第8話「情報提供」

 40ポンドを泣く泣く支払った私の財布は実に軽くなり、今夜は何処かで贅沢に外食でもしようかと密かに考えていた計画は見事に打ち砕かれた。仕方が無いのでマックスにでも声を掛けて今夜一緒に食事をしようかと思う。私は財布が軽い事などさっさと忘れて、会計直前に思い出してやるのだ。いや、これは決して彼への仕返しという訳では無い。立て替えておいた知り合いの少女へのお小遣いを精算してもらうだけに過ぎないのだ。


 リリーと名乗った少女は「毎度ありぃ☆」と軽快に笑い、私から金銭をふんだくった。そしてその一部を側にいる小さな紳士へそっと流す。なるほど。呼び込み役と巻き上げ役。卑怯…もとい、見事な商売の連携を見せつけられた。いつかこの子達を犯人として指差す日が来るかもしれない。その時は私が被害者ではない事だけを切に願う。

 「ではグレッグさん。こちらに」

 彼女はそう言って、私を室内へ誘った。こちらにと言われても、親御さんになんて説明したら良いのかと一瞬躊躇したが、「お金を取られたんです」と被害者ぶればそれで済む話かと結論付けて、私は玄関のドアをくぐり、案内されたリビングの小さな丸椅子に腰掛けた。小さな紳士はここから先は同行しないようで、そそくさと去っていった。去り際の緩んだ口元から察するに、行き先は大通りのアイスクリーム屋でほぼ間違い無いだろう。

 そしてリリーはというと、チンケな丸椅子に居心地悪く座っている私とは対照的に、大きな皮張りソファに深く腰掛け、テーブルを挟んで私と対峙し、「さてさて」と、話を切り出した。



 「さてさて、情報料を頂きましたので、私が知っている情報をご提供しましょう。まずはグラハムさんご一家の事情について、でしょうか。ご主人はサスペンス小説家として一山当てたジェームス・グラハムさんです。3年前に享年78歳で他界しておられますが、著作をお読みになられた事はありますか?『秘密の番人』、『花瓶の底の眠り姫』あたりが取っ掛かりとしては無難でしょうか。私ですか?勿論両作とも拝読しております。面白かったですよ。そう言えば『花瓶の底の眠り姫』の警官は、ラストシーンで真犯人である恋人に純銀製の指輪をプレゼントしていましたが、今回紛失したのは純銀製の食器でしたね。え、まだ読んでなかったんですか?あちゃー、これはこれは。グレッグさんの不勉強が露呈してしまいました。ちなみに、ジェームスさんが奥様にプレゼントされたあの食器はドイツの職人にオーダーした逸品で、総額はそうですね、2,500ポンド程度かと。まあ新品ではないので、その辺りの鑑定は別途料金を頂かないと致しかねますが。奥様との中は良好だった様ですが、隣町に住んでいる奥様のお兄様とは顔を合わせる度に喧嘩をしていたそうです。喧嘩の理由ですか?どうもお兄様はギャンブル好きで、奥様からお金を借りていたとか」


 「奥様の名前はアゼレア・グラハムさん。おや?もう既に知っておりましたか。これは話が早くて助かりますね。年齢をお伝えするのは慎みますが、まあご主人とそこまで離れてはいません。女性の年齢と体重についてはいくらお金を積まれてもお答えしかねます。私は女性の味方なんです。え?それはどうでもいい?アハハ、失礼しました。料金も頂いているのでそれではお話を戻しまして。アゼレアさんは現在はご退職されておりますが、元々は中央通りの銀行にお勤めしておりました。お金の管理運用に精通されてらっしゃる方ですので、一家の金庫は彼女の采配に任されていたとか。現在でもご主人の遺産と貯金だけであの生活水準を保てているのは、流石と言うべきでしょう。件のお兄さんとはまだ交流があるようで…、というか、はっきり言うと今だにお金をせびられていますね。ただし、お金はジェームスさんの遺産ではなく、彼女自身の預金口座から切り崩して渡しているみたいです」


  「一人息子のエリックさんはドイツの某大学をご卒業なさった弁護士さんです。主に財産相続や金銭トラブルの裁判で活躍されております。ただし昨年一度、裁判で敗訴していますね。金融企業と顧客のトラブルで、エリックさんは企業側の弁護を請け負っていたのですが、実はこれがなかなかダークな事件でして。気になりますか?特別に申し上げますと、その金融企業っていうのが、イタリアのマフィアだったんですね。お陰でエリックさんは怖い人たちに対して、相応の〝ペナルティ〟を求められ、結局はお金で解決したんだとか。まあ、弁護士さんであれば、そういった事業者と関わる機会は多いのでしょうけれども、マフィアからお金で自分の命を買ったことが世間に露呈しなかっただけ、まだマシといったところでしょうか」


 「そんなエリックさんの妻であるジェシカさんは、隣町の高校の教諭ですね。専門は物理学だそうで、知的なクールビューティですが、生徒からは少々、何と言いますか、あまり尊敬されていないご様子です。端的に言えば、なめられているわけです。…何を想像しているんですか?イヤらしい。もちろん舌でペロペロされている訳ではありませんよ?え、そんな事は分かっている?さてどうだか。グレッグさんのような一見世俗に無頓着そうな男性ほど案外…ああ!やめてください!どこから拾ったんですかその輪ゴムは!危ないからこっちに向けないで!…ふう、まったく。グレッグさん、意外と短気ですね。まあいいでしょう。えーっと、どこまで話しましたっけ…。そうそう、生徒になめられていると言う話でしたね。まあ本人の性格によるものではないでしょうか。疲労が溜まると少々ヒステリック気味だそうですよ。まあ、グラハム夫人…アゼレアさんとの関係は良好だそうですけれども。結婚3年目で、お子さんは居りませんね。あ、あと余談ですが、エリックさんの不倫を疑って、現在探偵を雇って調査中だそうですよ」


 「さて、親族の話はこれで以上となります。あとはメイドのマーガレットさん…なのですが、すみません、彼女については私の情報源を以てしても詳細が全く分かりませんでした。国籍はハンガリーだという事は特定できたのですが、それ以外の生年月日や家族構成、本名についても全く…、ええ、そうなんです。マーガレットという名前は偽名でした。これ以上の情報となると、少々お時間と追加料金が必要ですが…要らない?ちぇー、そうですか」


 「最後にシルクちゃんですね。オスのソマリで、好物はサバ缶とマーガレットさんの淹れる紅茶です。エリックさんが4年前に飼い始めたのですが、ジェシカさんが猫アレルギーの為、現在里親に出すことを検討しているのだとか。グレッグさん、名乗りを上げてはいかがですか?」



 と、ここまで話したリリーは、テーブルの上に置かれていた小箱を開き、中からクッキーを取り出した。

 「私からグレゴリーさんに御提供できる40ポンド分の情報はこの程度でしょうか。グレッグさんも、クッキーいかがです?」

 「甘いものは嫌いでね」

 私はそう言ってリリーの提案を断り、先程拾った輪ゴムをクッキーの小箱の上に置いた。

 「えーっと、今の話を纏めると、まず、紛失した純銀製の食器にはそれなりの価値があり、金銭目的であれば身内で動機がありそうなのは、夫人の兄が濃厚、ということか。エリック氏がマフィアから身を護る為に金が必要だったとしても、質に出した金額程度でどうにかなる規模の話でもないだろうし…。それ以外の動機なら、嫌がらせ、若しくはエリック氏の気を引く為にジェシカさんが…?いや、そもそも、エリック氏の不倫疑惑については、真偽の程はどうなんだ?」

 「それについては、40ポンドではお話出来ませんねぇ」

 リリーはラムレーズンの乗ったクッキーを頬張りながら、瞳を楽しそうに細めて私を見つめていた。腹が立ったので私も負けじと眉間に皺を寄せて睨み返したが、リリーは先程よりも更に楽しそうな顔になってしまった。悔しい。


 「まあ、グレッグさんも探偵を名乗っている訳ですから、ここから先についてはお金の力に頼らず、ご自身で調査なさってはいかがですか」

 リリーはそう言って椅子から立ち上がり、リビングの扉を開いた。出て行けということだろう。私は立ち上がり、「ありがとう」と礼を言ってリビングを出た。


 「良い情報がありましたら買いますよ。ではでは、いってらっしゃいませ」


 情報屋リリーに見送られ、私は、町での調査を再開した。

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