2話 「飢餓」 後編
リアンが、ヨーベルの言動に引きながら釣りをしていると、西の水平線の異変に気がつく。
遥か向こうの海域で、大きな水しぶきが上がっているのだ。
しかも、夕日のせいなのか、水しぶきは真っ赤な血の色をしているのだ。
もしや、オリヨルの怪獣? リアンの心に戦慄が走る。
急いでみんなに知らせようと思い、リアンはすぐに釣り竿を放り投げた。
それと同時に、バークが船室から甲板に出てくる。
「リアンくん! さっきの見たか!」
バークが青い顔をして訊いてきた。
しかし、今は海は静かに静まっている。
バークもリアンの側にやってきて、海を眺めるが、さっきの出来事がまるで嘘だったように、静まり返った海面が広がる。
「ねぇっ! ちょっと何してるの? ってか、リアンくん釣果はどう?」
アモスも甲板に出てきて話しかけてくる。
「さっぱりです。でもね、今、不思議なことがあって……」
リアンが、バークと顔を見合わせていう。
「そっちも何かあったのね、でもね、こっちのが深刻かもしれないわ、急いで船室に戻ってくれる!」
アモスが、リアンとバークを誘う。
船室に入って驚いたのは、テーブルの上に二丁の自動小銃が置いてあったことだった。
ヨーベルが、それを興味深そうに眺めながら、アートンから簡単な扱いをレクチャーされている。
これは、ヨーベルも銃の扱いを覚えたほうがいいといった、アモスの計らいだった。
アートンもバークも反対だったのだが、ジャルダンで何が起きたのかを考えたら、自衛のために必要と強引に承諾させられたのだ。
ヨーベルはロック機能について、アートンから教わっている。
「じゃあ、このロックをしていると、頭を吹き飛ばせないのですね~」
他にいい方がありそうなものだが、ヨーベルはニコニコしながらいう。
ふむふむと、ロックの場所を確認するヨーベルは、まるで銃に対する恐怖がないようだった。
おもちゃのように自動小銃を扱うヨーベルは、かなり危険な存在に思えてならない。
「アートン、どうしたんだ? 何か重大なアクシデントか?」
バークが早速アートンに訊く。
「百聞は一件に如かずよ、これご覧なさい」
アートンではなく、アモスがバークとリアンを羅針盤のところに連れてくる。
そこで見たものは、クルクル壊れた時計の針のように回る羅針盤の針だった。
「こ、これは……」
バークが絶句する。
「さっきいきなりなったんだよ、俺にだって原因不明だ。こんな現象はじめて見るしさ。それで、アモスがヨーベルにも武装をさせようってことになったんだが……」
「飛躍しすぎと、あんたも思うの?」
アートンの言葉を遮るように、アモスが有無をいわさせないようにいう。
アモスの言葉にバークは、仕方ないと思いつつ無言で首を振る。
「あとな、これは黙っていた俺も悪いんだが……」
「なんだとこらっ! 秘密にしてたことがあるのか!」
アートンの弱気な発言に、すぐさまアモスが食ってかかる。
急いでアモスをなだめる、リアンとバーク。
「仕方なかったんだよ、どうすることもできなくって」
アートンが、無力感に打ちひしがれそうな表情でいう。
「もし、話せばみんなパニックになると、思ってしまったんだよ」
うなだれつつアートンがいう。
「わかった、ここまできたら何が起きてもおかしくなんかない。伊達に“ 魔の海域 ”なんて呼ばれていないんだからな。何があったんだ? 教えてくれ」
バークがアートンを落ち着かせようにいう。
アートンがいうには、昨日の夜から、船が一直線にオリヨル海域の中心部に流されているというのだ。
どんなに動力を上げようが、その行路を抜けられることができずに、流されていたのだという。
食料もないし、これ以上のパニックはアートンは避けたかったらしかった。
「オ、オリヨル海域に一直線ですか……」
リアンが絶句する。
静かになった船室に、狂ったように回る羅針盤の針の音が響く。
すると、いきなりアモスが自動小銃でその羅針盤を銃撃して破壊する。
驚くリアンたち。
アモスの目は正気に見えない。
「うるさいからね、黙らせたわ、どうせ使えないんだしよ」
しかしアモスはサラリとそういうと、特に怒った風でもなかった。
「わ~、すごい威力です! わたしも撃ってみたいです!」
ヨーベルが脳天気にいってくる。
「あんたじゃ頼りないわ、ここはアートン、あんたが装備しときな。魔の海域っていうぐらいだから、ひょっとしたら熱烈な歓迎があるかもしれないわ。どうせ死ぬなら前のめりがいいわ、アートン、漢見せることね」
銃口から煙を上げる自動小銃を構えながら、アモスがいう。
「そうはいうが、まだ最悪の事態ってわけでもないだろ……」アートンが声を絞りだす。
「ハッ! この状況が最悪じゃなくて、平穏だっていうの? あんた、ジャルダンでの暮らしが長すぎて、危機感麻痺しちゃったの?」
この言葉を聞いて少しだけだが、アモスのアートンに対する当たりが、柔らかくなったような気がリアンはした。
なるべく恫喝するような大きな声は出さないで欲しいなぁと、リアンはアモスに思うのだ。
ズバン!
そんな轟音がして、高い水しぶきが上がったのは突然だった。
しかもその水しぶきは、血にまみれたように赤いのだ。
「な、なんだ!」
バークが驚いて、思わず後ろに転倒してしまう。
慌てたヨーベルが、彼を助け起こしてくれた。
さらに、ズン! ズン! という、破裂音のような大量の血混じりの水しぶきが周囲で巻き上がる。
リアンたちの乗っている船の周囲は、血煙で視界が一気に悪くなる
ガシャンと船室の窓ガラスを壁ごとぶち抜いて、血まみれの肉塊が飛び込んできた。
驚愕するリアンたち、なんとか直撃は避けられたが、肉塊の血の匂いに一気に咽返りそうになる。
「こ、これ! クジラです!」
リアンが肉塊を見て叫ぶ。
窓からダランと内蔵をぶちまけて死んでいるのは、たしかに中型のクジラだった。
「ま、まさか!」
バークが急いで海を見る。
ちょうど、大きな水しぶきが上がって、そこから巨大なクジラが背面ジャンプをしたのが見えた。
しかもその巨体には、何か黒いうごめく無数の物体が張りついていた。
そいつらが、クジラの巨体を切り裂き、血塗れにして、内臓を引きずりだしていた。
大きな水しぶきの後、裏側を向いたクジラが苦しそうな鳴き声を発する。
しかし、無数のバケモノはクジラの体内に潜り込むと、その内臓を貪り食う。
気がつくと、辺り一面、血にまみれた地獄のような光景が広がっていた。
クジラの群れが、謎のバケモノに襲われていたのだ。
海を真っ赤に染め、悲痛なクジラたちの声なき叫びをこだまさせながら……。
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