1話 「航海のはじまり」 其の三

 テーブルの上に広げられた海図を、リアンたちは眺めている。

 やや生臭い缶詰めの匂いが部屋に充満しているが、みな腹もふくれ一段落したようであった。

 嵐に遭遇するという、いきなりの絶体絶命の危機を乗り越えた五人は、まるで旧知の仲のような関係性に早くもなっていた。

 出会って一日だというのに、困難は人との結びつきを強くするのは本当なんだなぁとリアンは思う。


 アートンとバークとアモスの三人は、仲がいいのかは不明だが、すでに悪友同士のような関係になっていて、アモスがアートンをいちいちおちょくって、それにアートンとバークが突っ込むという関係が成立している。

 バークは話題が逸れだすと自然と軌道修正して、話題を戻してくれる司会進行役のような役目が出来上がっている。

 で、ヨーベルが訳のわからないことをいって、スルーされるか、引かれるか、アモスから脳天にチョップを受けるのが定番になってきた。

 そんな関係性の中で、ひとりまだうまく溶け込めないで、個性も発揮できていないリアンだったが、終始ニコニコして楽しいと思える時間を体験していた。

 こういう感じは、小学生の時、親戚たちが一同に集まった時以来の気がする。


「とにかく、目的地はアムネークではないってことは確実だよね」

 バークが海図に大きく記された巨大な都市を指差す。

 アムネークは、リアンたちの祖国であるエンドール王国の王都で、一千万人都市とも呼ばれる巨大都市だった。

 リアンが故郷から移り住んだ都市で、わずか数日の滞在を経緯したあと、理不尽にもジャルダンに流されたという、いわくつきの大都会でもある。


 エンドールという国は戦争気運に溢れていて、グランティル地方の全支配を目論んでいる、野心的な国家だった。

 しかし、最近は長引く泥沼の戦争から、民衆による厭戦機運も高まりつつあった。

 今までは、こういった政情については関係ないお話しだったが、これ以降物語に深く関わることになっていく。

 そして、リアンたちがエンドールに関連する騒動に巻き込まれていくのは、もう少し先の話し。


 リアンがアムネークを帰還場所にしないのは、何度が本人が口にしていた通り、「何故ジャルダンに、いきなり流されたのかがわからない」からだ。

 アムネークの自宅に帰った途端、また拘束される可能性がある限り、帰るべきではないということは、あのヨーベルでも理解してくれた。

 ここでバークが残念な話しをする。

「リアンをアムネークで匿ってくれるはずだった、詰所の人間たちが、例の騒ぎで全員死んだようなんだ……」

 バークの口からはじめて聞く事実に、リアンとヨーベルも驚きを隠せない。

「エニルはかすかに息はあったが、助かる見込みは薄そうだった」

 バークが、詰所付近で倒れていたエニルを介抱した時に、すでに彼の意識はなかったことを話す。


 さらに、リアンをアムネークで匿う予定だった、ヘストンも死んでいたという。

 彼が主導となってアムネークにあるという、彼らのアジトにリアンを潜伏させる計画まで進行していた。

 しかし、彼らの死により、どこに彼らのアジトがあり、どうやって匿うつもりだったのか、今ではもうわからなくなってしまったのだ。

 リアンにとって大きな助けになるはずだった、生命線が消失してしまったに等しい。

 バークは亡くなった島の知人の死を心から悔やむ。


「あああ、そういえば連中、そんなこと話してたわね」

 ここでアモスが、数日前エニルとヘストンが車内で話していた内容を思いだす。

「あたしもついていこうと、思っていたんだけどさぁ。何? ふたりとも、結局死んじゃったのかよ」

 使えね~な! 的なニュアンスでアモスがいうが、バークは不思議でならない。

「余計な詮索は、しないほうがいいかもしれないが……。あんたも教会関係者なのか?」

 バークがおそるおそるアモスに尋ねる。

「フフフ、まだ秘密」

 アモスはニヤリと笑ってそういうと、さらにこうつづける。

「最悪、あたしがいい場所紹介してあげるわ、だからリアンくんは安心してるといいわ。でも、それがどこなのかは、もう少し秘密よ」

「そんなもったいぶって、単に気を引きたいだけじゃ……、って、危ないな!」

 アートンがバカにしたようにアモスにいうと、今度はペンが飛んできた。

「ボンクラ看守の底辺野郎の分際で、あんま舐めた口きくんじゃね~よ! 今度は本気で、目狙うぞ」

 今までにない怖いトーンのアモスの言動に、一同絶句する。


「落ち着けアモス! アートンも、いちいち挑発するなって。アモスも機嫌直せって、仲間同士、こんな初期段階からいがみ合ってどうすんだよ、楽しく行こうぜ」

 バークが、若干引きながらも、アモスとアートンにいう。


(どうもこの女、本気でヤバイみたいだし、アートンにもちょっかい出すの、控えるようにいわないとな……)


 アモスのにらみつけるような視線を見れないアートンが、海図を眺めることで心を落ち着かせる。


「フリッツが、いいと思いま~す!」

 ここで険悪な空気を振り払うように、ヨーベルが脳天気な声でそう宣言してきた。

 フリッツは、やや小さな海辺の街だが、リゾート地として有名なのだ。

 しかし、ややアムネークよりも北にあり、もうひとつの候補地港町トースロンよりも遠方の都市だった。

「なんでフリッツよ? まさかみんなで、仲良くバカンスとか考えてるんだったら、あんた意外と大物ね」

 アモスがヨーベルにいう。


「え~と、ほらフリッツってリゾート地でしょ? こういう船がいっぱいいても不思議じゃないと思うんです。もうひとつのトースロンは、商船が多い街でしょ?」

 ヨーベルが、信じられないほど建設的な提案をしてきたので、全員が意外そうにして驚いている。

「ほら、そんな貿易都市の港に、こんな船がやってきたら、怪しまれちゃいそうじゃないですか~」

「あんた結構考えたわね、バカっぽくしてるのはやっぱ演技なの?」

「お芝居は面白いですね~、憧れです」

 アモスの驚いたような賞賛に、ヨーベルが変な返しをする。


「フリッツに向かうのは、大賛成かもしれないね。土地勘がまったくない場所だけど、人目につかず、紛れ込める可能性も高いだろうしな」

 バークが地図を眺めながらいう。

 そして、地図を指し示した指を少し動かす。

「リアンくんの故郷のネバーランの村にだって、一番距離も近いからね」

 フリッツの北北東に三日ほど進んだ先に、リアンの故郷である、ネバーランの村の名前が地図にあった。


「ご家族に守ってもらえれば、リアンくんも心強いだろうな」

 アートンがリアンにそう笑いかけると、消しゴムがコチンと頭に当たる。

「な、何すんだよ……」

 消しゴムを投げてきたアモスに、アートンが文句をいう。

 若干トーンは低めで、それほど不快感を見せないようにアートンがいう。

「あんたって、ほんと真性のバカね、頭に何詰まってるの? あたし、ビックリしちゃうわ」

 自然に口から流れるアモスの罵倒に、アートンは眉をしかめる。


「考えてごらんなさいよ、リアンくんの素性をエンドールが調べていないわけないでしょ。当然、故郷のことや実家のことなんか、全部調べあげられているわよ。実家に飛び込むなんて、アムネークに帰るのとどう違うっていうのよ」

 アモスの言葉は確かだった。

 そういわれ、確かにそうだなと、そこに考えにいたらなかったことを照れくさそうにしてバークは頭をかく。

 でも何故かヨーベルは、この内容を理解できないようでリアンに理由を詳しく尋ねる。

「なるほど、飛んで火にいるなんとか、とかいうヤツなのですね! ご家族、ひどい目に合っていないと、いいですね……」

 ヨーベルが、心配そうにリアンに訊いてくる。


「うちの親とか親戚は、いちおう僕なんかと違って強いから、理不尽な事態にはきちんと法的に戦うと思うよ。母が法律の専門家だし、父さんも……」

 リアンがいおうとしたら、アモスが手を挙げる。

「はい、注目~! リアンくんは運が本当にいいわ。ここにレーベって村があるでしょ、リアンくんなら知ってるわよね?」

 アモスが地図を指差して、その位置をトントンと指で弾く。

「レーベなら、アムネークに向かう際に立ちよりました。素敵な古代遺跡がある、綺麗な村でしたね。そこがどうされたんですか?」

 リアンが思いだしながらアモスに訊く。


「このレーベは、あたしにとって故郷みたいな場所なのよ。さっき、いい案があるっていおうとしたのは、このことなのよ」

 アモスの言葉に全員が驚く。

「だから当然、村にも知り合いもいるわ……」

 若干、語尾が小さくなったようなアモスだが、すぐにキリッとした目つきに戻る。

「とりあえず、このレーベでまずはリアンくんの故郷を調査して、策を練ればいいと思うわ。リアンくんの親族に法律の専門家がいるなら、願ったり叶ったりだしね。いくらでも対抗手段、考えられるじゃない。それに、こういう謎めいた事件には、マスコミも食いついてくるわよ」

 アモスが、蓋然性の高い発言をしてニヤリと笑う。

「おまえ、悪そうな顔してしゃべるなぁ……」

「なんかいったか!」

 アートンの率直な感想をアモスは一蹴する。

 アートンは、バークに耳打ちされ、思わず口を手で抑えうなずいている。

 アモスと口論に発展すると面倒だと、諭されたのだ。


 こうして、リアンたちの次の一手は決定した。

 しかし、不安な事柄も多くまだ存在した。

 それは、目の前の危機というべき重大な案件だった。

 アートンが危惧していた通り、海流が強く、船が目的地になかなか向かわずにどんどん中央海域に流されているのである。

 しかも、その場所はオリヨル海域、通称「黒い海の魔物」と呼ばれる魔の海域で、国際的に航行を禁止されている海域だったのだ。


 今から十年ほど前だった。


 「オリヨルの怪獣」と呼ばれる全長百メートルはあるような、巨大なバケモノがこの海域を荒らしまわったのだ。

 海域を航行する船は軒並み沈められ、海軍が出動するも討伐にいたらず、死者は数千人を超えたというのだ。


 結局、グランティル諸国議連は、オリヨル海域を全面的に航海禁止地区に指定したのだ。

 それ以来、「オリヨルの怪獣」は姿を見せなくなったが、時々その巨体が船乗りの目撃談として伝わるのだ。

 怪獣の正体は、今から約八十年前のハーネロ戦役で生みだされた、生物兵器だというのが定説になっている。

 さいわいなのは、海洋生物らしく特定海域にしか出没しないため、陸地に上陸してくるということがないということだった。


「いやぁ、ロマンですね~。どうしましょう? オリヨルの怪獣なんかに遭遇しちゃったら」

 ヨーベルがトイレの前で、トイレの中のリアンにそんなことを話している。

 実は、オリヨルの怪獣のことは、当然あの場にいた全員が認識していた事実だったが、あえて話題に出さなかったのだ。

 恐怖を煽るしかだけでしかないし、でてきたら万にひとつも助からない。

 その時点で、建設的な意見をいう必要がなくなるほどの、強大な存在なのだから……。

 ところが、会議が終わると、ハーネロ戦役というオカルト好きのヨーベルが、いきなりリアンに怪獣の話しを話しだしたのだ。

 リアンはトイレの中にいて、逃げようがなかった。

 当然、リアンもオリヨルの怪獣のことは知っているが、空気を読んで話題には出さなかったのだ。


(どうしてこの人は、こんなにもハーネロ関連のことが好きなんだろう……。だいたい神官さんなのに……)


 そう思った瞬間、ドキリとするリアン。

 ジャルダンの洞窟内で、ヨーベルが告白した言葉。


「わたし、本当は神官じゃないんですよ~」

「実はすっごい悪い人なんですよ~」


 あの言葉がリアンの中に去来してくる。

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