Ⅷ「話しかけんな!」

 俺はこれでも34年と6ヶ月を生きた、世間で俗に言う「大人」なのだけれども、それにしても、洋式トイレに話しかけられるのは、人生初だった。

 …というかきっと人類初だ。


 「あ、ああ、すまなかったな、今閉めるよ」

 「いやあんた、なんで平然として無機物と対話してるんだよ」

 そりゃアトラスさん本人も捉え方によっては無機物だけれども


 「え、捕虜さん、何を言っているんですか…」

 「何って、お前までどうした班長!どう考えたっておかしいだろうがこの状況!」

 「だからお前は何を言っているのだ」

 「そうですよ…」

 「なんでお前ら二人は意思疎通出来てるんだ!?俺が変なのか!?何なら班長、この幼児期トイレの惣菜を雅楽的に共鳴してくれ!」

 「噛みすぎて意味分かりませんよ…」

 「『この洋式トイレの存在を科学的に証明してくれ!』」

 「いや、証明するも何も…、このトイレは至って普通のトイレではないか」

 「じゃあ何で普通のトイレが話しかけて来るんだよ!?」

 「あの、僕トイレじゃないんだけ…」

 「話しかけんなああぁぁぁああ!」

 我ながら理不尽この上ない暴言をぶちまけた俺は、アトラスさんの威嚇射撃(スライムミサイル)によって、平静を取り戻した。


 よくよく見てみると水柱の中にははっきりと、人の形が写っている。声の主はこいつか。

 「おいあんた、なんで避けないんだ?このままじゃこの辺一帯浸水しちまう、早くここ出ようぜ」

 「いや、もう治まったんだけど、またいつ痛くなるか分かんないから…ふぅ、だいぶ落ち着いてきたー…」

 なんて、よく分からないことを言っているうちに、みるみる水柱の勢いが弱くなっていき、10秒もすれば完全に水柱はなくなり、ずぶ濡れの中の人が顕になった。

 …まずパンツとズボンをあげろ。見苦しい。

 「あ、そうだよね、ごめんごめん。ところでさ君、この辺の人?君の家、クーラーあるかぃ」

 「あぁ?まあ、あるけど」

 いきなりなんだこの馴れ馴れしいおっさんは。


 見たところ40代後半くらいだろうな。小太り、頭は禿げていて、優しそうだがどこか威厳のある目が印象的だ。

 「そりゃ助かる。あと、悪いんだけど君ん家のシャワー、借りていいかい。見てのとおり、汗だくでさぁ」

 「いや汗より前にあんた、トイレの水全身に浴びてんだから、そっちを気にしろよ」

 「えぇ?僕はトイレの水なんて浴びてないよ?汚いじゃない」

 「え…、ではあの水柱はいったい、なんだったのですか?」

 バトンタッチありがとう班長。俺このおっさん相手だとイライラして会話どころじゃなかった。

 「ああ、あれ全部僕の汗だよ。あ、もしかして外スゴイことになってる?」

 おいおいおいおい…。


 「僕は昔から汗っかきでねぇー。普段は自宅勤務でOKって、会社からも了解されてるんだけど、今日はどうしても会社に顔出さなくちゃいけなくてさぁ。しかも慣れない人混みでお腹痛くなっちゃって。いやー、困った困った。はっはっはっはっは!」

 「笑い事じゃねえよ!いやそれよりも汗かきとかいうレベルじゃねえよ!お前の体内の水分量どうなってんだ!その体格は水太りか!?というかこちとら必死になって寝起き早々駈け回ったっつーのになんだこのオチ!?」

 「まぁ、詳しい事情聴取は後にして、捕虜の家はすぐ近くだ。シャワーで汗を流すがいい」

 「悪いねぇ、それと、着替えもくれたら嬉しいんだけど…」

 「うむ、用意しておこう」

 「お前が決めんなぁー!!!」


 と、いうわけで。

 この汗だくハゲも自宅に招き入れる事になってしまった。

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