42話 「天賦の差異」 前編

 囚人たちの夕食は、房の中で行われる。

 朝食もできれば牢屋内で済ませてもらいたいな、そんなことを毎回思いながらアートンは質素な食事を済ませた。

 今夜はおやつにゼリーが出たので、囚人たちの歓声があちこちから聞こえてきた。

 新入りを乗せた船が来ると、一週間で一度だけチョコやクッキー、そういった菓子類が出ることがあるのだ。

 チノなどは、毎回その菓子の登場を心待ちにしていた手合なのに、今夜は手をつけずに残していた。

 肝心の夕食も食べ残しが多く、看守が怒ると厄介だから食べろといったが、アートンの言葉は無視された。

 仕方ないので、アートンがチノに自分が食べることを伝え、なんとかすべてをさらえたので問題には発展しなかった。


 夕食後、消灯の時間になっても、まだチノは壁に向かって座りこんでいる。

 彼の行動に問題が見られたのは、同室のアートンはけっこう前から気づいていた。

 しかし、あまり触れないほうがいいのかと思い、声をかけずにいたのが失敗だったかもしれないなと、アートンは後悔しだしてきた。

 ここ数日のチノは、もう別人のようにまで変貌していた。

 元々彼は明るくアートンよりもよくしゃべる人物で、刑務所のあれこれを教えててくれた、先輩受刑者だったのだ。


 アートンが、房で塞ぎこんでいるチノに声をかけてみる。

 無言……。

 チノは黙って壁を向いて座ってる。

「何か相談でもあるなら、俺が聞くぞ? 仕事場で今日、なんかあったんだって? ここのところ、おまえいろいろしんどそうだったからな……。俺が話しつけて、解決可能なようなら、よろこんで手貸すぞ?」

 アートンはそういうが、それでもチノは黙っている。

 アートンは困ったように、ため息をつくとベッドに潜り込む。

「じゃあ、俺もう寝るから……」

 すると、ゴツゴツと音が聞こえてくる。


 チラリと見ると、チノは黙って頭を壁に打ちつけている。

 額を打ちつける音がうるさい。

 放っておこうと思ったが、どうやら構って欲しいみたいだ。

 あと、この音を看守が聞きつけたら、それはそれで面倒そうだった。

 アートンはため息をひとつつくと、面倒なチノに話しかける。

「どうしたんだよ、最近人が変わったみたいに元気ないな。俺に話しにくいってのなら、医務室のなんとかって医者が、カウンセリングとかしてたぞ。看守に頼んで、診てもらえるようにしてみようか? ひとりで抱え込んでても、つらいだけじゃないか?」

 アートンがベッドから身を起こすと、チノに改めて尋ねる。


「……アートン。おまえは何年食らったんだ?」

 チノは壁に頭をもたれかけさせながら、今夜房ではじめて口を開く。

「なんだよ、いきなりだな?」

 突然の質問にアートンは驚く。

「要領のいいおまえのことだから、どうせすぐ出られるんだろ?」

 チノの厭味ったらしいいい方に、アートンは思わず眉をしかめる。

「いや、そういうわけには、いかないんだよな……」

 アートンが頭をかきながら、いいにくそうにする。

「なんだよ、おまえそんな凶悪なことやったのか?」

 チノが意外そうに、だが壁に向かったまま食いついてくる。


「そういうわけじゃないが……。どうしたんだよ、いきなりこんなこと訊いてきて」

 アートンには、まだチノが何をいいたいのか図りかねていた。

 このふたりは、今でこそ関係がギクシャクしているが、最初はすごくウマが合い、互いのことを詮索しないでいようと誓い合った関係だったのだ。

 なのにここにきて、過去を探るようなことをしてくるチノを見て、アートンは相当重症なんだろうと思う。

 壁に向かったままで、アートンに背を向けたままのチノが話しはじめる。

 過去の誓いを破るように、チノはポツポツと自分の半生を語りだした。


「俺は昔から何やっても中途半端でな。ただ真面目ってだけの、“ つまらない ”ヤツさ。知ってるか? “ つまらない ”ってのは、この世の中でもっとも忌むべき大罪なんだぜ……」

 そういってチノは自虐的に笑う。

「そ、そうなのか……」

 暗黙の了解として、互いにタブー視していた自分語りをはじめたチノの言葉を、今はアートンは黙って聞いてやることにした。


「いわれたことを、ただやるだけ。それなりに使える奴、としてのポジションが定位置でな。でもな、ほんとそれだけなんだよ……。自分から、何かをできるってわけでもない。かといって、無能ってほどでもない……。最初は、俺を慕ってくれるヤツもいるさ。俺なんかのことを、頼りにする上司もな。でもな、気がつけば、いつもみんな素通りなんだよ。自然と俺の存在を忘れて、みんなどっかにいっちまう……。かつての部下もいつの間にか、俺のことをバカにするどころか、存在すら忘れるようにまでなっている。いてもいなくてもいい存在、それが俺という、“ つまらない ”クズのポジションなんだよ……。どこへ行っても、どこで頑張ろうともな……」

 チノはそんなネガティブな過去を、いっさいアートンのほうを見ずに告白する。

 今日仕事ミスって、みんなの印象に残ったじゃないか、とはさすがにいえなかったアートン。

 黙ってそのままいわせてやることにした。


「お前には、一生わかんないだろうな……」

「何がだよ?」

 チノの言葉をアートンが訊き返す。

「何やっても、報われない人間の気持ちってのがさ! つまらない人生を、惰性で生きるしかない、俺のようなゴミクズのな!」

「そんなわけないだろ……」

 とはいったものの、今のチノは「つまらない」どころか単純に面倒だった。

 それを正直にいうわけにもいかないので、なんとかなだめようとアートンは努力してみようとする。

「俺だって、こんな場所にいるんだ……。バカみたいなヘマしたわけだからな。そんな俺を、妬んだってしかたないだろ……」

 ベッドから出てくると、アートンは房の外を確認する。

 さいわい看守の姿は見えない。


 チノの口調がどんどん荒くなってるが、他の囚人たちの房がまだまだうるさいので、それほど気になっていないはずだった。

 今夜はチノの悩み相談を、きちんとしてやろうとアートンは決めた。

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