第九話「教科書を読んでみたい」
〝若気の至り〟だとか〝若さ故の過ち〟だとか、そういう、なんというかそういう都合のいい言葉で、大抵のことは許されている。
僕が犯した間違いやこの後悔だって、世界は優しく許し、時間が忘却へと押し流す。
それを逃さず、両手に握り締め、ずっと胸の痛みに耐えているのは。
僕が僕を、許せないからだ。
20分に渡って真摯に状況を説明し、二度と軽々と彩彩のベッドに座らないと堅い誓いを立てて、ようやく僕は殺気立った笑美さんの尋問から開放された。一方の彩彩は終始ニヤニヤして僕らの様子を見ていたけれども、笑美さんから釘を刺すように一言「折角のお友達をからかっちゃダメでしょう」と忠告を受けた。それでも当の本人は「はーい」と、間の抜けた返事をするだけで、悪びれた様子は全く無い。
笑美さんは深めのため息を吐いた後、他の仕事があるからと少し困ったように笑って部屋を出て行った。
「ね?わかったでしょ?私に未来が見えてること」
彼女は自分の座るベッドをポンポン叩き、僕に座るよう促しながらそう言った。もう騙されてなるものか。
「なんだよ、もう座らないことは分かってるんだろ?嫌な奴だな」
「フフっ。なんだ。智也くらい単純なら、案外座っちゃうかも?とか思ったんだけどな」
完全になめられている。
ああ、そうか。妙に馴れ馴れしいなと思ったけれど、僕からすれば昨日初めて会った女の子だとしても、彼女にはずっと未来が見えていたから、僕のことはもう、色々と分かってしまっているのか。
それならばなめられていてもまあ仕方がない。
「ねえ、明日来るときにさ、持ってきてほしいものがあるんだけど」
ベッドに腰掛けたままの彼女は両手を横に突いて、両の肩を前に突き出すような体制で僕に言った。
「ん?プリンとかアイスとか?」
「違うよ、私そんなに食いしん坊じゃないし、もう。そうじゃなくてさ」
彼女は少しふくれた声で続ける。
「教科書が読みたいの」
「教科書?」
「そう、智也の学校の、そうだなぁ…、歴史!歴史の教科書を読んでみたい」
彼女は、今度はだらしなく足をパタパタさせながら言った。ベッドで大人しくしているとわからなかったけれど、こうして見ると一挙一動が子供っぽい。大人びた容姿や無機質な病室とは正反対に、活発な印象を受けた。
「歴史の教科書ね…、いいけれど、でも、高校二年生のだよ?彩彩は確か僕の一つ下の学年だよね?一年生のはもう持ってないし」
「いいの、教科書がどんなものなのか見てみたいってだけだから」
そこで僕は気付く。
「…もしかして、教科書、見たことない?」
僕が無神経に尋ねると、彼女は
「―――学校…、行ったこと、ないんだよね。へへ」
と、上目遣いで少し恥ずかしそうな顔をしながら、そう言った。
その仕草や照れた顔にではなくて、「学校に行ったことがない」という彼女の境遇に。
胸が、少しだけ締め付けられた。
僕は彼女を救えなかった。
僕は全てを愛せなかった。
僕は本当を変えられなかった。
急に容態が悪化した彩彩は、最期の言葉らしいものを残すことなく、僕の前から去っていった。
僕が彼女に最後にあげられたものは、軽蔑を込めた軽口だけだった。
「またどうせ明日も決まってるんだろ」
これが決められた未来だったと言うのであれば、彼女はそれすら知っていた上で、この結末を選んだのか。
それともこれも〝神様〟の意志なのか。
とにかく僕は、彼女に涙一粒残せなかった。
そんな自分を、僕は肯定する。
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