15話 「バニラのオルゴール」 前編

「おっそいぞ、な~にしてたのよ!」

 アモスがいきなり不平をいってきた。

 船長に対していうような言葉じゃないことに驚いて、隣りにいたリアンは慌ててズネミンに謝る。

「いいってことよ、三十分も遅刻したんじゃ、返す言葉もねぇよ」

 ガハハと、反省している素振りさえ見せずにズネミンが笑う。


 スイトとリアンが調理場に向かい、今夜のディナーを受け取りに向かう。

「待ってる間、三人で何話してたんだ? ヨーベルちゃん、やけにうれしそうだけど、いいことでもあったのかい?」

 ズネミンが、やけにニコニコしているヨーベルに尋ねる。

 ヨーベルは相当そわそわしているようで、トイレを我慢してるかのように、その場で足踏みしている。

「え~と、すっごく楽しいことです! でも、心配する人もいるかもしれないので、内緒なのですよ~。残念なのです~、アハハ~」

「そんな気になるいい方されたら、ますます気になるなぁ?」

 ヨーベルの言動に、バークが興味を持つ。

「バークさんは心配性なので、聞いちゃうと大変なので、アモスちゃんが止めとけっていうのです~」

 ちょっと小馬鹿にしたような感じで、ヨーベルがバークにいう。

「な、なんだい、それは……」

 ヨーベルの言葉に少し面食らうバークだが、アモスの名前を聞いて素直に引き下がっておくことにした。


「アートンも同じよ! 卒倒してションベンでも漏らしたら、あんたのイケメンキャラとしての信頼に関わるでしょ?」

 アモスが次いでアートンにそう語りかけて、クククと笑う。

「ど、どういうことだよ……」

 アモスの意味不明の言葉に、アートンが思わず反応してしまう。

「まあ、なんにせよ。遅刻、悪かったぜ」

 ズネミンが船長室のカギを開けて、全員を部屋に招き入れる。

 この部屋は救出された時に、いろいろ事情を話す際に入ったきりの部屋だ。

 よくよく考えたら、ズネミンという無骨な人物には、不釣り合いな部屋だなとバークは思ってしまった。

 やけに洗練された家具や調度品が並べられ、書架にはズネミンが本当に読むのかどうかも怪しい、難読書が詰まっている。

 床の絨毯は南の大陸の宗教モチーフとなる模様で、これもズネミンとは無縁そうなものだった。

 壁には舵を模した時計が時を刻み、カジキマグロの模型が弧を描いて飾られていた。


「てかさぁ、この部屋、らしくないわね! なんか、あんたには全然似合わないわよ! どこから丸パクリしてきたのよ!」

 バークが思っていたことを、アモスは平然と口にしてしまう。

 思わずバークも「おいっ!」とアモスの袖を突つく。

「ねえちゃんは正直でいいねぇ、ますます気にいるぜ。あとバーク、おまえも同じこと思ってたって感じの反応だな、ガハハ無理もねぇ。こんな無骨な海の男には、似つかわしくない高尚な部屋だからな!」

 ズネミンはバークが思っていたことを、見抜いていたようだった。


「この部屋は、元の持ち主がそのまま残してたものを、手つかずのまま流用してるからなぁ。いかにも船長の部屋っぽい感じがしたからな、俺も船を持った時うれしくて、そのままにしてんだよ」

 子供のように目をキラキラさせながら、ズネミンが黒檀のデスクの汚れを布巾で拭う。

 ズネミンは、暇があるとこの部屋を掃除して、現状維持をするのが趣味らしい。

 何かとオンボロ船と罵るズネミンだが、この部屋だけは唯一お気に入りのようなのだ。


「独立したら、あれかい? 新しい船買うのかい?」

 アートンがズネミンに訊いてくる。

「さっき話した、セイルっていうクソガキが、新しいのを用意してくれるそうだ。ヤツら、金は腐るほど持ってるからな。この部屋も、そっくりそのまま引っ越す予定だぜ!」

 ズネミンがうれしそうに、指を金マークにしてそう話す。

 まあ、難易度の高い大前提があるのが難点だがな、と心の中でズネミンは苦笑する。

 すべては、オリヨルの怪獣に出会わないという大前提だ。


「随分、景気のいい話しが、あたしらの知らないとこで進行してるのね? 小憎たらしいたらありゃしない、一枚ぐらい噛ませなさいよ!」

 アモスが話しに、嫌味っぽく入ってくる。

「でも、絵に描いた餅に、ならなきゃいいけどね、フフフ」

「アモスちゃん、そのことはシ~ですよ」

 アモスの不敵な言葉に、ヨーベルが笑顔で口の前に指を立てていってくる。


 実はアモスやリアン、ヨーベルは、ズネミンたちを待っている間、オリヨルの怪獣の件で話し合っていたのだ。

 そして最悪、この船は沈んでしまう可能性があることも理解していたのだ。

 剛毅なアモス、超楽観のヨーベルだったので、いっさいパニックを起こさず、むしろオリヨルの怪獣に遭うことを、期待すらしていたりするのだ。

 だが、そのことはズネミンたちには内緒にしていたのだ。

 余計な心配はさせないでおこうよという、リアンの提案だった。

 リアンも明るくしてはいたが、本当はオリヨルの怪獣の存在が恐怖だった。

 だがここで、ひとり怖がっても仕方ないという思いが、人一倍強かったのだ。

 周囲の空気に合わせることが得意なリアンならではの、平常心の保ち方だった。


「そういや、ほらバーク」

 ズネミンが、バークとアートンに小声で話しかける。

「今、あのねえちゃんが着てるのが、クルツニーデのジャケットだ。どうする? 今夜、姉ちゃんの謎に迫るか?」

 ズネミンが、少し下品な笑みを浮かべていってくる。

 しかしバークとアートンは、どうにもアモスの身の上話しを聞くのが、不安だったのだ。

 どうしようかと、互いの顔を見合わせ逡巡してしまうのだ。

 はぐらかされる可能性も高いし、何より「単独でジャルダンで何をしてたのか」を訊くことが、とても恐ろしい気がしていたのだ。

「あいつ、そのうち自分から話すっていってたし、それを待つよ……。俺たちのルールで、身内のことは、なるべく詮索し合わないってルールだからね」

 アートンとバークが、そろってズネミンの提案を断る。


「ちょっと、そこの男三人組! 何コソコソ話してるのよ!」

 アモスがめざとく、内緒話しをしている三人の男たちを見つけて怒鳴ってきた。

「ヨーベルちゃんが今夜も可愛いな! って話しだよ。あと、このふたりが、ねえさん怖いってさ、ガハハ!」

「お、おい、変なこといわないでくれよ」

 バークが狼狽してズネミンにいう。

「確かに、そこのふたりはあたしの恐ろしさ、身を持って知ってるでしょうしね!」

 アモスが腕を組んで、仁王立ちしながらいってくる。

 そういってのけるアモスの自信の根拠を、アートンもバークも直に見たのだ。

 容赦なく、同房のチルを刺殺されてしまったアートン。

 さらに、なんの躊躇もなく、追手ふたりを罠にかける残忍さ。

 バークにいたっては、教会でヤバそうな大女を、容赦なく撃ち殺したのを見ていた。

 おそらくあの大女は、ニカ研の鎮圧部隊のリーダー的存在だったに違いないだろう。

 さらに、他にも死体が教会付近にはいくつか転がっていたが、あれもアモスが実はやったのでは? と疑っているほどだった。

 なので、とてもじゃないが真相が怖くて、アモスに直接詳しく訊けなかったのだ。

「誰もあんたにゃ逆らわないよ、勝てそうもないからな」

 バークが、早々の白旗宣言をアモスにする。


「ところでさっき、あんたたちが話してたの! どういうことか教えなさいよ? パトロンが居るみたいな話し、してたじゃない」

 アモスが、ズネミンに訊いてきたのは、セイル・パジェンのことらしかった。


 セイル・パジェン。

 この人物は、この物語に後々大きく関わってくることになる人物である。

 しかし、今はまだ「有名な冒険者程度」のひとりとして、記憶に留めておくだけでじゅうぶんな存在である。

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