第9話「怪盗シャール」

「…で、何の成果も得られず今に至る、と」


 テーブルを挟んで項垂れる私の現状を、マックスは苦笑いでそう纏めた。



 情報屋リリーからグラハム家の情報を聞いた後、私はグラハム邸の近隣住民に対して、ここ数日、不審者の目撃情報が無いか聞き込みを行った。大量のパンや飲料水を抱えた買い物帰りの小太りなスキンヘッドに、奇抜な恰好でステップを踏みながらエアロビクス教室に向かう声の大きな夫人、ペットには不釣り合いな光物の首輪をつけた猫を抱いて歩く青年に、体調不良で何度もくしゃみをしては奥歯をガタガタ鳴らしている夕刊の新聞配達員と、手当たり次第に不審者の目撃情報を訪ねたが、残念な事にそれらしい証言は得られなかった。挙句の果てに警察官が「見かけない不審者が居ると聞いたんだが、君かね」と私に声を掛けてくる始末であり、私は精一杯の釈明の末、満身創痍で帰宅した。


 そして夜も深まった頃、私は友人のマックスに連絡し、軽くなった財布を携えて外食に出かける事にしたのであった。


 マックスに紹介された大衆向けのアジア料理店はそこそこ繁盛している様子で、広く薄暗い店内に設置された丸テーブルはほとんど客で埋まり、喧噪や食器同士の触れる音で溢れている。店の奥に備えられた小さなステージでは、スポットライトに照らされた日本人らしきコメディアンが、片言の英語で「Certainly, mine's smaller than you guys! But it's multifunctional!」と、前列の客の股間を指差して叫んでいた。隣のテーブルではロマンスグレーの老紳士が腹を抱えて笑っている。どうも英国人はこの手のギャグに弱いらしい。


 「それで、どうだい?リリーちゃんから聞いた情報があれば、この窃盗事件は君の手に負えそうかい?」

 マックスは魚介のスープと揚げ麺を頬張りながら、白い歯を見せて私にそう問いかけた。マックスに対して、今日リリーから情報を買った事自体は伝えているが、個人情報をほいほいと喋る訳にはいかないため、リリーから聞いた話の内容までは話していない。


 「ホームズ曰く、推理は消去法だ」


 私はタイ米のエビピラフを頬張りながら、そう切り出した。


 「今回の事件に犯人がいるとして、犯人の人物像や犯行の動機を推理していく度に、容疑者達と照合し、それらを満たさない人物を除外していく。そうして、全ての条件を満たすたった一人を見つけ出して、そこから事件の真相を究明する」

 「なるほど、君らしい、回りくどい手法だね。しかし、君のような探偵には一番似合っているとも言える。それなら、現状全てがシークレットの犯人を、仮に〝怪盗シャール〟としよう。この幻のような怪盗の実態を、君が推理していくというわけだ!」

 何を気取った名前をつけていると私は呆れたが、マックスは「その方が気が乗るじゃないか」と、屈託無い笑みを浮かべていた。


 私は水を一杯飲んでから、推理を始めようとした。


 「まず、犯人は」

 「グレッグ、〝怪盗シャール〟だよ」

 しかし、マックスが私の言葉を遮り、チッチッチと指を振って不敵に笑いかけてくる。

 「…犯人は」

 「〝怪盗シャール〟ね!」


 「………」


 このやり取りを3回繰り返した後、私はマックスの強情さに負けて、犯人の仮称を〝怪盗シャール〟に変更した。その妙な拘りは何なんだ。まさかコイツが犯人なのだろうか。


 「…まず、怪盗シャールは、施錠された邸宅内への出入りが可能であった。つまり、施錠されたドアや窓を開ける手段を持っている」


 私を根負けさせた事に満足げなマックスもスープを飲み干し、私に続く。


 「または、怪盗シャールは邸宅のドアや窓が施錠される前から室内に居た。そして住人の目を盗んで外に出たか、若しくはまだ室内に潜んでいる…、そう考えると夜も眠れないね」


 「怪盗シャールは誰にも目撃されていない。グラハム夫人が窃盗に気が付いたのは3日前と昨日の朝であり、夜、暗がりに紛れて犯行に及んだと考えられる」


 「怪盗シャールは純銀製の食器を盗んだ。そこそこ高価な筈だよね?金目の物を狙っていたと考えられない事もない」


 「ああ、しかし動機については正直わからない。金銭目的か、あの食器自体を手に入れる理由があったのか、誰かの気を引きたいのだけなのか…ん?」


 ここで、私の中で一つの疑問が生まれる。


 怪盗シャールは、4日前の夜にスプーンを、2日前の夜にフォークを盗んだ。

 残るはナイフ2本と、皿が1枚。

 総額は購入時点で2,500ポンド程度。



 「…怪盗シャールは、何故1つずつ盗んだのだろうか?」



 私がそう呟くと、マックスも「確かに妙だ…!」と、身を乗り出して目を輝かせた。

 私は浮かんだ疑問をそのまま呟き続ける。

 「金目的や、食器そのものを狙った犯行であれば、一式を持ち去ったところで大して荷物にはならない。皿はともかくとして、スプーン、フォーク、ナイフはポケットに入る程度のものだ。ということは、金銭や貴重品を狙った犯行ではなく…」

 私は顎に手を当てて、何とか考えを纏めようとした。

 「つまり怪盗シャールの動機は、気を引きたい、誰かに見てほしいというものなんじゃないか?愉快犯ってことか。はは!如何にも怪盗らしいじゃないか!」

 マックスが正面で勝手に興奮している。まるで自らの手の内を暴かれて喜んでいるかのようだ。まさかコイツが犯人なのだろうか。


 「しかしグレッグ。だとすれば…」

 マックスの表情が曇る。彼もきっと同じ可能性に辿り着いたのだろう。


 「…ああ、また犯行が起こる可能性がある」



 10分後、私達は席を立ち、店を出た。

 会計時、私は財布が軽い事を思い出しマックスに詫びたが、彼は気にする素振りも無く、

 「気にしなくていいさ!この店はツケが効くからね」

 と、白い歯を見せて、私の名前を店員に伝えた。

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