43話 「高価な貸し衣装」 前編
夜の礼拝堂の掃除が終わる。
掃除を終えたリアンは、聖堂にあるオールズ像を眺める。
今は礼拝堂にリアンしかいなかった。
オールズ像の慈悲深そうな表情に眺められていると、リアンの中でいろいろな考えが去来する。
リアンは今までオールズ教という、エンドール王国の国教については無関心だった。
故郷の村ではそれほど教会が力を持っておらず、神官は学校の先生を兼ねていたので、神官というより教師というイメージぐらいしかなかったのだ。
お祈りといった行為も、ごく一部の村人しかしておらず、強要させるような空気も存在していなかったのだ。
あとはたまに祭事として、有名なお祭り事があるぐらいだった。
だから、リアンが故郷を離れ、初めてエンドールの王都アムネークに行った時は、驚いたものだった。
エンドール王国内が、長引く戦争で厭戦ムードになりだしたころだったらしい。
王都アムネークでは、オールズ教を一気に広めるチャンスだとばかりに教会主導で独善的な煽動をし、国粋主義者のように活動している教会関係者を、故郷から離れてはじめて見たのだ。
宗教家が戦争を煽るのかと。
今エンドール王国の王都アムネークでは、教会がまるで軍国主義者のように開戦と戦争を歓迎し、正当化を訴えていたりするというのだ。
オールズ教会は、今回の戦争を布教と信者獲得の好機と捉えて野心的に行動していた。
リアンの知っている宗教家の概念とは、かけ離れた人々の姿がそこにあった。
宗教は麻薬という言葉を聞いたことがあったが、先導する主教や司祭の言葉は薬物中毒者のように凶暴で扇動的だった。
それを見て、宗教とはかけ離れた印象をリアンは受けたのだ。
そしてこの島に流されてきて、またオールズ教への印象が新たに上書きされたリアン。
ヨーベル・ローフェという風変わりな神官の存在と、教会での慎ましやかな生活。
実際に教会で暮らしてみて、聖堂を清掃したり、今までは疎遠だったオールズ神を身近に感じてみたりすると、リアンの中での宗教への無関心が消え、親近感というものが出てきたのだ。
故郷の村から出てきて僅かな日しか経っていないが、リアンにとってのオールズ教という宗教に関する情報や印象は、まだまだ錯綜としてはいるものの、最初に比べれば相当変化していた。
ここ一週間で考えるきっかけを、いろいろ与えてくれたのだから。
ある人がいっていた、宗教は道具でもある。
その道具は人を傷つけることもあるし、助けることもある。
要は使う人次第なんだろうなとリアンは思う。
優しい表情で、人々を受け入れようとしているかのように両手を軽く広げるオールズ像を見ていると、リアンの中に少なくとも敬意と尊敬の念を芽生えさせるにはじゅうぶんだった。
どういう教義で布教されたとか、そういったことをリアンはまったく知らないのだが、布教当時は少なくとも今の攻撃的で、野心溢れる教義ではなかったはずだとリアンは思っている。
リアンは生まれてはじめて、見よう見まねだが、目の前のオールズ像に対して膝をつき真剣に祈ってみた。
しばらく無言で、祈りの仕草をしていたリアンはゆっくり立ち上がると、教会を後にしようとする。
(何かが変わったとかは特に感じないけど……。自分が無力だってことを、強く自覚したかな? でも、それでいいって素直に諦められる……。この心境の変化ってのが、信仰心ってものなのかな? 決して悪い気分じゃないのが不思議だなぁ……)
そういうことを考えながら、リアンは居住区側に向かうドアに手をかける。
リアンは居住区にやってくると、自然と玄関に目が行く。
玄関には、島に来る時に着ていた燕尾服がまだ吊るされていた。
ローフェ神官が看守に頼んで、クリーニングしてもらうことになっていたはずだが、放置されたまま引っかかっていた。
クリーニングの件は、すっかり忘れ去られたようだった。
リアンも、もうクリーニングはいいやとも思っていた。
島から帰る際に、持ち帰るのを忘れないようにしないとなと思い、それに近づいて触れてみる。
「この借り物の服……。どこも、ほつれたりはしてないよね……。うん、良かった。きれいきれい……」
礼服をチェックしてリアンは安心する。
「あの人、お金持ちそうだから、そんなに気にする必要はないと思うけどね」
リアンは、この燕尾服を貸してくれた人を思いだして、礼服をブラッシングする。
(そういえば、どこかヨーベルさんと似たような感じだったな、あの人って……。明るくって、よく笑って、人生楽しそうで、常に前向きだったし。今どうしてるかなぁ? 心配してるだろうなぁ。なんとか無事でいることを、早く伝えて安心させてあげたいなぁ)
「あれ?」
考えごとしながらブラッシングしていたリアンだが、何かに気がついて燕尾服のズボンのポケットをまさぐる。
ポケットから出てきたのは、けっこう意匠の凝ったボタンだった。
「あ、これは……。こんなとこに……。そういえばこれ、あの人に、返すの忘れてたなぁ」
リアンは、演劇舞台のようなデザインが施されたポタンを見つめて、しばらく考える。
よくよく考えたら、このボタンを拾った日から、リアンの日常が大きく変化したことを思いだす。
非日常のはじまりは、このボタンを拾った日から!
そう考えると、なんだか無性に憎らしくもなってくるから不思議だった。
たかが大量生産のボタンなのに……。
真鍮製のそのボタンには、裏面に何やら別の国の言葉が掘られている。
リアンには、見たことがない文字だった。
ボタンひとつとはいえ、実はけっこう高いものなのかな? なんてリアンは考えてしまう。
「でも、いらないかな? ただのボタンだし……。それに、このボタンの人とは、二度と会えるような気がしないんだよなぁ……」
リアンは気にすることなく、ボタンを元のポケットにしまう。
(そういえば、これもあったなぁ……)
リアンは自分の着ているズボンのポケットから、折りたたまれた紙切れを出してくる。
ローフェ神官の名前が、黒塗りで潰されたファイルだった。
再度、リアンは黒塗り部分を見てみる。
「ヨーベル・ローフェ」の文字が、確かに読むことができる。
黒塗りに潰されて完全に判明しないが、「■■神官への殺害未遂」という罪状も読み取れる。
他の部分は、相当執拗に消されて判別ができない。
リアンは、ローフェ神官の姿が周りにないかを確認して、もう一度ファイルを確認してみる。
「これについては……。やっぱり、黙っていたほうがいいよね。うん、それが絶対いいよ。これは、黙り通して島から帰ろう……」
元のポケットに、リアンはファイルをさらに小さく折りたたんでしまう。
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