船長室?」

 パニッシュとスイトも光に気がつく。

 同じように、もう諦めかけていたズネミン号の船員やリアンたちも、白い光を目にする。


 まばゆく輝く白い発光に、リアンたちが呆然と眺めていると……。

 突然、激しい閃光となって周囲をまるで、雪原のように真っ白に染め上げる。

 あまりの輝きに、リアンたちは目を開けることができない。

 同じように、オリヨルの怪獣にもその閃光は直撃する。

 かじりつこうとしていた船体がいきなり発光して、怪獣は激しいうめき声を轟かす。

 その閃光のせいでオリヨルの怪獣は、ズネミン号を離し、海上で大きくのたうつ。


 ズネミン号は、オリヨルの怪獣から放り投げられた形になり、船体が大きく揺らぐが運良く沈没は免れた。

 さらに運のよいことに、その際の衝撃で誰ひとり海中に投げだされた者もなく、奇跡的に全員が助かった。

 船体の揺れが収まるまで、全員が必死に海に投げだされまいとしがみつく。

 やがて揺れも収まり、なんとか窮地を持ちこたえたリアンたち。

「あれを見てみろ!」

 アートンの叫ぶ声がして、全員が彼の指差す方向が見えるとこまで走る。

 ただ、ズネミンだけはまだ放心状態のまま、動けずにいたようだった。


 全員がアートンの側に駆けよると、その指先にとんでもないものを見る。

 海上をのたうつ、巨大な人面エビがいて、絶叫を上げていた。

 次の瞬間、また高波が襲うが拘束から離れた際に、両者の距離がかなり離れていたので、それほどの脅威ではなかった。

 手摺につかまれば、どうということのない程度の波だった。


 巨大な人面エビのバケモノは、尻尾を海面にたたきつけ、海中に没してはまた飛びだしてくる。

 宙を舞う百メートル級の人面エビの姿を、リアンたちは唖然としながら眺める。

 オリヨルの怪獣は、ズネミン号の遥か遠方に着水すると、凄まじい着水音と水飛沫を撒き散らしそのまま海中に没していった。

 再度迫りくる高波だが、ズネミン号にとってはもはや脅威ではなかった。


 放心状態のリアンや、ズネミン号の乗員たち。

 徐々に静かになっていく海面を、日の出の光が綺羅びやかに一面を染め上げる。

 リアンはハッとして、先ほどの船長室付近の光を再度見てみようと思い、視線をそっちにやる。

 しかし、そこは何も変化はなかった。

「あの光が、僕たちを救ってくれた……?」

 リアンがポツリとつぶやく。

 すると、アモスがガバリとリアンを抱きしめてくる。

「すごいわぁ! なんか知らないけど助かったわ!」

 アモスの言葉に、船員たちが歓声を一斉に上げる。


「オリヨルの怪獣を追い払った!」

「やったぞっ! どうやったか知らないが!」

「生きてるぞっ! 生きてるぞっ!」

 船員たちが、無事生還できたことに歓喜している。

 それらを見ながら、珍しくリアンはアモスの抱擁を受け入れていた。

 抵抗する気力すら、リアンには残っていなかったのだ。


「やりましたね!」

 パニッシュがスイトにいう。

「ああっ! 急いで体勢を立て直して、この海域を突破しよう!」

 スイトもパニッシュの言葉を受けて、力強くうなずく。

 しかし、ひとり甲板で放心しているズネミンを悲しそうな目で見ると、スイトは彼の元に向かう。


「うわっ!」

 という声が、あちこちから聞こえてくる。

「何事だっ!また襲撃か!」と、スイトが身構える。

「髪の毛が~」

 ヨーベルの間抜けな声が聞こえる。

 彼女を見ると、船体に落ちていた怪獣の体毛のようなものが、陽の光で蒸発していくのだ。

 ヨーベルの足元の濡髪の塊も、白い蒸気を上げて消滅する。

 それと同じような現象が、あちこちで起きているようだった。

「掃除する手間が省けます、助かりますな」

 航海長のパニッシュが、消失する髪の毛の束を眺めながら、朝の光を眺めつついう。

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