ⅩⅢ「撤回せざるを得まい」
時刻は午後9時45分。
随分とタイムラグがあるように思われるが、そこは割愛させて頂こうと思う。
なぜかと言えば答えは単純。これといって何もなかったからだ。
先ほどの衝撃告白のあと、俺は班長を追い出そうと闘争本能をむき出しにして襲いかかったのだが、初めは無抵抗だった班長も業を煮やし、「いい加減にしてください!」と俺の顎にアッパーを食らわせてきた。あとで聞いた話によると、自分のコンプレックスにうんざりした高校時代に、この長い手が何かの役にたたないだろうかと考え、ボクシングに手を出したらしい。あの長い手を。
班長と喧嘩は二度としないと決めた。今となっては班長に対しては逃走本能を剥き出しにしている。
いや、初対面の時からそうだったか。
とにかく、『洪水栓』の効果が切れるであろう午後11時24分に、ここから少し離れた山の中に行くという条件により、俺と班長は和解した。
その後アトラスさんとHGが帰宅。
そしてHGがもっと遊びたいと申し上げやがったので、もう一度外へ行き(今度は公園には子連れの家族もいたので)、HGの汗暴発ポイントの下見も兼ねて近くの山を登った。
山と言っても本格的な登山ではなく、住宅地からも河川を挟んでそれほど離れていない小さな山なので、気持ちとしては近所の木の多い丘を登っていくといったところだ。
夏場にこの年齢では、少々キツかったが。
あらかたウロウロして、ちょうど開けた野原を発見したのでそこをHG汗暴発ポイントに定め、その場所で今度は缶蹴りをしていた。
一時間ほど遊んでいたのだが、近くで熊の足跡をアトラスさんが発見したため、俺達おっさんは四人、大きな声でまんが日本昔話のテーマソングを熱唱し、自分たちの存在を野生の生き物たちに知らしめながら下山した。
家に着く頃にはだいぶ暗くなってきていて、午後8時。夏場の蒸し暑さと虫の羽音、それから汗で肌に服が密着する感覚が、また何とも言えない倦怠感を与えてくる。
帰宅後は真っ先に捕虜こと俺、HG、アトラスさん、班長の順にシャワーを浴びて、夕食にはアトラスさんお手製のパエリアをビールと一緒に頂いた。
よくよく考えると俺は二日も連続でプロの料理を口にすることができるんだから、おっさんを家に泊めるくらいなんてことないんじゃないかと思えてきた。
…明日、仕事なんだけどな。
割愛どころか詳しく詳細を語ってしまったが、そんなことを徒然と言っている間に時刻は午後10時に突入してしまった。冒頭で述べた「これといって何もなかった」という発言は、撤回せざるを得まい。ありまくりだった。
「なああんたら。俺、明日仕事だから7時半には家を出るけど、大丈夫か」
「ああ、忘れていた。私も明日は家族が帰ってくるし、店も開くぞ」
「ワタクシは特に何もないので皆さんに合わせますが…。HGさんはいかがですか」
「あぁ、うん。僕も明日には家に戻ろうと思うよ。一応休みではあるけど、やっぱり長居するのもよくないからねぇ」
流石に最年長は多少の慎みを持っていた。
「なら全員明日の朝7時には解散ってことになるか」
「そうですね。少し寂しいですが」
「しかし奇妙な縁だったな。事の発端は私が捕虜にあったことか」
「ああ、そうだな。あのマンホールのところで」
「はははは、その話は何度聞いても面白いよぉ」
一応説明しておくと、俺たちがここに集まっている大体の流れは今日の登山中に全員が共有している。それから年齢や職場の話もした。班長の仕事は少々えげつないものだったので、ここは本当に割愛させて頂く。
「まあ、そんな騒動も今日で終わりか。アトラスさんのスライム化現象もあと二週間の辛抱らしいし。状態変化コントロールはマスターしたんだろ」
「ああ、このとおり完璧だ。もう日常生活に支障はない」
「おお、ほほう。なるほど…」
メモをとる班長。その辺りは抜かりない。
「僕もこんなに楽しい時間は久しぶりだったよぉ。本当にありがとねぇ」
「私たちも楽しんでいたのだ。お互い様であろう」
「ま、なんだかんだ言って楽しかったけど、あとは元通りの日常に戻るだけ…」
〝ピカッ〟
〝ドオオオオオォォォォン…〟
「なんだなんだ!?雷か!?」
「…ああ、どうやら雷のようだ。雨も降っていないのに、珍しいな」
「ふぅ、びっくりしたねぇ。結構近いんじゃないかぃ」
「近くに落ちたみたいだな。えっと電化製品…は、うん、ウチは大丈夫みたいだな」
とりあえず我が家に雷撃の魔手は伸びなかったようだ。
「おーい班長、どうした、窓の外ばっかり見て。落ちるとこでも見れたか?」
…返事がない。ただの屍のようだ。 …って、何!?
「おい班長!大丈夫か!?感電でもしたのか!?おい!!」
「何だと?おい! …ど、どうやら息はあるようだが…。おい班長、大丈夫か!」
さすがのアトラスさんも困惑している。そりゃそうだろう。
班長は窓の外を凝視したまま、硬直してしまっていた。
「こ、これがよく聞く『死後硬直』なのかぃ…」
「いや死んではいないはずだ!おい、班長!雷がどうしたんだよ!?」
「…雷ではありません」
「…え」
「何だと」
「どういうことだぃ」
「宇宙船が…あそこに!!」
そう言って一点を見つめる班長。その先は、夕方俺たちが登った山。
よく見ると固まっていた班長のサングラスの奥の瞳は、これでもかというウザいレベルで、好奇心に取り憑かれた子供のように輝いていた。
先に述べた「あとは元通りの日常に戻るだけ」という発言は、撤回せざるを得まい。
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