第一話「見える、見えない」

 全てが分かる明日と

 何も分からない昨日


 あなたなら、どっちを選ぶ?











 僕らの通う学校『私立青山あおやま高等学校』通称、青高あおこう

 そこの二年六組に在籍する僕、荻伏おぎふし智也ともやは、今日も、今まで書き続けてきたメモを読んでいた。

 メモに書いてあるのは。昨日のこと。

 毎日、書いている。


 全ての学年に共通して、〝六組〟は、特別支援学級だ。

 つまり僕は、特別支援が必要な人間。

 でも、別に僕は腕がないとか、精神に異常があるとか、そう言う理由でここに在籍しているわけじゃない。授業もみんなと一緒に受けるし、体育だってみんなとやる。


 ただ、少しばかり厄介な病気を抱えている。


 それは


 〝眠って目が覚めると眠る前の記憶がなくなってしまう〟


 と言うもの。つまり端的に言うと、昨日より前の記憶がないのだ。


 先天性の突然変異によるもので、だから僕は朝、自分が何者なのかを確認し、毎日初めて見る母親と、父親と、弟と、クラスメイトと、先生なんかとコミュニケーションをすることになる。


 だからといって、別に何もできない絶望の毎日が続く、というわけではない。

 あくまで〝出来事〟の記憶がなくなるだけ。だから、なんていうのか忘れたけど、とにかく極端な話、思い出はなくなるけど、知識は覚えている。

 つまり僕には常識もあるし、日本語も話せるし、授業にだってついていけるのだ。違和感はあるけどね。

 そして何より、小学校一年生の頃から始めた。〝昨日メモ〟がある。


 その日一日起こったことを、日記ほど細かくはない〝メモ〟を取る。

 その日出会った人は、写真を撮らせてもらい、メモ用紙に張る。


 そうすれば、次の日クラスメイトに「初めまして」なんて間抜けな挨拶をして恥ずかしくなることもなくなるわけだ。

 まあ、ちょっとだけ大変だけど。毎日楽しくやれてる。


 そんなこんなで希望があるから、僕には夢もある。


 看護師になること。だそうだ。


 おばあちゃんが死んだ時に決意した。らしい。

 どうも他人事のような口調にってしまうのは、勘弁して欲しい。

 だって覚えてないんだもん。

 だから僕は、過去の僕を、今の僕を、肯定し続けなければ、生きていけないんだ。



 てなわけで。

 10月20日。


 これから職業体験。

 僕だって記憶障害はあるけど、これからの日本を担う一国民なんだし、体や心は至って健康なんだから、働くことだって不可能じゃないさと、先生も言ってくれている。

 だから、職業体験にも参加できた。


 僕が来ているのは、街にいくつかある中でも規模の大きくて真新しい、大江おおえ病院。

 最先端の医療機関なんだとか。


 現在時刻9時40分。

 〝昨日メモ〟を見ると、9時45分に第一病棟の講習室と言うところに集合らしい。

 だが、どうも道に迷ってしまった。

 僕の〝昨日メモ〟の書き間違いか?と疑いたくもなるが、それだけはないように何度も確認をしていると書いてあるし、そんな事を考えていてはキリがない。

 だって覚えてないんだもん。

 だから自分を肯定するしかない。


 だいたい、この病院は第五病棟まであって、そのくせ院内に見取り図が全然ない。困ったもんだ。

 付き添いの後藤ごとう先生とも講義室で集合になっているし、病院の看護師さんに聞けば早いのかもしれないけれど、みんな忙しそうで、わざわざ声を掛けるのは躊躇われた。

 途方に暮れた僕はどうしたかというと。


 諦めた。


 無闇に動いてとんでもない所に行き着いても困る。僕はその場にじっとしていることにした。そのうち後藤先生が探しに来てくれるだろうという、図々しい結論に至ったのである。

 幸い、近くには自動販売機コーナーがあった。ジュースでも買って、ソファーに腰掛けていよう。


 自動販売機で買ったサイダーを飲みながらソファーを独り占めし(別に元々座っていた誰かを追い払ったわけではない。最初から自分ひとりだ)、さて後藤先生になんて言い訳しようかと考えていると




 〝智也〟




 「…ん?」


 誰かに名前を呼ばれた。


 声の元はどうやらここ、自動販売機コーナーのすぐ向かいにある病室、045号室からのようだ。


 気のせいかな。でも、好奇心は募るんです。冒険したいお年頃ですから。

 ソファから腰を上げる。

 ちょっとだけね、ちょっとだけ。

 いやでも僕と同じくらいの年の女の子の声っぽかったし、覗いてしまうのは良くないかな。


 でも、何度でも言おう。そういうお年頃なのだ。


 そう、僕は自分を肯定するしかないのだ。うん、そうだ。

 勝手な自論で結論づけて、僕は立ち上がり、045号室のドアへと向かった。


 しかし、僕だってある程度常識のある高校生だ。いきなりドアを開けて乗り込む程には、図々しくはない。


 とりあえずノック。


 〝コンコンッ〟


 「…フフっ、どうぞ」

 柔らかい声が聞こえる。


 「失礼しまーす…」


 そこにいたのは、白い入院服を来た、長い黒髪の少女だった。











 僕は彼女を救えなかった。

 僕は全てを愛せなかった。

 僕は本当を変えられなかった。


 急に容態が悪化した彩彩は、最期の言葉らしいものを残すことなく、僕の前から去っていった。


 僕が彼女に最後にあげられたものは、軽蔑を込めた軽口だけだった。


 「またどうせ明日も決まってるんだろ」


 これが決められた未来だったと言うのであれば、彼女はそれすら知っていた上で、この結末を選んだのか。

 それともこれも〝神様〟の意志なのか。


 とにかく僕は、彼女に涙一粒残せなかった。


 そんな自分を、僕は肯定する。

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