第3号線「お嫁さんうさぎです」
前。後ろ。
天井、足元。
右の壁、左の壁。
備え付けのテーブルや椅子、それにテーブルクロスやメニュー表。
壁に掛けられた額縁の中。
この店は目に入る全てが真っ白だった。
「さあ、お二人様、こちらのテーブルへどうぞ。…と言っても、AI様の姿は無いようなのですが、どちらにいらっしゃるのですか?」
「あ…、わ、私はイヤフォンから音声を発しているだけなので、席は必要ありません」
ルリハはそう言って、ロボットの彼女に自分の存在を伝える。
「君、目が無いようだけれど、俺たちの姿は見えているのか?」
「あ、いえ、外の映像は見えませんが、赤外線センサーとサーモグラフィセンサーで形と動きは認識できます。それに、昔は映像も見えていましたので、店内の色彩は全て把握しています。あ、それから、私の事は是非、ララとお呼びください」
盲目のロボット、ララは軽快な声色でそう自己紹介した。
「良ければお客様の名前もお伺いしてよろしいですか?」
ララはそう言って首を傾げるような仕草をした。それに伴って頭の上にまっすぐ伸びた長い兎耳が揺れる。
「俺の名前はショウ。耳に装着しているイヤフォンから声を出しているのがAIのルリハだ」
「ルリハです。ララさん、よろしくお願いします」
俺たちが自己紹介すると、ララは「こちらこそ!」と応え、まるで兎のようにぴょんぴょんと跳ねた。
喜んでいるらしい。
感情の無いロボットも多いが、彼女はとても表情豊かに思えた。顔が無くても彼女の感情が伝わるのは、そのハッキリとした声色の使い分けによるものだろう。
「ところでララ、君の持ち主はどこに?注文をしたいのだけれど」
「マスターは不在です。帰店予定時刻が伝えられていないので、いつ戻るかはわかりません。ですが、注文は私が賜ります。紅茶も淹れることができますので、なんなりと。あ、鮮度も心配しないでくださいね!ちゃんとセンサーで品質チェックをして、年代ごとに管理していますから!」
ララは慌てるような早口でそう答えた。
「マスターはいつから不在?」
「48年前です。それからずっと私が店内を当時のまま保つよう整備をしてきました。ほら、あそこに掛けてある写真が、その当時の写真です。丁度ショウさんが座ってらっしゃる花柄のテーブルクロスの席が手前にありますよね?どうですか?」
そう言われて彼女が指し示す方向を見るが、壁にかけられた額縁の中には、白一色以外何も写されていない。
そして、俺が座っている席のテーブルクロスも、花柄ではなく、シミ一つない真っ白なものだった。
いや、俺の座っている席だけではない。この店にある全ての物が、今はもう当時の色彩を全て失っている。
「…ああ、そうだね」
と、俺は曖昧に答えた。
「…あ、あの、ご注文は…?」
彼女が今度は訝しむような声色で尋ねてくるので、俺は「ああ、ごめん」と問答を打ち切り、彼女が差し出してきた冊子を受け取る。
恐らくメニュー表なのだろうが全て白紙で何も分からないので、適当に、「おすすめで」と注文しておいた。彼女は「かしこまりました」と言って会釈のような仕草をし、店の奥にあるカウンターに入る。
目も見えないのに器用に紅茶を煎る彼女に感心しつつ、店内をぼんやりと眺めてみる。全てが白いこの空間では、背景と同化してインテリアの輪郭もぼんやりとしている。
目を凝らしてよく見てみると、至るところに兎の置物があることに気がついた。
「ララ、この店には兎が多いみたいだけれど、マスターの趣味か?」
少し大きな声でカウンターのララに問いかける。人間相手だとそう沢山話す気にもならないけれど、相手がロボットだとわかると、途端に会話が気楽になる。
「はい、そうです!マスターは兎さんが大好きでした!あ、そうだ。私、この店の兎達にキャラクターを付けているんですよ」
彼女は真っ白いカップに枯葉色の紅茶を注ぎながら、軽快な声を発する。
「入口にいる2羽の兎さんはお姉ちゃんうさぎと弟うさぎ。棚の上で寝ている茶色の兎さんはお父さんうさぎで、窓の近くで立っているピンクの兎さんはお母さんうさぎです」
「ははは」
俺は笑った。お喋りなルリハは、何故か今はずっと黙っていた。
「お待たせしました。コニーブレンドティーです。砂糖とミルクはお好みでどうぞ。あ、こちらも古いものじゃありませんからね」
ララがカウンターからトレイに乗せたカップを運んでくれた。うっすらと湯気が立ち上り、紅茶の深い香りが店内に広がる。
歩く動きに合わせて、彼女の兎耳が揺れていて、そうか、これもマスターの趣味かと、少し可笑しくなった。
「そういえば、この店の兎にはキャラクターがあるんだろ?それなら、ララは何うさぎなんだ?」
ふと思ってそう尋ねると、彼女は「私ですか?えっと、私は、その」と吃り、ワンピースの端を軽く両手で持ち上げるような仕草をしながら。
「お嫁さんうさぎ、です」
と、今度はハニカミを含んだ声色で、顔があれば赤面していたんだろうなという声色で、そう答えた。
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