第八話「これは覚えてた」

 正解か間違いかなんて分からない。

 正当か理不尽かなんて判らない。

 良かったか悪かったかなんて、そんなこと、考えるまでもなく。


 あの時、僕にドアをノックする勇気があって良かった。











 「ほらね、やっぱり来た」


 彼女はドアを開いた僕にそう言った。

 「言ったとおりでしょ。夕方5時前、君は一人で、私に会いに来るって、ね。これで信じてもらえた?」


 偶然だろう、とは思わない。場所も時間も人数もピッタリだ。ドンピシャだ。偶然だとしても、それはそれで彼女は偶然の才能に溢れている。偶然に愛されている。偶然使いだ。ラッキーガールだ。

 …いや、彼女は現在病気で入院している。


 決してラッキーガールではない。


 「本当に未来が見えるんだ」

 「そうだよ?言ってんじゃん」

 彼女はそう言ってまた「フフっ」と、含み笑いをした。

 「見えてたよ。智也が職業体験でこの病院に来ること。迷子になってベンチで座ってること。歴史が好きなこと。私のことを覚えていてくれて、また会いに来てくれること。それから…、これからのことも」

 「これからのこと…?」

 「フフっ。それは、まだ秘密」

 「じゃあ、僕が今からなんて言おうとしてるのかも、分かるの?」

 そう言うと彼女は「えっと、うーん…」と、考えるような仕草をして、それから、少しムスっとした顔になった。

 「そんな細かいこといちいち覚えてない」

 「え、じゃあまた未来を見てみればいいんじゃないの?」

 「そういつでも見えるわけじゃないの。えっと…。とにかく、見たい時に見れるわけじゃないんだから」

 そういうものなのか…?


 「そんなことより、会いに来てくれてありがとう、智也。でもごめんね、多分、智也の知りたいことは私にもわからないよ」

 「え、そうなの?僕の記憶が残った理由、何もわからない?」

 「うん、私別にお医者さんじゃないもん」

 予想外な回答だった。未来が見える彼女ならば、あるいは僕の変化についてもなにか手がかりを知っているのではないかと思ったのだけれど、そう上手くはいかないらしい。

 僕は少しだけ拍子抜けしてしまった。


 「でも、智也は確かめなきゃいけないんでしょ?明日も今日のこと、覚えてるのか。私のこと、覚えてるのか」

 彼女は上目遣いで僕を見つめる。やっぱり綺麗で整った顔をしている。ああ、もう。ただでさえ混乱している頭を掻き回さないでほしい。

 「あ、えっと…、うん、そうだね」

 「何?今の変な間」

 「いや、なんでもないよ」

 僕は視線を逸らした。


 「というか君こそ、なんで未来なんて見えちゃうわけ?それに、この事を家族は知っているの?」

 僕は気恥ずかしくなって話題を変えた。

 「家族はいないよ。だからずっと教会で神父さんと暮らしてる。まあ、最近はずっと病院なんだけどね…フフっ。未来が見えるのは、なんでかは私も分かんない。でも、昔っから見えてたよ」

 「そっか…」


 僕は、〝未来が昔から見えていた〟という事実よりも、〝家族はいない〟という事実の方が、深刻に思えた。そういえば昨日メモにも「週に一度しかお見舞いが来ない」と書いてあった。そうか、彼女は天涯孤独なんだ。


 「ところでねえ智也、せっかく来たんだもん。もう少しさ、お話していこ?」

 「あ、うん。僕も沢山聞きたいことはあるから、それはいいんだけれど」

 「じゃあさ、もっとこっち、来て?」

 そう言って彼女は腰掛けているベッドを手でポンッと軽く叩いた。〝隣に座って〟という解釈でいいのだろうか。

 「えっと、隣いいのかな?」

 「うん、いいよ。ほら早くっ!フフっ」

 彩彩が妙に急かす。見ると、彼女は顔をニコニコさせていた。何が楽しいのか僕にはさっぱりわからない。

 「失礼しま…うわっ!?」


 彩彩の隣に腰掛けようとした瞬間、彼女は僕の首に腕を回し、そのままの体制で仰向けに倒れた。僕はそのまま引っ張られて、なし崩し的に彼女に覆いかぶさるような体制になる。


 「急に何するんだよ!」

 「彩彩ちゃーん午後のお薬もう飲んだー?…え?」


 昨日メモにあった顔が病室に入って来た。そうだ、たしかこの看護師さんは、昨日お世話になったらしい、笑美さんという看護師さんだ。


 僕の真下では彩彩が「フフっ、これは覚えてた」と、小悪魔的な笑みを浮かべていた。











 僕は彼女を救えなかった。

 僕は全てを愛せなかった。

 僕は本当を変えられなかった。


 急に容態が悪化した彩彩は、最期の言葉らしいものを残すことなく、僕の前から去っていった。


 僕が彼女に最後にあげられたものは、軽蔑を込めた軽口だけだった。


 「またどうせ明日も決まってるんだろ」


 これが決められた未来だったと言うのであれば、彼女はそれすら知っていた上で、この結末を選んだのか。

 それともこれも〝神様〟の意志なのか。


 とにかく僕は、彼女に涙一粒残せなかった。


 そんな自分を、僕は肯定する。

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