10

 黄浦江沿いの土手に上がった時には、雲間から太陽が覗いていた。私達は二人並んで、渡船の往来や対岸のビル群に写り込む雲の流れをただ眺めた。ディーヴァには昨日の様な快活さは無く、ただ黙々と、ずっと、この世界を見つめていた。

 暫くするとまた雨が降り出したので、私は一言彼女に「帰ろう」と声を掛け、二人で傘に入りながら帰路に着いた。

 〝水の沢山ある所を見たい〟と言った彼女の望みは叶ったのだろうか。

 昨日までは手に取るようだった彼女の表情や感情が、今は全く分からなかった。


 「あたし達は、人類の戦争から逃げ出してきたんです」


 ディーヴァは静かにそう切り出した。


 「首謀者はルシアでした。彼の他に、あたしを含めた4体のアンドロイドが、まだ試験段階の時空間移転を実施し、この時点に飛んで来たんです。この星の活動可能圏内に飛べたのは、あたしとルシアだけでした。グリマは地球内部に、エマとナギサは宇宙空間に飛んでしまって、もう、会う事は無いでしょう。ルシアは、昨日お話したとおり、どうやらカナダの山岳地帯でコールドスリープ状態になっているようで、詳細なデータの収集は出来ません」


 彼女は語りを続ける。雨の音が、やけに遠く感じた。


 「本当に酷い戦争だったんです。お互いがお互いを騙し合って、国外だけではなく国内も敵だらけで、人類は、自分が生き残る事しか考えていませんでした。一人ひとりがそんなスタンスで戦争をしていれば、それは収拾がつかなくなりますよね」


 未来から来たはずの彼女の声は、遠い昔の記憶を呼び起こす。


 「時空間転移は試験段階です。500年前の地球なんて無茶な条件指定で無事に飛んで来れるのはただの偶然みたいなものですから、追手が来る事はまず無いと思います。万が一、沢民さんに危険が及ぶと判断したら、直ぐにこの国を去りますので、安心してください」

 「…いや、そんな事はしなくていい」

 私は本心でそう言った。決して同情では無かった。

 「君は確か、私を見たときにルシアと言っていたね。私が似ているという知り合いは、そのルシアなのか」

 そう尋ねると、彼女は少し驚いたような表情を見せたが、次第に恥ずかしがるような表情になっていった。

 「は、はい。そうです…、その節は驚かせてすみませんでした。でも、本当にそっくりなんです。性格はルシアの方が、なんというか粗暴と言うか我儘と言うか自由奔放と言うかなんですけれど…。手足が長くて、髪が綺麗で。青を好んで身に着けるから、昨日の沢民さんの恰好もそっくりで。あたし本当にビックリしたんですよ。遠くに居るはずなのに、会いに来てくれたのかと思って、それで…」

 ルシアというアンドロイドの話になると、彼女はまた、表情をコロコロと変えながら彼について語りだした。なるほど。アンドロイドの恋慕について詳しくは分からないが、彼女はきっと、彼を慕っているのだろう。


 「君は彼の事を愛しているんだね」

 私がそう納得すると、彼女は「ええええええ!!」と大袈裟に声を荒げて、「いえ、あたしはアンドロイドですから愛とか恋とかそういうのは本来無い筈で確かにそういう感情を言葉に出して伝える方もいましたけれども大体ルシアはそう言うの絶対考えた事も無いだろうしていうかエマと何だか最近怪しくていや別に良いんですよ?仲間ですからでもちょっと気になっちゃうこの感情はまあ確かに愛情だと仮定出来るかもしれませんがしかし…」と舌を捲し立て始めた。


 そういうところが。


 「君も、私の恋人にとてもよく似ている」


 「え…?」


 「子涵という。七年前に亡くなった私の恋人に、似ている」


 雲は流れて去りとて。


 雨はまだ、降り止まなかった。

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