第4話「慣れたもんだ」
ここは株式会社
偽りのコミュニティの中、その脳髄に獣を飼いならす醜い人間どもが群れを成す牢獄。
隣のデスクに座る後輩は貧乏ゆすりが止まらず、正面に座るババアは壊れたスピーカーのようにどこの誰かも知らない若い女の噂話ばかりしている。うるさい〇ね。斜め前の上司は今日もネチネチとハゲ散らかし、課長はインフルエンザで病気休暇。この時期にインフルエンザにかかる馬鹿がどこにいるんだもう少しまともな言い訳して休めそして一生出勤すんな。っていうかその休暇承認する総務もどうなってんだ、喉笛噛み千切るぞ。
私は朝から顔面の火傷についてネチネチと聞いてくるハゲに対してまるで機械のように「ええ、ちょっと」とだけ返していた。最終的に上司は「結衣ちゃんはつれないな~」と諦めてそれ以上は追求して来なかったが、ふぅ…。命拾いしたな。それ以上口を開こうものならその頭頂部に両手の指全部ブッ刺してやろうと思っていた。
その日一日、私は顔面に迸るヒリヒリとした痛みと全身をバチバチと駆け巡る膨大な殺意を必死に堪えて己の業務に専念した。サボタージュを犯した課長のおかげで今日の仕事は承認待ちばかりになり、私はさほど遅くまで残ることもなく、7時前には「おっしゃしぁ」と小声で呟いて家に向かった。
…家?
否。
楽園である。
〝たっだっだっだだだだだだいま!ま!マリオ!オバマ!マリオ!オバマ!マリオ!お、おぉー…、お、オバマ!!〟
隣人が帰宅したようだ。今日は思っていたよりも帰宅が早い。念の為にと息を潜めておいて正解だった。
時刻は午後7時23分。あたし、内海雪乃は、203号室で外を眺めてただ夜が更けるのを待っていた。ここ最近、まともな女子大生らしい生活をしていない気がする。
帰宅早々何故かしりとりを始めた笹田さんは、これもまた早々に無限ループに陥っていた。一度言った言葉は何度でも使っていいルールらしい。だったらなんで一回〝お〟で悩んだんだあの人。
宮野先輩の一件から、かれこれ10日経つ。あれ以来キャンパスで宮野先輩とは会っていないけれど、友人の相野沢早紀曰く大学には来ているらしい。元気でやってるんじゃないかな。知らん。
宮野先輩にドン引きされようがそんなことは露程も知らない笹田さんの奇行は今日も止まらない。なんだかんだ慣れたもんだ。
季節は六月末。
桜は葉桜どころか全てを緑に衣替えして、世界は緑に萌えていた。
梅雨明け以降の草葉の成長速度を鑑みれば、燃えている、とも表現できるかもしれない。
それこそ沈みかけている夕日は赤々と初夏直前の世界を焼き尽くすようだったけれど、それでも冷静に、着実に夜の足音は迫ってきている。あたしの部屋の窓は西に面しているから、夜の侵食が早い。空は徐々に藍色に染まっていっていた。
〝ガダン!ガダッガダガダン!〟
お、モノローグに浸っているのも束の間、隣人が今日も始めたようだ。
それは、笹田さんが一昨日から取り掛かっている、ある作業の始まりを告げる音だった。
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