17話 「黒い海の魔物」 後編

 バークが、リアンたちが甲板に出てきたことに驚く。

「どうしてもヨーベルが、オリヨルの海獣を見たいっていうから!」

 リアンが円陣を組んで、臨戦態勢を取っているバークたちにいう。

「ヨーベル? アモスじゃないのか?」というバーク。

 リアンが手を引いてるのは、確かにアモスだった。

「あ、さっき入れ替わったんだった!」

 そう思いだしたリアンが、後ろを振り返る。

「待ってくださいよ~」

 ヨーベルの、間抜けそうな声が聞こえてくる。

 まるで何事も起きてないように、いつものごとく甲板にヨーベルが出てきた。

 すると、ヨーベルの真上にべチャリと何かが落ちてくる。

 黒い塊に覆い被され、ヨーベルは床に伏してケラケラ笑ってる。

 そこに、慌てて航海長のパニッシュがやってきて、黒い塊を払いヨーベルを救出する。

 さいわいなことに、ヨーベルは現状気が触れたような症状以外、どこにも怪我はなかった。


「ローフェ神官さま、ここは危ないですから、船室に戻ってくだせぇ」

 パニッシュたちが懇願するようにいう。

「だってそれじゃあ、怪獣見れないじゃないですか~。どうせ死んじゃうなら、わたしも、怪獣見ておきたいのですよ~。ダメ~?」

 ヨーベルは狼狽しているパニッシュに甘える。

「し、仕方ないですね……」

 甘えたヨーベルに、パニッシュは一瞬で籠絡される。

「甲板じゃなく、そちらの艦橋なら」

 パニッシュが、甲板を見下ろせる位置にある艦橋を指差す。


「あと、救命胴衣を着ておいてください」

 パニッシュにいわれるがまま、ヨーベルは救命胴衣を着込んで、艦橋の手すり越しに、下で円陣を組んで襲撃に備えるズネミンたちを見下ろす。

 輪形陣で迎え撃とうとしている、ズネミンたち船員一同。

 勇敢な彼らの布陣を見て、ヨーベルは心が踊るような気分になる。

 どこにも死に対する恐怖がないのが、ヨーベル自身でも不思議なほどだった。

 ズネミンたちは、甲板の中心で輪を描くように陣取り、銃を上方に向けて構えていた。

 船の外周に設置されたバリスタにも船員が陣取り、怪獣の襲撃に備えて待ち構えていた。

 アートンもバリスタの側にいて、バリスタを撃つタイミングを図る指揮官の役目を担っている。

 バークはズネミンの側で、貸してもらった小銃を構えている。

 意外と銃器の扱いに長けるようで、バークは腰だめにして警戒を崩さないでいる。


「なんだこれはっ!」

 ベチャベチャという不快な音がして、さっきヨーベルが食らったのと同じ、濡れた髪の毛の束が上空から落下してくる。

 海を見ると、黒い触手のようなものが蠢き、黒い髪の毛を撒き散らしているようだ。

「出てきたぞっ!」という声を上げたのはズネミン。

「いや船長、まだだ、撃つには早い! もう少し、引きつけよう!」

 バークが叫び、攻撃を中断させる。

「そ、そうだなっ!」

 ズネミンがいったとたん、黒い触手が一斉に、赤い血管のようなものを表層に浮かび上がらせる。

 チカチカと光る血管のような赤い光が、黒い海に広がる。


「アートン! あれなら狙いやすいだろ! バリスタを食らわせてやれ!」

 ズネミンの指示で、アートンが了解する。

 バリスタが暗闇の中で、赤く発光する触手どもを薙ぎ払っていく。

「案外いけるんじゃないか!」

 アートンが、バリスタでの攻撃に手応えを感じて叫ぶ。

「俺たちも、海の近くで攻撃する! 陣形を維持したまま一気に、なぎ倒して追い払うぞ!」

 ズネミンがそんな脳筋号令を発して、一斉に船員たちが船の外周に殺到する。

 バークは驚くが、敵が何をしてくるのかわからない以上先手必勝は妥当かと思い、彼はアートンの側に駆けよる。


「どうだアートン!」

「問題ない! オリヨルのバケモノとかいわれてるが、大したことないぜ。銃でも全然対処できてる!」

 バークの問いに、余裕の表情でアートンがいう。

 アートンのいう通り、銃弾を浴びて、赤く発光する触手は次々と刈り取られていく。

「この気持ちの悪い髪の毛みたいなのが、奴の攻撃手段だとしたら、やっかいなんだが、さいわいキモいだけで無害だ!」

 アートンが、足元に落下してきた濡れ髪の束を蹴り飛ばす。


「サジ、マジ! バリスタの残弾は残しておこう! この触手程度なら、銃でじゅうぶんのようだ! バリスタは、いざって時に取っておこう!」

 アートンがそう叫び、サジとマジもバリスタから離れ、銃を取る。

 銃弾どころか、カトラスや手斧といった刃物でも、迫ってくる触手は薙ぎ払えた。

 怪獣は弱すぎるといっていいほどで、バークは逆に不安になってくる。

 まるでこちらの戦力を、図っているかのようなのだ。

 しかも、ゆっくりと触手は包囲を狭めてきて、確実に船に近づいている。

 バークの中に徐々に不安が広がる。

 触手は海から何本も伸びてきては、ゆっくりとした動きで、まるで嘲笑するかのように赤く発光しているのだ。

 それに、相手は百メートル級の大怪獣だ。

 その全貌を、未だ表していないのだ。


 船員たちの勇猛な攻撃だったが、戦果が見えないまま、船員たちの疲労度はすぐに現れていた。

 手斧を振り回していた船員たちが徐々に疲弊しはじめ、また、銃弾がなくなってきたと焦りだしているのだ。

 触手の発光は、チカチカチカと、さっきよりもペースが早まっているような気もする。

 すると、照明を浴びた海中から、ひときわ大きな触手が伸びてくる。

 今までの触手よりも、はるかに太く長く巨大なものだった。

 赤い発光はその巨大な触手にも健在で、さらにそいつには無数の目のようなものがあり、濁った黒目のような瞳が、こちらを見てきてるのだ。

 無数の不気味な瞳が、ズネミン号を見下すように一斉に見てくる。


「あれが本体か! 俺に任せろ!」

 サジがバリスタに駆けよる。

 海中から現れた新しい触手を手斧でなぎ払うと、バリスタを構える。

「くたばれバケモノ!」

 サジの放つバリスタが、目のある巨大な触手に突き刺さる。

 巨大な触手は赤い発光をより激しくして、海上をのたうつ。

「効いてるぞ!」

 サジがよろこび、もう一発バリスタを装填する。


 すると、轟音とともに、同じような巨大な触手が幾本も海中から出現する。

 高波が発生して、船体が大きく揺れる。

 サジがその揺れで、船体から海中に放りだされそうになるが、マジとアートンが寸のところで助ける。

「助かりました!」という、サジの言葉と同時だった。

 先程まで雑魚と思っていた触手が、ムチのような靭やかさとスピードでマジの身体を、一瞬で真っ二つにした。

 返り血を浴びて、呆然とするアートンとバークとサジ。

 甲板に転がる、分断されたマジの死体を見て絶句する。


 すると、あちこちから悲鳴がする。

 サジと同じように、バリスタを巨大な触手に撃ち込んだ射手たちが、触手によりバラバラに切断されているのだ。

 悲鳴と鮮血が飛び交う、凄惨なバリスタ付近。

「バリスタから離れろ! やべぇ、怒らせちまった! 中央に集まって、陣形の組み直しだ!」

 そう叫ぶズネミンだが、顔色が悪い。

 アートンたちも旗色の悪さを感じ、いったん中央に急いで走る。

 その後方を、ヒュンヒュンと鞭がしなるような音がする。

 アートンとバークが、ズネミンと合流する。


「アートン、その腕は……」

 バークが、アートンの腕を指差して青い顔をする。

「え?」

 アートンが見ると、逃げる際に引っ張っていたサジが、腕だけになっていたのだ。

「うわぁっ!」

 慌ててサジの腕を、アートンは思わず放り投げてしまう。

 一方のアートンは、どこにも外傷はなかった。


 触手たちは赤い光をさらに発光させ、死体をつかみあげ、海中に投げ込む。

 後でゆっくり食べるために、蒐集しているかの行為だった。

 その中に、サジの死体の姿も見えたが、すぐに海中に没してしまう。

 誰も何もいえず、その凄惨な光景を眺めるしかできなかった。

 そんな絶望しているズネミンたち船員の耳に、また低いうなり声が響く。

 クジラが鳴いているようなうめき声だが、まるで笑っているかのような印象だった


 う~っうっうっ……。


「なんなのこいつっ! 笑ってない!」

 いつの間にか甲板に来ていたアモスが、謎のうなり声を聞いて不愉快そうに怒鳴る。

 その姿を見て、ズネミンとアートンもアモスの存在を認識する。

「アモス、こいつはおまえでも、どうにもならんよ! それにリアンは危険だから、やっぱり船室に帰るんだ!」」

 バークが、見つけたアモスとリアンにそう叫んだ。

「どこにいたって、いまさら結果は同じよ! 他に武器になるようなモノはないの!」

 アモスが叫ぶ。


「あったとしても、見ただろ! バリスタで攻撃したら、明らかに報復攻撃してきやがった。今また、このバケモノ、様子見して楽しんでやがる! とてもじゃないが、手出しができねぇよ!」

 ズネミンが半狂乱でそう叫ぶ。

「船長が、情けない声出してるんじゃないわよ!」

 アモスが一喝するが、ズネミンはさっきの報復攻撃で、もうすっかり戦意を喪失しているかのようだ。

 ズネミンのいう通り、ひとしきり報復が終わり、死体を海中に引き釣り込んだ怪獣は、攻撃を止めて揺らめいている。

 その際触手の赤く光る発光と、怪獣のうめき声がリンクして、嘲笑っているかのようだった。

「なんてこった……。人間、欲なんて出しちゃダメだったな……。こんなとこで終わりか。大事な船員たちも、何人殺されたんだ……」

 今までになく、弱気な声のズネミンだった。

 そんな弱気なズネミンを、いきなりアモスがぶん殴る。

「船長のあんたが、早々に諦めてるんじゃないわよっ!」


「アモスちゃ~ん!」

 そんな時、ヨーベルの脳天気な声がする。

 アモスが声のする方向を見る。

 すぐ上の艦橋にヨーベルはいて、遥か遠方を指差している。

「何? まさか援軍でも!」

 アモスが期待して、ヨーベルの指差す方向を見る。

 しかし、そこには援軍の船などなく、もっと非情な現実があった。

 巨大なクジラの尻尾のような黒い塊が、海中から顔を覗かせていたのだ。

 やはり尻尾全体が赤い血管に覆われ、赤い閃光となって光ると、黒い塊を赤く浮かび上がらせる。

 ズバン! という轟音とともに、真っ赤な尻尾が海面をたたきつける。

 それと同時に、また高波が起きて船体が大きく揺れる。


 リアンがひっくり返りそうになるのを、アートンとバークが助ける。

「百メートル級の怪獣なんですよね。僕たち、どれだけ無謀な戦いを挑んだんでしょうね」

 自嘲気味にいうリアンと、助けてくれたアートンとバークたちにも高波が襲いかかる。

 なんとかリアンたちは、波に飲まれることなく耐えれた。

 家族同然だった船員の悲痛な悲鳴を聞き、ズネミンが完全に戦意を喪失している。


 一方、尻尾による高波で、ヨーベルも波にさらわれそうになる。

 しかし、航海長のパニッシュが、なんとか彼女の腕を引っ張り波にさらわれるのを阻止する。

「大丈夫ですかっ! ローフェ神官!」

「はい~、ありがとです~」

 ヨーベルが軽い感じで、パニッシュにお礼をいう。

 血の気が引いて生気の抜けたパニッシュと違い、ヨーベルはひとり興奮してうれしそうな感じだった。

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