第2号線「お二人共、中へどうぞ」
ルリハの忠告どおり、幅の広い道路を右折して300メートル程走行すると、視界の端々に鹿が見え始める。飛び出して来られると非常に危険だ。俺は気持ち視野を広く保ち、背の高い広葉樹に囲まれた薄暗い道路をなるべく緩やかなスピードで走行した。
「ルリハ、どこか目星い観光スポットなんかがあれば是非立ち寄りたいところなんだけれど、お前のポンコツデータベースには何か登録されているか?」
「ポぉ!?ポンコツって言わないでください!IAいじめです!」
「ああ、IA公安委員会だろうがご両親だろうが何だって呼んでもらって構わないから、目星い情報は?」
「え、えっと…、そもそもですね?私は空のナビゲートをする事を前提に造られたAIですので、だから、その」
「で、目星い情報は?」
「…ないっす」
「…ポンコツめ」
そう呟くと、ルリハは「む、むぇ…」と変な呻き声を漏らし、それを最後に耳元に装着したイヤフォンからは何も聞こえなくなった。
15分程沈黙したまま走行していると、細い道路脇に、赤い屋根の小洒落た建物が見えた。細い鉄棒製の柵に囲まれた建物は手入れされているのか妙に小綺麗で、周囲の風景から浮き出して見えるようだった。柵の奥には庭のような物も見え、そちらも雑草一つ茂っていないように見受けられる。
個人的にはこれくらい静かな旅の方が性に合うので声を掛けるのは躊躇われたが、しかし少し可哀想にもなってきたので、AIルリハに声を掛ける。
「ルリハ。あそこの建物は何だろう。店か?」
「え?あ、あぁ、えっと…。一応は喫茶店、ですね。でも48年前に閉業していますよ。お店は空に移転しています」
「にしては妙に外観が綺麗じゃないか。庭も手入れされているし…、ん?」
車のスピードを緩め、柵越しに手入れされた庭を眺めていると、モゾモゾと動いている真っ白い何者かが見えた。こんな地上で自給自足でもしているのだろうか。だとすれば相当な変わり者だろう。まあ、人のことは言えないが。
特段興味を惹かれたわけでもないが、なんとなく車を降りて、庭を眺めてみた。
「あれは…」
錆びた柵に手を添え、向こうを見てみると、そこにいたのは、真っ白いワンピースを着て、庭の植物に水やりをする人影。佇まいからして恐らく女性だろう。しかし、生気を感じさせない白く澄んだ肌と、頭の上から真っ直ぐに伸びるうさぎの耳が、彼女が人間ではないことを証明している。
そして何より。彼女には、顔が無かった。
黙って眺めてはいたものの特段コソコソするつもりも無かった為、向こうもこちらにはすぐに気が付いたようで、トタトタと走り寄ってきた。
満月のように真っ白く表情のない顔の何者かがこちらに向かって走り寄ってくる様は些か不気味ではあったけれど、途中2回も躓きかける彼女の間抜けさにそんな不安は払拭され、少し警戒心を解く。
「こんにちは!お客様でしょうか?是非お店の中へどうぞ!」
彼女は軽快な声色で我々を建物の中へ誘おうとする。
「ちょっと待ってちょっと待って、お店って、ここはまだ営業中なのか?っていうか、何の店だ」
「ああ、これは失礼しました。ここは自家栽培の紅茶が売りの喫茶店、〝コニー〟です。人が訪ねてくるなんて久しぶりで、つい舞い上がってしまいました。…あの、紅茶、いらない…ですか?」
今度は悲しげな声色で問いかけてくる。口も無いのに言葉を発することが出来るのは、恐らく内蔵スピーカーがまだ生きているからなのだろう。
このご時世、ロボットは至るところに溢れかえっているし、中には人間と見分けのつかないくらいハイクオリティな物もある。しかし、彼女のように、さながらのっぺらぼうのように、顔のないロボットに会うのは初めてだった。
彼女の顔がない理由に大体の察しは付く。しかし、それを考えると、彼女のお誘いを断るのも躊躇われた。
生憎と金は有り余っている。
「それじゃ、少しだけご馳走になろうかな」
「えぇ!?ショウさん、紅茶なんて飲むんですか!?」
耳元でルリハが喧しく叫ぶ。一応イヤフォン型ではあるけれど、外向きのスピーカーもオンになっているので、その声は目の前のロボットにも届いた。
「おや、お連れの方もいらっしゃったんですね。AI様でしょうか?さぁ、お二人共、中へどうぞ」
彼女はそう言って木製のドアを明け、恭しく俺たちを店内へ導いてくれる。
そして、俺は絶句する。
「……これ、は」
「えへへ、綺麗でしょう?いつお客様がいらっしゃっても恥ずかしくないよう、私、毎日お掃除頑張ってたんですよ!色彩バランスだって、気を遣っているんですよ?ふふん」
そう言う彼女の声色は、色鮮やかに沢山の表情に彩られていたけれど。
店の中は、テーブルも椅子も、壁も天井も、食器も。
全てが、真っ白だった。
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