エピローグ「嘆きの溜め息」

 あの日から2週間と少し経った。

 あの夜の大洪水や爆発音は、日が昇ってから大規模な調査が行われたようだが、未だに原因は不明で、近隣住民への注意を町役場が呼びかけている。


 俺はclauseの看板がドアに掛けられている喫茶店『くるみ』で、新メニュー『嘆きの溜め息』という、枯葉色のカクテルの試し飲みをさせてもらっていた。

 喫茶店でカクテルなんて斬新な発想、すぐ町中に広まって話題になるに違いない。


 ここのマスターはとても背が高い。その上、長い黒髪を後ろで一本に結び、顎鬚を蓄え、シックな服装に身を包んだ、おしゃれで清潔感のあるマスターだ。まったく、虫唾が走る。人間は身だしなみだけでこうも印象が変わってしまうのか。

 ちなみに体はもうスライム状にはならない。


 さらに、この店は開店以来マスター1人で切り盛りしていたらしいが、2週間前からウェイトレスの女の子が店に住み込みで働いている。こちらも長い黒髪につぶらな瞳が可愛らしい小柄な女の子だ。だけれどもその性格はおどおどしていてハッキリ物事を言えない、おまけに超ドジである。うちの職場の使えないアルバイトを彷彿とさせるので正直たまにイライラする。ただ、うちのアルバイトと違うところがあるとすれば、その子は異常な程に足が早かった。まだ力のコントロールに慣れないらしい。

 胸元のネームプレートには「フルール」という名前が、丸みを帯びた可愛い字で書かれていた。

 あ、あともう一つ言うと巨乳である。けしかたまらん。


 「捕虜よ、お前のところのコルニはもう班長のラボへ行ったか」

 「え?ああ、呼ばれてはいるみたいけど、まだ行ってないよ。最近は俺の家の家事を任せっきりでさ」

 そう言う俺の右手の骨は未だにくっついていない。複雑骨折である。

 「うむ、実はうちのフルールもまだ行っていないんだがな…」

 「ん?どうした」

 と、そこに話を聞いていたフルールが割り込んできた。

 「…じっ実はこの前、HGさんのところにいるジャスティンから、フルールに電話があったのっ!」

 どうも嫌な予感しかしない。


 「今ジャスティンのヤツはHGのところで、HGの身の回りの世話をしているようなのだが」

 「乱暴だけど面倒見のいい子なのっ!」

 「うむ、なんだが先日、うちのフルールや捕虜のところのコルニのように、班長からの呼び出しを受け、班長のラボを訪れたそうだ」

 「やっ、約束ごとは大切にする子なのっ!」

 うるせえなこいつ…。


 「うむ、それでいざジャスティンがラボに入ると、待ち受けていた班長はどうやらコヤツらの擬態能力について調べたかったらしく、いうことを聞かなければ宇宙船を修理してやらないと脅して、小石に擬態させられてはハンマーで叩いて強度を測定されたり、馬に擬態させられれば特性の回し車で最高速度を測定されたりと、散々な目にあったらしくてな…。HGから私の所へも気をつけろと連絡があったのだ」

 「ジャスティン、また泣いちゃってた…」

 なるほど、あのマッドサイエンティストは自分の知的好奇心を満たすためであれば友人の家に居候している金星人を脅すことも厭わないということか。これは俺の方からも厳重注意が必要だ。


 ちなみにさっきから言ってるように、こいつら金星人には擬態能力がある。

 アトラスさんのお店で住み込みで働いているおどおど金星人フルールは先述したとおり。

 一人暮らしのHGの家で掃除をしたり薬を分けたりと、文句を言いながらも何かと世話を焼いているリーダー金星人ジャスティンは、短めの金髪が目立つ目つきの悪い青年の姿に擬態している。

 そして俺の家で一緒に暮らしているのほほん金星人コルニは、肩で切りそろえた茶髪の、スタイルのいい大人の女性に擬態していた。

 一応どちらの性別にも擬態できるらしいが、三人とも本来の性別がそのまま反映されているらしい。

 …正直コルニが擬態するまで、彼女が女性だということには気付かなかった。

 だって一人称「僕」だし。

 班長の家には身の安全が保証できないという理由で誰もよこさなかった。


 「まあ、私からの忠告はそれだけだ。私からも一応班長には話をするが、機会があれば捕虜、お前からも頼む」

 「ああ、わかったよ、アトラスさん」

 「コ、コルニによろしく言っておいてくださいねっ!」

 「うむ、私からも頼むぞ」

 「おう、任せとけ。アトラスさん、『嘆きの溜め息』最高だったよ。また明後日飲みに来るな」

 「次からはちゃんと金を払えよ。あと、そのときはコルニも呼んでくるがいい」

 「あ、ああ。…気が向いたらな」

 フルールの「ありがとうございましたー」という声を背中に受けながら、俺は喫茶店『くるみ』を後にした。

 


 さて、あとは家に帰れば、コルニの作った晩飯にありつける。あいつは何かと家事が得意で、料理だけでなく掃除やその他諸々も、早速彼女の管轄になってしまった。アトラスさんの料理は絶品だったけれど、コルニの料理もなかなか美味しい。それにのほほんとした雰囲気だから、話しやすくて、今のところ一緒に生活していてストレスが何もない。


 あんな女性がお嫁さんだったらいいなあ、なんて考えてしまう自分に違和感を覚えながらも、来月辺り一緒にどこかへ遊びに行こうかな、なんて浮かれたことを考えていた。

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