第3話「さよなら青春」

 「はーーーーーぁ………」


 大学の食堂で、あたしは大きなため息を吐いた。目の前のハンバーグ定食はいつでもあたしを笑顔にしてくれていたのに、最近ふにふにし始めた二の腕に気付いてからというもの、こいつはろくでもないヤツだというジャッジが、あたしの脳内裁判長から下された。懲役刑である。しかし執行猶予は三ヶ月。脳内裁判長は寛大である。


 「やあ、どうしたの?おっきなため息だね」

 あたしがハンバーグ被告と見つめ合っていると、爽やかな男性の声が掛けられた。見上げると、茶髪で整った顔の男性があたしの正面に座った。

 彼は一つ上の先輩で、宮野みやのさんと言った筈だ。彼とは学科が違うけれど、最近何度か話しかけてくれる。友人の相野沢あいのさわ早紀さき曰くあたしに好意を寄せてくれているらしいが、今のあたしに恋愛なんてする余裕はない。

 「あ…、どうも…」

 「何か悩み事?最近元気ないよね、俺で良かったら話を聴かせて欲しいな」

 凄いな、この人は。なんでそんなに関わりのなかったような異性にナチュラルに話しかけられるんだ。っていうかなんでこの人あたしの最近なんて知ってるの。

 「いえいえ、別に悩みなんてないですよ~、最近少し疲れが取れなくて」

 「なんだ、そうなんだ。じゃあさ、気分転換に今度、一緒に出かけない?最近暖かくなってきたし。どこか行きたいところとかある?」

 うわ凄い来るよ。グイグイ来るよ。なんならテーブルからこっちに身を乗り出して来るよ。言動共にグイグイマンだよ。

 「あー、そうですね、特にないですけど、ちょっと考えておきますね。それじゃ、また」

 「え、もう食べないの?」

 「ダイエット中なもんで、えへへ…」

 ハンバーグ被告を半分程残したまま、あたしはそそくさと食堂を去った。


 午後5時。


 CDショップで暇を潰してから、あたしは帰宅した。

 宮野先輩には絶対に言えないあたしのため息の根源は、このアパートに住んでいる。


 そう、隣人の笹田結衣さんだ。


 どうやら彼女は日中は働いているらしく、今もまだ隣室の明かりは灯っていない。

 ちなみに今はまだ西日が差しているから大丈夫だけれど、明かりを灯すと存在がバレてしまうので、夜は大学近くの雑貨屋さんで購入したお洒落なキャンドルを灯している。まるで貧乏学生みたいで惨めだけれど、気にしない。あたしはオシャレ女子。そう言い聞かせて精神衛生を保っていた。

 このアパートに引っ越してからというもの、日々となりのトトロ…というかとなりのニャルラトホテプに存在を知られないよう、明かりなど灯さず、帰宅時間、登校時間に細心の注意を払い、大きな生活音を出さぬよう、かれこれ3週間生活している。

 遭遇なんてしてしまったら、確実にSAN値が急上昇だ。オリコンチャート入りだ。あたしは何を言っているんだ。

 「そりゃため息くらい出るわ…」

 思わず独り言を呟いた。


 〝ピンポーン〟


 「ひいぃぃぃ!!?」

 初めて鳴った我が家のインターフォンに、あたしは悲鳴を上げた。え、何!?誰!?笹田さん!?な、何故!!?


 覗き穴からそっと玄関を覗き込むと、そこには宮野先輩が立っていた。

 とりあえず笹田さんじゃなかったので安心したあたしは、少しだけドアを開ける。


 「やあ、急にごめんね、内海ちゃん。なんだか昼の様子が変だったから、心配になっちゃって。あ、家の場所は相野沢ちゃんに聞いたんだけどさ」


 早紀…、余計なことを。ここをただのアパートだと思ったら大間違いだぞ。魔物の巣穴だぞ。っていうか女友達の家を勝手に男に教えるなよ。彼女はどうやら私達をくっつけようとしている節があって、非常に面倒くさい。今度ブッ叩こう。


 「え、いや、それはいいんですけど…、何しに来たんですか?」

 「あー…、何しにって聞かれると答えに困るんだけれど、あの、なんか奢るからさ、どっかに食いにいかない?」

 なるほど。確かに態々家にまで迎えに来られたら断るのも悪いなと思ってしまう。宮野先輩はヤリ手のようだ。しかし、相手を間違っている。そういうのはもっと憔悴しているひ弱な女子に使えばいい。あたしは挫けない、屈しない。それにこの時間はまずい。今日は木曜日。先週も先々週も、笹田さんは早めに帰宅してきた。こんなタイミングで外に出るのは危険が多すぎる…ん?


 〝カン、カン、カン、カン…〟


 階段を登る足音が聞こえる。


 来た…、来てしまった…!!


 あたしは一気に血の気が引くのを感じた。


 「と…、とりあえず入って!!」

 あたしは宮野先輩を無理矢理家に引きずり込んだ。


 「う、内海ちゃん、急にな…」

 「喋るな!」

 うるさい宮野先輩の口を手で塞ぐ。耳を澄ますと、バケモノの足音はドアのすぐ側で止まり、隣室のドアを開いて、奥へと消えていった。


 「う、内海ちゃん!」

 「は、はい!?なんですか!?」


 お互いに小声で勢いのある声を出した。気が付けばあたしと宮野先輩の距離、めっちゃ近い。宮野先輩香水みたいな匂いする。あれ、なんかこの人、格好いい…かも…。

 「何かあるんだな、何かは言わなくていい。俺に出来ることなんて何もないかもしれないけれど、それでも、いつでも頼ってくれ。いつでも駆けつけるから。いつでも助けに来るから!」

 え、宮野先輩、格好良くない?女子にそんなこと言っちゃう?頼っちゃうよ?縋り付いちゃうよ?

 あーもう委ねていいかな。彼氏なんて出来たことないけど、この人ヤリ手っぽいし、リードしてくれるならあたしも気楽だし…。


 あたしは頭がなんだか惚けてきて、隣に棲むバケモノのことを話してしまいそうになる。

 「あ、あの、実はですね…」


 そのとき。


 〝ああああああああああ!!!!もう無理!!全員佃煮になってしまえ!!煮込まれちまえ!!お前も佃煮人形にしてやろうかあぁぁぁぁぁぁヒャアアァァァァァッッッッハアアァァァァァァァ!!!〟


 「…………」


 「…………」


 「……俺、帰るね」


 宮野先輩は一度もあたしと目を合わせずに去っていった。


 さよなら、あたしの青春。

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