第十六話「不変」


 心の奥底深くには、魑魅魍魎が跋扈している。

 飼い馴らす事は、誰にも出来ない。











 「遠山さん?」

 彼女が死を告げた人物の名を、僕は復唱した。


 嫌な予感がした。


 「うん。遠山エツ子さん。智也、話してなかったっけ?」

 僕は急いで昨日メモを確認する。

 〝吉田祐樹〟〝寺沢伊代子〟〝照本正孝〟〝紺野陽介〟〝井坂勇実〟〝山岸笑美〟〝相沢駆〟〝佐伯伸行〟…〝遠山エツ子〟。


 「…………っ!!」


 いた。

 このおばあさんは、僕の知り合いだった。

 僕の知り合いが、死んだ。

 「ぼ、僕が、話をした人だ…!」

 昨日メモに書いてある人が死んだ。その衝撃は、僕には途轍もなく大きかった。


 そうなのか。

 死ぬんだ。

 人間は、死ぬんだ。

 僕は、そんなことも忘れていた。


 「死んじゃったね」

 「…え?」

 彼女のあまりにも軽薄な口調に、僕は大きく違和感を覚えた。

 それと同時に、心の底でドロリと黒い何かが動いたような気がした。

 「いや、待ってよ…。人が死んだんだよ?知り合いが、死んだんだよ?」

 「え?うん。そうだけど…」

 彼女は首を傾げていた。言葉は続かなかったけれど、恐らくその後に続く言葉は「それが何?」だろう。そんな言い草だった。

 「人が死んだのに、何でそんな言い方するんだよ…?そりゃ、彩彩の知り合いでは無かったかもしれないけれどさ。それでも、そんな風に話すことじゃないでしょ」

 心の底で、黒い何かが首を擡げ始める。

 「そうなの?っていうか、遠山さんなら私だって話したことあるよ。それに」

 彼女の目が、一瞬冷たい輝きを放った。

 「それに、知り合いだって言うけど、智也は遠山さんの事、覚えてないよね?」

 「―――――!!」

 彼女のその言葉に、心の底の黒い何かが暴れ出した。

 「そうだけど!!」

 病室に居る事も忘れて、僕は声を荒げた。

 「そうだけど、僕だって忘れたくて忘れてるわけじゃないんだよ!でも問題はそこじゃなくて!死んだ人の事をそんな、コップでも割ったくらいの感覚で話すのは、ダメだよ!!大体、人は急に死ぬんだから、周りには悲しんでいる人も…、って…」


 心の底の黒い何かは。

 静かに僕を見つめていた。


 まさか。


 「君は、全部…、知ってたの…!?」


 「うん、知ってた」


 彼女はそう言いながらも、いつもの含み笑いを浮かべなかった。


 「なんで、なんで!知ってて何とも思わないの!?っていうか、なんで言ってくれなかったの!!」

 「…だって。言ったところでさ、」

 彼女は、ただ真っ直ぐに僕を見つめて、



 「なにも変わらないよ」



 と。そう言った。











 僕は彼女を救えなかった。

 僕は全てを愛せなかった。

 僕は本当を変えられなかった。


 急に容態が悪化した彩彩は、最期の言葉らしいものを残すことなく、僕の前から去っていった。


 僕が彼女に最後にあげられたものは、軽蔑を込めた軽口だけだった。


 「またどうせ明日も決まってるんだろ」


 これが決められた未来だったと言うのであれば、彼女はそれすら知っていた上で、この結末を選んだのか。

 それともこれも〝神様〟の意志なのか。


 とにかく僕は、彼女に涙一粒残せなかった。


 そんな自分を、僕は肯定する。

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