8話 「教会のバケモノ」

 深夜に、大雨の降る音でリアンは目覚めた。

 リアンとローフェ神官が眠る部屋に、雨音が響いていた。

 夕方になっても、曇り空のまま降らなかった雨だが、ここに来てようやく本降りになってきたようだ。

 かなりの豪雨らしく、部屋に響く雨の音は激しかった。

 しかし、どうも聞こえてくるのは雨音だけではないようだ。

「なんだろう?」

 リアンは気になって、起き上がる。

 雨音に混じり、エンジンの重低音が響いているのだ。


 ゆっくりとベッドから出てくると、ぐっすり眠っているローフェ神官の寝顔を見る。

 しかし、あまり見てはいけないような気がして、彼女からすぐに目を逸らす。

 そのまま窓辺まで歩き、カーテンの隙間から外を眺めてみる。

 窓を打つ雨脚は強く、真っ暗な中に小さな灯りが、ぼんやりと動いているのが見えた。

 詰所の隊員が、約束通り教会の周囲を巡回してくれているようだ。

 三人体勢で夜通し警備してくれるらしいと、ローフェ神官が夕食事に教えてくれたのだ。

 エンジン音は、きっと詰所の人が、車で警備に当っているんだろう。

「これだけ、きちんと守ってくれてたら、大丈夫かな? こんな雨の中、本当にお疲れ様です……」

 脱走囚の話しを聞いた時は不安だったが、 実際に夜の警備状況を見てリアンは安心する。


 時計をチラリと見ると、寝てからまだ三時間しか経っていないことに気がつく。

 ローフェ神官の寝息とともに、寝返りを打つ音がする。

 ベッドの中央を占領する形で、ローフェ神官が寝相を変えていた。

 目が覚めたものの、いろんなことが起きてリアンは疲れが溜まっていた。

 また眠気が襲ってきた。

 しかしベッドは、寝返りを打ったローフェ神官がほぼ占拠してしまい、また潜り込むのには勇気が足りなかった。

 部屋にあるソファーに腰掛け、そこで横になろうと、リアンは身体を丸める。

 ゆっくり目を閉じ、また眠りに就こうとした瞬間だった。


 突然、ガタンという音がしてリアンは驚く。


 どうも外からではなく、この建物の下の階からのようだった。

 音は断続的に、まだ聞こえてくる。

 何かを探すような音でもあり、普通に生活音な気もする。

 なんにせよ、下に誰かがいるのは間違いないように思えた。

 ソファーからムクリと起き上がると、リアンは耳を澄ませる。

 ここの教会には、今は自分とローフェ神官のふたりしかいないはずだった。

 詰所の人も、夜は教会に入らないと、約束してくれていたのを思いだす。

「いったい、誰……」

 気になって、ソファーからリアンは立ち上がる。


 リアンは不安になりつつも、思い切って部屋を出てみることにした。

 廊下に出てからローフェ神官を起こさないように、静かにドアを後手で閉める。

 すぐに目についた燭台を武器代わりに持ち、階下を見下ろせる場所まで行ってみた。

 そこからソロリと下を観察してみる。

「下に誰かいる……。詰所の職員さん? でも、まさか……」

 階下には、明らかに人がいる。

 物音だけでなく、うっすらとした灯りが揺らめいてるのが見える。

 リアンの心臓が高鳴りだし、眠気が吹き飛ぶのがわかる。


 ガタンとまた音がして、リアンはそっちを振り返る。

 今度は階下ではなく、廊下奥にあるベランダ方面からのようだった。

 こちらの音は、階下の生活音とは明らかに違う異音だった。

 恐怖で身体がすくみながらも、リアンはベランダ方面におそるおそる向かう。


(せめて確認だけでも……)


 リアンは、ベランダをゆっくりのぞいてみる。

 そして、見てしまったことを、後悔するようなモノがそのベランダにはいた。

 ベランダには、体長が三メートル以上あるような、黒い体毛をまとった巨大な獣が背を向けて座り込んでいたのだ。


 唖然とするリアンは、思わず手にした燭台を落としそうになるが、なんとか踏み留まる。

 窓から見るそれは、雨に濡れた毛が寒さからか逆立ち、わずかな灯りを反射して妖しく発光してるようだった。

 同時に白い湯気が、身体全体からもくもくと立ち上がり、その異様な後ろ姿をさらに禍々しいものにしていた。

 獣の顔は見えないが、体毛の上からでもわかる筋肉質な身体、それが普通の生き物ではないことはリアンにも判別できた。

 巨大な獣は、グルルと低いうなり声を上げると、周囲を警備してる詰所の人間を視線で追っているようだった。

 警備の人間は、ベランダに鎮座している異形の獣には、気づいていない様子だった。

 詰所の人を襲うのではと、リアンの中に恐怖が湧き上がる……。


 しかし、バケモノはまったく動かず、ベランダで周囲を観察するような行動をする。

 何故か詰所の人間にも、襲いかかろうとする素振りも見せない。

 バケモノは、鼻をくんくん鳴らして、臭いを嗅ごうとしている。

 その様子を見ていたリアンが、ドキリとする。

 ベランダのガラス窓一枚しか、リアンと巨大な獣との間には、隔たりがないのだ。

 その事実を理解した途端、動くことができなくなるリアン。


 巨大な獣が、ベランダから屋内に視線を移す。

 潜んでいたリアンと、獣の視線がバッチリ合う。

 赤く爛々と輝く凶悪な瞳と、大きく裂けた鋭い牙の口が見えた。

 逃げだすこともできずに、リアンはその場から動けない。

 何よりも、狼と思えないその異形の表情に、リアンは戦慄する。

 目がまるで人間のように正面につき、豚のような黒い鼻を鳴らし、頬まで大きく裂けた口から涎がダラダラとしたたっていた。


 しかし、巨大な獣はリアンからすぐ視線を逸らす。

 まるでリアンには興味がない、といった感じだった。

 リアンをそのまま無視し、何をするわけでもなく、ベランダから大きくジャンプして階下の墓地に消えていく。

 リアンはしばらく呆然とする。

 手にした燭台を、緊張の解放から床に滑り落としてしまう。

 その音で我に帰ったリアンは、燭台も拾わず急いで部屋に戻る。

 バタン! という大きな音がして、ローフェ神官の部屋のドアが閉められる。


 その時の慌てているリアンの様子を、階段を登り切った廊下から、眺める謎の姿があった。

 正確には、リアンがベランダの獣を見ていた時から、観察していた謎の影。

 無言の謎の影が、リアンの逃げ込んだ部屋を眺める。

 そこはローフェ神官の部屋だった。

 雷が鳴り、謎の影の姿が浮かび上がる。

 雨に濡れた衣装そのままに、ひとりの小柄な女性がそこには立っていた。

 手には鋭いナイフを持ち、服のあちこちに赤い血液のシミを付着させている。

 濡れた黒髪が額に張りつき、隙間からのぞく眼光は、どこか凶相を帯びている。

 色白の頬にも、返り血らしき汚れがついていた。

「いったい、さっきのは誰なのよ……。どうして、ヨーベルの部屋に逃げ込むわけよ」

 謎の女性がポツリとつぶやき、ローフェ神官の部屋のドアを眺める。

 見たこともない男の子が、慌ててヨーベルの寝室に駆け込んでいった。

 女は、ゆっくりと少年がいたとこまで歩くと、落ちていた燭台を拾い上げる。


 一方リアンは、今ベランダで見たことは、きっと夢だと思いながらソファーで丸くなっていた。

「うん、きっと疲れてたんだよ……。ローフェ神官と、変なお話し、いっぱいしてたからね……。気のせい、気のせい、さ、寝よう……」

 けっこうポジティブに心境を切り替えて、リアンは眠ろうと頑張っていた。


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この物語には異形の怪物も登場してきます。

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