第3話「期待しているよ、名探偵」

 約束の時間から15分遅刻して訪れた我々を、グラハム夫人は笑顔で迎え入れてくれた。

 エプロン姿をした若い女性は終始鉄仮面のような凍りついた表情を崩さなかったが、それでも夫人と我々、そして呼ばれて上階から降りてきたのだろうか、談話室に入ってきた30代くらいの男女に、透き通った琥珀色の紅茶を差し出した。

 この街は紅茶が名産ということもあって、喫茶店やスーパーに行ってもコーヒーが少なく、紅茶のレパートリーが多い。欧米育ちの人間としては少々コーヒー不足である。しかし隣でティーカップに口を付けたマックスは、「香りも味も上品ですね」と、知ったふうな口を聞いていた。

 長くイギリスで生活をして、コーヒーの味を忘れてしまったのだろうか。


 「さて、改めて夫人。彼が私の古い友人でもある名探偵、グレゴリーです」

 私は「グレゴリー・カーターです」とだけ挨拶をし、余計なことは話さないことにした。彼の信頼関係を壊してしまうのは躊躇われる。自信は無いが、ここは名探偵を演じきるとしよう。

 「それはそれは、頼もしいですね。私はアゼレア・グラハム。そしてこっちが息子のエリックとその妻ジェシカです」

 「どうも名探偵、エリックだ。今回は母の我儘に付き合わせて申し訳ない」

 夫人の隣に座っていた男性、夫人の息子エリック氏が嫌味の無い口調でそう言って握手をしてきた。その更に隣のジェシカ氏は少し疑うように此方を伺い、小さく会釈をした。

 「それから、先程紅茶を入れてくれたのが、お手伝いのマーガレットちゃん。あとは…。ああ、いたいた。あの子」

 そう言って彼女の華奢な手が指し示す方向、我々の後ろを振り返ると、そこには小綺麗な皿に注がれた紅茶を飲む、真っ白い猫がいた。

 「彼はシルクといって、とっても賢い猫なんです。さて、こちらの紹介はこんなところかしら」

 猫にまで紅茶を飲ませるとは、本当に紅茶漬けの生活をしているのだと思った。というか猫に紅茶は大丈夫なのか。動物には詳しく無いが、カフェインの摂り過ぎは猫の健康に悪影響を及ぼすように思えた。

 そんな私の心配も余所に、グラハム家の飼い猫、シルクは、紅茶をペロペロと飲んだあと、部屋の外へ出て行った。

 

 「それではグラハム夫人。今回の事件の詳細を話してもらえますか」

 互いの自己紹介が済んだ後、タイミングを見計らったかのように、マックスは本題を切り出した。

 「ええ、そうですね。先ずは、そう…盗まれたのは純銀製のスプーン。私が夫からプレゼントされたもので、ずっとそこ、暖炉の上に飾っていたんですけれど。3日前の朝に忽然と、無くなってしまったんです。そして昨日の朝は、フォークまで無くなってしまって…」

 そう言われて夫人の視線の先に目をやると、暖炉の上には鋭い光沢を放つ銀の皿を背に起き、形の異なるナイフが2本飾られていた。よく磨かれており、食器として使用することが躊躇われるのも納得できる、素晴らしい骨董品だった。しかし飾り方が不格好に見えるのは、妙に空間の空いた部分にその紛失したスプーンやフォークが収まっていたからだろう。

 「額縁やケースに入れていなかったので、落としたかなとも思ったんですけれど…どこを探しても見当たらないし…」

 「なるほど、紛失してから今日までの間に、誰かこの家を訪れた人はいましたか?」

 私は名探偵ぶって、グラハム夫人に質問を切り出す。

 「いえ、この3日間は誰も…。宅配便はありましたが、玄関で受け取っただけですので…」

 「戸締りは?」

 「それはいつもマーガレットちゃんが確認してくれていて…、無くなる前の日は確実にドアも窓も全て施錠していたと…」

 「なるほど…、そうなるとしかし、この家の誰かによるものだという判断になりますが…」

 「ああ、確かにそうなるね、そのとおりだ」

 落ち着いた声で、エリック氏が私の不躾な仮説を肯定した。


 「しかし、我々は誰もそんなことはしていない、それは何よりも僕達家族が一番よくわかっている。しかしまぁ、警察から見れば信用なんてできないだろう」

 そう言ってエリック氏は私の目をじっと見る。


 「だからこそ、君を呼んだんだよ、グレゴリーさん。第三者である君が我々の潔白を証明してくれれば、警察だって本気で捜査に乗り出してくれるかもしれない………。期待しているよ、名探偵」


 私がエリック氏の勢いに内心狼狽する中、マックスは隣で素知らぬ顔をして、うんうんと頷いていた。

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